ドキドキしながら部屋に入ると、テレビや雑誌で見たことがある“お馴染みの髪型”の篠山紀信さんが、いた! うわ、本物だ!
――はじめまして。アンアンという雑誌の者です…。
篠山:知ってるよ(笑)。僕も最初の頃は、結構いろいろやってたんですよ? ‘90年代に入ってからも、貴花田撮ったり、(ビート)たけし撮ったり…。随分やりましたよ。僕が写真家になった‘60年代、そして‘70年代は、雑誌が元気だったからね。アンアンも相当おしゃれな雑誌だったんだよ。とんがっててさ。でも、よその会社がアンアンを真似した、しかももうちょっと大衆寄りの雑誌を出しちゃったら、そっちが売れちゃってなぁ。マガジンハウスはおしゃれなんだけど、大衆向けっていうのが下手なんだよな(笑)。
――今のアンアンの読者は、20~30代の女性がメインなのですが、その世代にとっては、篠山さんは“気がついたらもう巨匠だった”という存在です。改めて伺うのもなんですが、篠山さんはそもそもどんな活躍をされて、今この場所まで来られたんですか?
篠山:えー、そんな話したら、1冊自伝が書けちゃうよ?(笑) 僕がデビューしたのは‘60年代だったんだけど、もともとはね、広告会社でカメラマンをやってたの。
――あの、なんで写真をやろうと思われたんでしょう…?
篠山:そこから?! あのね、僕は新宿のお寺の次男でね。僕が高校生の時は経済成長の真っ盛りで、いい大学に入って銀行とかに入るのが、良い人生とされてたの。僕もそういうふうに生きるんだろうなって思って、中学高校を過ごしてて。まあ、主体性のない少年だったんだろうね。でも大学受験に失敗しちゃって。その時に、予備校の広告でも見ようと新聞を開いたら、まだ募集してる大学の広告が出ててね。そこに、“写真学科”って文字を見つけて、“あ、ここ行こう”って、直感で思ったんだよ。写真を仕事にしようって。写真部に入っていたわけでも、カメラを持ってたわけでもないのに。それで大学に入って、3年の時になぜか広告会社の入社試験受けたら、受かっちゃったもんで、写真家になったというわけ。
――まったくもって、偶然だったわけですね?
篠山:そうそうそう。そこで広告写真をいろいろ撮りながら、自分が撮りたいと思う作品も作って…ってやってるうちに、いろいろな雑誌からお声がかかるようになって、雑誌でも写真を撮るようになった。雑誌って、広告ほどお金は儲からないんだけど、名前が出るから目立つわけ。しかも、当時は雑誌が本当に売れていて、100万部売れるとか、よくあることだったから、そんなにたくさんの人が見てくれるって、楽しいんだよね。それでおもしろくなってきちゃって、芸術カメラマンをやめて、芸能カメラマンになっちゃった(笑)。
――写真を撮って発表する。その根っこには、ご自身のことを知ってほしいとか、いろんな人に認められたいっていう気持ちもあったんでしょうか?
篠山:うーん、それよりも写真ってさ、撮ったときは1枚だけど、印刷して複製することによって本当にたくさんの人の手に渡るでしょう? これって写真特有の可能性だと思うわけ。そこがおもしろかった。芸術的な写真を撮って、「はい、これがアートでございます。さあ皆さんありがたく鑑賞しなさい」って見せるのは、僕はつまんない。それよりも、毎週毎週100万人が僕の写真を見てくれて、おもしろいとかカッコいいとか反応があるというほうが、社会を受け入れて、時代を撮ってるって感じがして、自分には向いてる気がしたんですよ。だから僕はアーティストではないの。写真は、時代の映し鏡。その時代の社会の突出した人や物や事を撮って、雑誌というメディアを使いながら写真をばらまいてきたっていうのが、篠山紀信という写真家。逆に言うと、今この印刷メディアがしぼんじゃってる時代には、‘70年代の僕みたいな写真家は絶対出てこない。活躍する人もいるけれど、僕とは違うスタイルの写真家だよね。
――数々の著名人を撮影されていますが、ご自身で撮りたいと思う人を選ばれているんですか?
篠山:誰かを撮りたいなんて思うヒマもないほど、仕事ばっかりしてきたからなぁ…。というか、僕は頼まれれば何でも撮るの。あのね、人事権は僕にない。時代に人事権がある。時代に「篠山くん、この人を撮りたまえ」って言われるの。
――すごい名言…!
篠山:ハハハ(笑)。あのね、基本、僕は受け身なんですよ。頼まれれば、金魚だって撮る。
――金魚?!
篠山:そうそう。金魚のカレンダーを撮影したんだけどさ。最初は「金魚?! 蜷川実花に頼めよ!」って言ったんだけど(笑)、実は金魚、撮ったことなかったから、いざ撮るとなったらちょっと緊張しちゃってさぁ。50年近くやってきたけど、意外とまだ撮ったことがないものってあるんだよね。そういう被写体を前にすると、やっぱりちょっとドキドキするんだよ。
――9月3日から、原美術館で「篠山紀信展『快楽の館』」という展覧会を開催されますが、“原美術館で撮影した写真を、原美術館に飾る”という内容だそうで…?
篠山:おっしゃるとおり。最初はね、「展覧会やりませんか?」ってお話を頂いて。僕も原美術館は知っていたけど、それほどちゃんと建物を見たことがなかったから、一度見せてくださいって言って、伺ったの。そしたら、それはそれは素敵な建物で、そこで写真が撮りたくなっちゃった。
――西洋モダニズム建築のデザインを取り入れた、レトロで素敵な建物ですよね。ロマンティックな雰囲気も漂っていて。
篠山:今から78年前に建った建物で、戦争も越えて、ずっとあの土地に建ってるんだよね。いわゆる美術館のホワイトキューブの無味乾燥な展示場とはまったく違って、空間に色気があるんだ。窓から入ってくる光とか、壁の質感とか、あの土地の持つ磁場とか、すべてが魅力的で。それで、この建物の持つエネルギーを受けて、僕がこの場所で作った作品を、同じ場所に戻してみんなに見てもらうっていうことを、やってみたいと思ったんです。それで原俊夫館長にお願いをしたら、快諾してくださって。しかも、ヌードをやりたいっていったら、「どうぞ、どうぞ」と。公立の美術館だと、ヌードを飾るんでも大変なんだよ? あれはダメ、これは無理、とか。でも館長は、「篠山さんがやりたいようにやってください」って、10日間も美術館を僕の撮影のために開けてくれた。こんな贅沢、後にも先にもきっともうないだろうな。
――館長はどんな方なんですか?
篠山:80代の男性で。そういえば、毎日撮影を見に来て、僕の横にぴたっとくっついてたのは、僕を監視してたのか…? いや、たぶんレンズの先の女の子を見てたに違いない(笑)。いや、とにかく、すごく懐の深い方ですよ。写真って、カメラの前のものを写すということではなくて、被写体が存在する場のありさま、空気、雰囲気を撮るものだと思うんです。だから僕にとって、“場”っていうのは本当に大事なもの。そういう意味で原美術館は、本当に“撮りたい!”という気持ちにさせてくれる場なんです。10日間、飽きるどころかアイデアがどんどん湧いてきてしまって、終わりが近づくほどに、もっと撮りたい気分になりましたね。素晴らしいでしょ。
――空間の持つ力、すごいですね。
篠山:いや、それは私の才能の力です。
――そうでした! 大変失礼いたしました(笑)。
篠山:んなことない(笑)。冗談冗談。
――それにしても、確かに篠山さんといえばヌードのイメージはありますが、なぜ今回、この空間でヌードを撮ろうと?
篠山:僕が撮りたいと思ったことを直截に表現できるのは、何も身に着けていない身体なんです。被写体が服を着てたりメイクをしていると、そっちのイメージが先行してしまうというか。別にヌードってことで客を呼ぼうとか、そんな気持ちはないよ? 10日間、延べ
30人以上のモデルさんに来てもらって、どんどん撮影してね。確かに体力的には大変でしたけど、撮ってるうちに、どんどん気持ちよくなってくるんだよ。アラン・ロブ=グリエって人のフランス文学で、『快楽の館』という本があって、それがとてもおもしろいんだけども、原題は、『ランデブーの館』っていうんです。
――出会う、という意味に近い?
篠山:そうそうそう。原美術館という建物との出会い、モデルさんたちが毎日やってきて出会って去っていくということ、その10日間を切り取った写真たちと、見に来てくれるお客さんとの出会い…。この場所での出会いっていうのが、この展覧会の一番のコンセプトなんだ。他の美術館でこの作品を見せても、なんにも意味がない。ここで見ることに、意味がある。だから、終わったら何をするかっていうと、全部破いちゃう。
――え?! 破いちゃう?!
篠山:だって、壁に貼ったのは引っぺがすしかないし。
――もったいない…。
篠山:もったいないって思うところがダメなんだよ。いっときの快楽っていうのが、清々しくてかっこいいじゃない。1回きり、その場限りっていうのが素敵じゃない。僕はそこがいいなって思うんですよ。今はみんな、情報に触れると見た気になっちゃうことが多いけれども、その場に行かないと感じられないことっていうのもあるわけだから、ぜひ足を運んでほしいね。