「害」ではなく、社会の側にある。意識改革が大切。
「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」、通称「バリアフリー法」が日本で施行されて、今月でちょうど10年になります。これにより、駅や道路、電車、建築物などで段差をなくしたり、エレベーターを設置するなどのバリアフリー化が進められました。「バリアフリー」という言葉が登場したのは1970年代。人権保護の観点から、差別や偏見を乗り越え、誰もが均等な権利を得て暮らせる社会を、という流れが生まれました。
ところで最近、テレビや新聞などで「障がい者」と表記されるのを目にしますね。「害」という字を使うのは、障害のある方を傷つけるのではという考えからなのですが、NHKでは明確な理由で「害」を使い続けています。それは、「障害」はその人自身ではなく、社会の側にある。障害者=社会にある障害と向き合っている人たち、と捉えているからなんですね。
今年のパラリンピックが始まる前、「(選手が)かわいそうで見ていられない」とコメントしていた現地の人も、ハイレベルな試合を見て、そんな弱者いたわり目線から意識が変わりました。
リオのメディアセンターで僕はイラン人と隣になったのですが、向こうは英語を話さないので、なす術がなかった。そのとき、彼はGoogleの翻訳アプリを使って、ペルシャ語を日本語に変換し、話しかけてきたんです。言語のバリアフリーがテクノロジーにより成し遂げられた。このとき「ペルシャ語も話せなくてかわいそう」とは誰も思いませんよね? 障害者に対しても同じ。「気持ちを慮っていたわらないと」という気遣いは、少々見当違い。それよりも現実的な社会の障害を取り除くことが大事なんだと思います。
国連広報センターの発表では、世界で約6億5000万人、総人口の約10%の人が何らかの障害を持っています。また、日本には超高齢化社会が近づいています。高齢者や障害者のためのバリアフリー対策は、結果的には、怪我をした人や妊婦、大荷物を持つ人にとってもありがたいことですよね? バリアフリーを追求していくと、障害の有無や年齢を問わず、皆にとって優しい社会になるんですね。