空気は変わっても、社会を変えるのは私たち自身の力で。
元号が「令和」に変わり、約1か月がたちました。新しい元号発表のとき、予想以上に、気持ちが前に突き動かされるのを感じました。平成から令和に変わるときも、世間は年末年始のような盛り上がりでした。改元とともに、ガラリと空気が変わる。これが1300年以上続けられた元号の力なのだとあらためて思います。
日本で最初に元号が定められたのは、645年の大化です。以降247回、改元されてきました。そもそも元号は、中国で、その国を治める権力の象徴として使われはじめ、中国の覇権拡張とともに、朝鮮半島や東南アジアの国々に広がりました。日本でも南北朝時代には、南朝と北朝が正統性の証としてそれぞれの元号を用いたことがあります。また、社会の空気を変えるために、災害や飢饉、良いことが続いたときにも改元してきました。明治維新以降は、一世一元。ひとりの天皇につきひとつの元号を用いることになりました。
過去に一番長く使われた元号は「昭和」の64年。敗戦の折には、改元論や元号廃止論が起きました。ところが朝鮮戦争が勃発し、議論は立ち消え。昭和54年に初めて、元号についてのルールが法制度化されました。
平成から令和への変化も、ほとんどの民間企業では西暦が使われているので、生活の実務には影響はなかったようですが、人々の気持ちをつなぐキーワードにはなっていると思います。
令和になり、これから私たちはどういう時代を作っていくべきか? 昭和は国民が政府の暴走を防げず、戦争を引き起こしてしまいました。平成は、経済成長一辺倒で、「人」を切り捨てていってしまいました。オウムなど凶悪な事件を生んだのも、個々人の居場所を失わせた社会背景があります。
平成最後の統一地方選挙。女性議員が多く誕生したのは良いことですが、投票率は過去最低が相次ぎ、選挙が成り立たない無投票の自治体も多数ありました。「自分たちが社会を作る」という意識はまだ薄いです。時代が変われば自然と景気が良くなるという幻想は、改革に失敗した平成で打ち砕かれました。昭和や平成で積み残した課題を、令和でこそ取り戻したいですね。
堀潤 ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN
※『anan』2019年6月5日号より。写真・中島慶子 イラスト・五月女ケイ子 文・黒瀬朋子
(by anan編集部)
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