銀座の街で巻き起こる物語の喜びに満ちた奇跡。
「3年前、うちの近所でニシキヘビが逃げたんです」と構想のきっかけを語り始めた青山美智子さん。
「一般家庭で飼っていたらしく、ネットなどでも話題になって。見つかるまでしばらくかかったのですが、その間、普段は気にもしないであろうニシキヘビのことを多くの人が考えたんですよね。認知はしているものの、絵を描いてみてって言われたら模様とかも曖昧だし、どんな生態なのかもいまいちわからない。みんな知ってるのによくわからないっていう存在感が興味深かったんです」
ただし本作で逃げるのは、ニシキヘビではなく人魚。歩行者天国になっている休日の銀座で、「王子」と名乗った青年が人気ワイドショーのインタビューを受ける。王冠をかぶり、完璧なまでの“王子ファッション”に身を包んだ彼の返答により、「人魚が逃げた」という言葉がSNS上でまたたく間にトレンド入りする。
「私の小説に出てくるキーパーソンって、『お探し物は図書室まで』の司書の小町さんがいい例ですけど、みんなが頼りにするメッセンジャーみたいな人が多いんです。だけど今回はその逆というか、王子が周りに助けられたり元気をもらったりする構図にしたいと思いました。だから王子をどれだけヘタレにするかが肝で(笑)。変なやつだけど愛おしくて、応援したくなるイメージです」
自身の発言がバズっていることなど知る由もなく、王子は銀座をさまようのだが、人魚騒動と並行して描かれるのが、5人の男女の物語。
「大々的には言ってませんが、この小説の裏テーマは結婚なんです。年上の女性にプロポーズしようとする青年や、離婚した絵画コレクター、見合い結婚をした作家などが登場するのですが、今って必ずしも結婚が幸せとは捉えられていないですよね。そのうえで結婚のあり方を考えるきっかけになったらいいな、という思いを込めています。そもそも『人魚姫』も王子と結婚したくて人間の姿になる、婚活の話ですしね」
人魚が逃げるという設定を書くにあたり、『人魚姫』の絵本やアンデルセンの自伝を何冊も読み込んで、気がついたことがあったそう。
「魔女や王子などの描き方や、注目しているところが絵本によってかなり違うんです。だから『人魚姫』も知っている物語のつもりだけど、もしかしたら人によってイメージが全然違うのかもしれないなって。書く側から考えても、私が意図したことと読んだ人の受け取り方は少しずつ違うのでしょうし、それが物語の面白さなのだと改めて思いました」
青山作品らしい登場人物への優しさや、背中を押してくれるような読後感は変わらず、ファンタジーとリアルを行き来し、どこへ辿り着くのかわからない高揚感も溢れている。
「エンタメ小説です、と言い切れるものを書きたかったんです。私の中ではチャレンジでしたが、何者かに書かせてもらった気持ちが強くて、作家としてもっともっと届けたい! という思いが強くなりました」
PROFILE プロフィール
青山美智子
あおやま・みちこ デビュー作『木曜日にはココアを』が第1回宮崎本大賞を受賞。’21年から4年連続で本屋大賞にノミネートされる。『赤と青とエスキース』『リカバリー・カバヒコ』など著作多数。
INFORMATION インフォメーション
『人魚が逃げた』
3月の週末、SNS上でトレンド入りした「人魚が逃げた」という言葉。銀座に現れた「王子」と5人の男女の人生が交差する、かけがえのない瞬間。PHP研究所 1760円