百聞は一見に如かず。読んだ者に、この面白さと不可思議さは微笑む。
「読み返してみたら、忘れていたことが多くて。自分を再発見するような気分でした。あと、インターネットがいまほど発達していなかったころは、こんなに自分の足で探してインプットしていたんだ、もっと時間の使い方が豊かだったなと、ちょっと反省したりしました」
この人が訳せばハズレなしといわれる選書センスと名翻訳で知られ、エッセイや書評を書かせれば読者を笑わせ首肯させ、ときにアナザーワールドに誘ってくれる。その技は初期から確立され、連綿と続いてきた。
たとえば、喩えのうまさ。「イエス脳」というエッセイに綴られた〈私たちは、不信心で俗にまみれた何も考えていない獣みたいな二十世紀の女子高生だったから〉。これに懐かしい羞恥を覚えない女子がいるだろうか。文芸誌の旅特集に「旅ぎらい」というエッセイを書いたり、育児雑誌の虫特集でゴキブリ殲滅宣言してしまったり、ちょっとズレたミスマッチもツボ。
岸本さんは振り返る。
「翻訳は楽しい。苦しさすら楽しい。それ以外の文章を書くのは、ただ苦しくてつらい。『なんでこんなにエッセイが嫌いな私に頼むんだよ』みたいな逆ギレっぽい気持ちで、その媒体が嫌がるようなことを無意識のうちに書いていたのかも(笑)」
ちなみに本書のタイトルでもある「わからない」は岸本さんの人生にとって重要なテーマらしい。本書の中でも何度も触れられているルナアルの『にんじん』との邂逅にその原点を感じる。岩波文庫フェチのお父様から小学生の頃に渡された一冊だ。
「いまも手元にあるそれは旧かな遣いの版なので、字も読めないから、自分で勝手に間違ったルビを振っていたり。作中の文化もピンとこないし、わからないことだらけなんですが、そのわからなさが魅力というか、本当に惹きつけられました。『面白かった! よし、最初から』と何度も何度も読んで血肉になった。だから、私が翻訳したいと思うのもめちゃめちゃ面白いというだけではダメで、さらに『何かよくわからない…』という要素が大事なんですよね」
きしもと・さちこ 翻訳家。訳書にルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』(講談社文庫)、リディア・デイヴィス『話の終わり』『サミュエル・ジョンソンが怒っている』(共に白水Uブックス)など。
岸本佐知子『わからない』 カバー装画は、岸本さんが展覧会の映像越しに一目でロックオンされた作品。20世紀のブラジルの女性画家Tarsila do Amaralによる「眠り」。白水社 2530円
※『anan』2024年7月24日号より。写真・中島慶子 インタビュー、文・三浦天紗子
(by anan編集部)