一度諦めた夢と再び向き合う、かつての天才少年ピアニスト。怖さと喜びを真摯に描いた『やがて、ひとつの音になれ』

エンタメ
2025.02.18

草原うみ『やがて、ひとつの音になれ』2

本作『やがて、ひとつの音になれ』が初連載となる草原うみさん。その題材に選んだのが、いつか描きたいと温めてきたピアノだった。

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一度諦めた夢と再び向き合う、怖さと喜びを真摯に描く。

「私が子どもの頃、ピアノは習い事としてとてもポピュラーな楽器で、私を含め多くの子が習っていました。友だちと比べて一喜一憂してしまったりなど、ピアノを通して感じたことが印象に残っていて。そういった自意識との関わりや、人間模様の変化を物語にしてみたかったんです」

そしてもうひとつ、大きなテーマとなっているのが、“再起”。

「構想を練っていたのがコロナ禍で、将来に希望を見いだしにくい閉塞した空気感もあって、出てきたテーマといえます。私自身もやりたい表現を思うようにできなかった時期が長かったのですが、いま思えばそのなかで発見できたことや成長もあったので、壁を打ち破って、自分を表現していく姿を描こうと思いました」

主人公の奏(かなで)は、ピアニストとして「天才少年」の名をほしいままにしてきたが、病により15歳でピアノと別離する。7年後、挫折感を引きずったまま、工場で働いていた奏は、かつての友・真琴と再会。奏の演奏を愛してやまなかった真琴は、「ネオピアニスト」と呼ばれるユーチューバーとして時の人になっていた。

「現代のピアニストについて調べていたら、ネットをメインに活動されている方が、数年前は考えられないくらい人気を得ていることに気がつきまして。20代前半という彼らの世代的にも、人気ピアニスト像としてイメージしやすいと思いました」

奏がピアノをやめる理由となるのが、局所性ジストニアという難治性の病。彼の場合は、ピアノを弾くときだけ右手の指が思うように動かなくなってしまう。高いレベルで熱心に練習を続けている人に発症しやすい病気であるが、原因は十分解明されておらず、治療法も確立していない。本作では、自身も局所性ジストニアを発症してピアノをリタイアした経験のある、脳神経内科医の青嶋陽平先生が医学監修を担当。ピアノに触れることさえ怖くなる奏の胸の内、それを周囲になかなか理解されず孤立してしまう苦悩を、真摯に描き出す。そんな奏が真琴をはじめ、周りの人たちの存在によってどう変わっていくのかが読みどころだが、その描き方にも誠実さが溢れている。

「私は、感情が動く瞬間を描きたいのだと気がつきました。挫折して一度手放したものに再挑戦するのは、すごく怖いだろうし、きっといろんなことに時間がかかるのでしょうが、それでも向き合おうとする姿を表現したいんだなって。青嶋先生のほかにも、ジストニアを経験された方々にお話を伺って、思いを託していただいた気持ちで描いています」

演奏シーンの美しさや、音楽で気持ちが通じ合う喜びも味わえる本作。奏の再起をしっかり見届けよう。

PROFILE プロフィール

草原うみ

くさはら・うみ マンガ家。美大卒業後、コミティアなどで作品を発表。短編集『Mothers』は日本語、英語、イタリア語で単行本化されている。

INFORMATION インフォメーション

『やがて、ひとつの音になれ』2

ジストニアを発症し、ピアニストの道を断ってしまった奏が、ネオピアニストとして有名になった友・真琴と再会。左手のみを武器に再起を図る、青春物語。小学館 770円 Ⓒ草原うみ/小学館

写真・中島慶子 インタビュー、文・兵藤育子

anan 2434号(2025年2月12日発売)より

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