小学5年生から住んでいた兵庫県・川西の実家。僕の部屋は、階段を上がった2階のすぐ右側、兄は右奥、両親の寝室は廊下を挟んだ左側にあった。両親は、息子達の部屋を仕切る壁を、わざわざ“引き戸”に改良して、いつでも開け閉めが出来るようにした。子供だった僕らは、その“おかしさ”に気づきはしなかった。僕と兄の部屋とは、クローゼットを含め、東西を反転したほぼ同じ間取り。窓を開けて外に出ると、バルコニーで繋がっている。さらに引き戸を挟んで、同じ大きさのベッドが対称に置かれている。なので、就寝の際には、お互いの寝息や寝言までが鮮明に聴こえてしまう。これではプライベートが保てないと、両親に何度か改築工事を申し入れたが、相手にされなかった。特にベッドに横になると、引き戸を一枚隔てた状態で“添い寝”をしている感覚なのだ。いつ眠るのか? 熟睡しているか? 眠れず起きているのか? それらが手に取るようにわかる。兄が夜中にベッドで奇声を発したのにキレた僕が、扉を開けて、掴み合いの喧嘩をしたこともあった。ベッドを反対側に寄せる道もあったが、もう一つの窓のある壁面には、本棚と勉強机が置かれていたので、断念せざるを得なかった。今思えば、“変な家”だった。
’70年代。今のようにスマホはない。テレビや音楽などの娯楽は、家族みんなが集まるリビングという“公共の場(お茶の間)”でしか享受出来なかった。電話も一家に1台だ。現在のような自分だけの番組、映画、音楽、電話の個人所有は、夢のまた夢だったのだ。何を観るか? 何を聴くか? それには必ず家族全員の合意が必要なのだが、一家の大黒柱である父親がその主導権を握っていた。僕がテレビで好きなドラマを観ていたとする。親父が帰ってくると、即座にチャンネルをプロレス中継に変えられ、「秀夫、テレビばかり観てないで、部屋で勉強でもしなさい」と一喝される。母親も父親が疲れて帰ってきたので、味方にはなってはくれない。それが“昭和”だった。
ところが、新たな時代が到来する。ラジカセ(注1)の登場だ。ラジオ、カセット、アンプ、スピーカーが一体になった持ち運びができる音響装置。’60年代後半から家電の中でも大きな潮流となった“昭和”の必須アイテムだ。一家に1台ではなく、一人に1台。我が家でも、小学5年生になると自分の腕時計とマイ・ラジカセだけは、快く支給してくれた。当時は、3バンド(注2)仕様のラジカセで、短波放送を聴くのがクラスメイトの間では流行っていた。兄が持っていたのも、短波ラジオ(注3)だったか。しかし、兄とは差別化を図りたい。そんなライバル心で当時、「男は18センチ!」のCMで話題になっていたナショナル(注4)のFM/AMラジオカセットRQ‐548“MAC18”(定価3万1500円)を選択した。ステレオではなかったが、当時国内最大級の大口径18cmコーンスピーカーを搭載していた。デザインは、飛び抜けて無骨で未来的だった。ところが、せっかくの巨大スピーカーなのに、“変な家”では大音響で聴くことが出来ない。隣の兄にまる聴こえなのだ。暗黙の了解で、僕らはお互いが部屋にいる時は、イヤホンで聴くことにした。この頃は、音質の良いヘッドホンやヘッドセットなどではなく、片耳に入れる簡易のモノラル・イヤホンだった。食事と入浴を終え、リビングでのテレビ鑑賞もお開きになると、子供達は自室に籠り、ラジカセを立ち上げる。机に向かい、炬燵(こたつ)に入りながら、ラジオやエアチェックしたカセットテープを聴く。ラジオを聴きながら絵を描いたり、本を読んだり、勉強したりするので、世間では“ながら族”と呼ばれ、揶揄された。当時、関西のクラスメイト達は、ほぼみんな、毎晩『ABCヤングリクエスト』か『MBSヤングタウン』のどちらかの深夜放送を聴いていたと思う。
おかげでラジオを聴きながら、ベッドで横になるという風習が自然と身についた。そうなると、壁の向こうを気にすることもなくなった。“変な家”問題は、ラジカセの登場により、解決されたかに見えた。
土曜日の夜には、未明までベッドで深夜ラジオを聴くのが楽しみだった。『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(注5)も、そんな夜更かし番組のひとつだった。子供には少し刺激が強い下ネタが多く、家族にはバレないように毎週、こっそり聴いていた。ある日、鶴光の下ネタに思わず「クスッ!」と声を上げて笑ってしまった。すると、隣からも「ガハッ!」と吹き出す声が聴こえた! 引き戸の向こうで、兄が同じ番組を聴いていたのだ。この時ほど、居心地が悪かったことはない。母親も亡くなり、あの“変な家”は建て替えられ、兄夫婦が住んでいる。亡くなった両親は、兄弟の壁を作りたくなかったのか? あえて思春期の兄弟を交流させたかったのか? それは今となってはもうわからない。ただ兄弟が深夜に、下ネタを共有して、血縁を超えた気まずい“仲間意識”を感じたのは間違いない。
注1:ラジカセ ラジオカセットレコーダー。ラジオチューナーが内蔵されたカセットテープレコーダーのこと。
注2:3バンド AM、FMに加えテレビ音声または短波の受信にも対応しているもの。
注3:短波ラジオ 短波帯の電波を受信できるラジオ。電離層に反射するので、ほぼ世界中の放送を聴くことができる。
注4:ナショナル 松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)の家電製品ブランド。
注5:『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』 1974年から1985年にかけて放送された、ニッポン放送の深夜ラジオ番組。一世を風靡したエロトークから数々の名言も生まれた。
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PROFILE プロフィール
小島秀夫
こじま・ひでお 1963年生まれ、東京都出身。ゲームクリエイター、コジマプロダクション代表。’87年、初めて手掛けた『メタルギア』でステルスゲームと呼ばれるジャンルを切り開き、ゲームにおけるシネマティックな映像表現とストーリーテリングのパイオニアとしても評価され、世界的な人気を獲得。世界中で年間最優秀ゲーム賞をはじめ、多くのゲーム賞を受賞。2020年、これまでのビデオゲームや映像メディアへの貢献を讃えられ、BAFTAフェローシップ賞を受賞。映画、小説などの解説や推薦文も多数。ゲームや映画などのジャンルを超えたエンタテインメントへも、創作領域を広げている。