
ME:Iを生んだサバイバルオーディション番組『PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS』で、鋭い指導で「鬼トレーナー」と話題になったダンサー・振付師のYUMEKIさん。「この状態でステージ上がる気? 上がらせないけど」「今すぐ帰っていいよ」などの名言の裏には、自身もサバイバル番組の参加者として経験した涙の日々がありました。
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「マジ怖い」鬼指導の裏にある覚悟と意外な過去
── YUMEKIさんは「PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS(以降プデュ)」(2023)では「鬼トレーナー」として注目を集めました。ご自身でも自覚されていましたか?
トレーナーとして必死だったので、自分がどう映っているのか全く考えていませんでした。各審査の発表まで見てあげられるのは2〜3回程度で全然時間がないんです。周りから「目が怖い」と言われてはじめて「え、そうだった!?」と気が付きました(笑)。
── 練習生から「YUMEKIさん、マジ怖い」とラップでイジられていたのも鮮烈でした。
ラップに苦戦する練習生たちにトレーナーのKEN THE 390さんが「自由にやってみれば?」と提案した時ですよね。彼女たちは自分たちの意気込みをフリースタイルで表現していたのですが、まさか自分の名前が出てくるなんて考えてもいなかったので、あの映像を見た時は「僕のいない所でやってくれたな」って(笑)。でも、ああやって取り上げてもらえると嬉しいですよね。
── YUMEKIさんは練習生の間で「(厳しさと優しさの)ギャップNo.1」と評されていましたし、愛のあるイジりだと感じました。
だといいです。オーディション番組はデビュー組を選出するものではありますが、練習生のみんなにとっては一生の経験になるもの。合否に関わらず、彼女たちのその後の人生でも活きる機会になるように心がけていたので。


── YUMEKIさんはダンスサバイバル番組「STREET MAN FIGHTER」(通称:スメンパ)に「出演者」だった経験がありますよね。その経験はプデュでの指導にも影響していますか?
間違いなくあります。僕は、他のトレーナーの皆さんに比べると指導の場数も少ないですし、プデュ当時は23歳。「若輩者の自分がトレーナーとしてやっていけるのか?」とも思いましたが、自分はオーディション番組のプレイヤー経験はある。練習生たちの立場に一番近くなれるとは思っていました。
── スメンパは、プデュが始まる直前まで参加されていたんですよね。
プデュが2023年で、スメンパが2022年。プデュの出演オファーが来たタイミングはスメンパの撮影直後で、心身ともにズタボロになっていた時期でした。実はスメンパに参加している最中にも韓国のサバイバルオーディション番組「BOYS PLANET」への練習生としての参加オファーが来ていたのですが、お断りしていました。
なので、最初プデュでお声がけいただいたときは「練習生」としての打診かと勘違いしていて(笑)、断ろうとしていたら「トレーナーとしてのオファーです」と言われたので驚きました。

ベッドで眠る日はなかった。サバイバル番組の極限生活
── スメンパ参加中は「毎日泣いていた」そうですね。どれほど過酷だったのでしょう?
僕は韓国のダンススクール「1MILLION DANCE STUDIO」のチームメンバーとして参加したのですが、番組で初めての外国人出演者。その分、プレッシャーも大きかったです。
短期間でパフォーマンスを完成させなくてはいけないので、睡眠時間は、ステージの合間や移動時間、衣装合わせている時に目を閉じるくらい。怪我をしたり、チームメンバーに対して普段は抱かない感情が生まれたり、食事も喉を通らない。そうした日々が1年ほど続きました。
僕は10代の頃からLAに留学したり、中国、韓国で活動してきたりと、アウェイの場所には慣れている方だと思っていたのですが、初めてホームシックになりました。
── これまでのアウェイな環境とは、何が違ったのですか?
スケジュールのハードさはもちろんですが、孤独感を覚えやすい環境なんだと思います。同じ夢を持った仲間たちと一緒に生活しているはずなのに、ライバルとして勝たなければいけない。毎日自分に点数をつけられるので、自信をなくしたり疑心暗鬼になったりもする。番組は生き残りをかける内容ではありますけど、サバイバル番組は「自分との戦い」だと感じました。
── ハードな毎日でメンタルを保つのは大変そうです。
あちこちにカメラがあるので自由がほとんどないのですが、無理やり1人になって自分と対話する時間を作っていました。追い込まれるほど感情に支配されることに嫌気が差し「無感情」になることで自分を守っていたような気がします。今振り返ると、無感情になるよりも仲間に感情を言葉にして吐き出すべきだと思います。あの時はそれができませんでしたけれど。

厳しい指導にある「愛」を受け取ってもらう秘訣
── YUMEKIさんは、プデュでも練習生に「ちゃんと話し合った?」と自分の考えを相手に伝えるよう促していたのが印象的でした。
自分をさらけ出すとパフォーマンスがよくなるんですよね。迷いがなくなるからなのかな…ひと目でわかります。逆に自分の感情を飲み込んでしまうと動きが鈍くなる。これはサバイバル番組にとどまらず、生きていくうえで非常に大事な行為ですよね。
── 「今日が最後かもしれない」という声がけも、練習生にとって響いていたような気がします。
僕の口癖でもあるんです。僕自身、スメンパではセミファイナルで脱落してしまった身なので「これで終わり」を経験しています。だからこそ、自分にとっては通過点でも誰かにとっては「最後」かもしれないと思うようになりました。プデュの練習生たちには、僕の前では失敗していいから、とにかく出し切って、やりきった感覚を持って帰ってもらいたかったです。

── 昨今、世間では厳しい指導そのものがタブー視されている側面もあります。トレーナーとして練習生への接し方で意識していたことはありますか?
まずひとつは、僕自身が指導中に一緒に体を動かしていたことでしょうか。年頃の女の子たちに口だけで指導しても聞き入れてもらえないこともあるので、説得力を持たせたかった。僕も汗だくになりながら踊ってました。
あとは、「お気に入り」を作らないこと。プデュの場合は最初に101人も練習生がいて、徐々に数が減っていくので、だんだん一人ひとりの人間性がよく見えてきて情が湧いてきます。でも、絶対に平等に接すると決めていました。
プデュの場合は、アイドル経験のある子もいれば、未経験者もいて実力もバラバラ。経験がない子たちに優しく指導してもよかったのですが、それは失礼なこと。グローバルに通用するアーティストを選ぶ中で、甘々にしていたら審査に落ちてしまう。なぜ厳しい言葉をかけているのかを説明し続けていたので、練習生たちも理解してくれたような気がします。

アイドルの道には進まなかった理由、30歳で振付師の仕事に区切りをつけると宣言した胸の内
── YUMEKIさんは振付師として華々しいキャリアを歩まれてきましたが、ご自身がアイドルの道を選ぶという選択肢はなかったのでしょうか?
確かに、僕がダンスの世界に入ろうと思ったのは、幼少期にテレビで見ていた嵐さんやEXILEさんたちがきっかけでした。ただ、ダンスにのめり込んでいくうちに「創る」ことが楽しくなっていき、今に至ります。アイドルがステージ上で完璧に舞う表現者だとするならば、振付師はゼロからダンスを創るクリエイターと分けられるかもしれません。
日本だと振付師は「裏方」のイメージが強い気がしますが、アメリカや韓国でも振付師はクリエイターとして華々しい職業として扱われています。
── そうですよね。最近は日本でもサバイバル番組を通して、振付師の方に脚光が当たることも増えました。
僕もプデュの出演を通して、日本での振付師のイメージが変わりつつあることを実感しました。僕の周りでも、親から「ダンスだけでは食べていけない」「ステージに立てるのは狭き門」と反対されて、志半ばで諦めたダンス仲間はたくさんいます。僕はそれがとても悲しい。今は、ダンスにまつわる職業の広さを伝えたいと思いながら活動しています。

── 熱い想いを抱きつつ「30歳で今の仕事を一区切りさせたい」とも書かれていたので、驚きました。何か展望があるのでしょうか?
僕は今25歳で、20代の折り返し地点。12歳でダンスを始めて10代はひたすら踊っていました。20代の5年間は振付師として韓国に飛び込み、ある意味において夢が叶ったと思っています。
プデュへの出演もありましたが、ここ1〜2年でもう少し自分の活動を広げてもいいのかもしれないと思うようになってきました。今とは違う世界に踏み出すことで、自分自身をアップグレードしていきたいと思っています。30歳までに次の夢を探すのが今の目標。僕の名前は夢に生きると書いて「夢生」だから、この名前を全うしたい。そう思っているんです。
profile
YUMEKI
ゆめき 1999年生まれ。ダンサー、コレオグラファー(振付師)。12歳からダンスを習い始め、高校卒業後、本格的にダンサーとして活動をスタート。現在に至るまで、日本、韓国の有名アーティストたちの振付やステージディレクションを担当している。5月29日、自身初のフォトエッセイ『ONE DANCE 世界で夢を叶える生き方』(新潮社)を上梓。
information

K-POP/ダンスの第一線で活躍するYUMEKIさんによる自身初のフォトエッセイ。幼少期の思い出から、ダンスを始めることになったきっかけ、日本、韓国、アメリカでのさまざまな出会いと別れを振り返り、夢を追い続ける理由について語る。