意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「イスラエルとイランの対立」です。


対立の根底にある反西洋主義。戦闘以外の解決方法を

イスラエルによるイラン核施設攻撃を機に交戦が続きましたが、トランプ大統領の停戦案を受け入れる形で12日間の戦闘はいったん収まりました。

イスラエルとイランの対立には歴史的背景があります。今のイラン・イスラム共和国になる前は、パフラヴィー朝という王朝が国を支配していました。当時は親米国家でイスラエルとも良い関係を築いていたんです。1961年、パフラヴィー2世がイランの近代化、西洋化を目指し、農地改革や森林の国有化、国営工場を民間に払い下げ、労働者に利益を分配したり、女性の参政権を認め、教育向上に力を入れるなどの改革をし、「白色革命」と呼ばれました。ところが、資本主義が入ることにより貧富の差が拡大。急激な西洋化にイスラム教の原理主義者からの反発も高まり、市民による反体制運動が起き、1978年にイラン革命が起こります。これを指導したのがイスラム教シーア派のホメイニ師でした。

その後は親米路線から一転、イスラム化路線に変わり、1979年には反米感情に燃えるイランの若者たちが、テヘランのアメリカ大使館を襲撃。444日間にわたり大使館員らを人質にとりました。この事件を機にイランとアメリカは国交を断絶したのです。

イランは石油資源を国有化。親米の民間石油会社が撤退したため、イラン産の原油価格は大幅に値上がりし、第2次オイルショックが起きました。

2000年代に入ると、イランの核開発疑惑が浮上します。イランは平和利用のためと言っていますが、近年ウランの濃縮度が上がっていることが判明。トランプ大統領やイスラエルのネタニヤフ首相は、イランは核兵器を完成させる寸前なのだと非難しますが、それを裏付ける証拠はまだありません。7月には、イランのペゼシュキアン大統領がIAEA(国際原子力機関)への協力停止法を施行。イランの核施設の査察ができなくなり、世界のイランに対する疑念は広がってしまいます。

イスラエルとイランの対立には反西洋化が根強くあります。ただ、犠牲になるのは多くは非戦闘員。命を落とすことなく普遍的な価値を広げていく方法を真剣に考えなければいけません。

Profile

堀 潤

ほり・じゅん ジャーナリスト。市民ニュースサイト「8bitNews」代表。「GARDEN」CEO。『堀潤 Live Junction』(TOKYO MX月~金曜18:00~19:00)が放送中。新刊『災害とデマ』(集英社)が発売中。

写真・小笠原真紀 イラスト・五月女ケイ子 文・黒瀬朋子

anan2457号(2025年7月30日発売)より

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