優しい顔立ちと言えばうそになるし、悪役も多めではあるのは事実。けれど、組長を演じていたと思ったら裸踊りをしたり、医者や総理大臣になったり、給食を作ったりもする。クセが強いのに芝居の振り幅は無限大、そんな俳優・遠藤憲一さんは、とても魅力的な大人だ。話していると、その内側にあるまじめな性格が伝わってくるし、役に対する想いは人一倍熱い。そして照れ笑いの顔は“人十倍”キュートなのである。撮影中はカメラマンのどんな要求にもすぐに応じ、それを楽しむようにカメラの前に立つ。何度もジャンプをし、最後はこの最高の笑顔で締めくくったのだ。
「俺が大人になったとすれば、最近の話かな。前みたいにむやみに遊びほうけなくなったしね」と笑う遠藤さん。そうそう、強面でありながら時折見せる笑顔、そのギャップがたまらないのだ!
「40代で一人飲みを覚えちゃったのね。バーとか鮨屋とかにふらっと入っては、赤の他人にバンバン話しかけて。その瞬間は俺だって気づかれても、そのうち相手も俺も話に夢中になっちゃってさ、そうやって喋ることでお互いに何かが発散されていたんだろうね。あ、一人飲みが大人だってわけじゃなくて、大人って何かって聞かれてもよくわからないんだけど…。主婦でもサラリーマンでも役者でも、自分が今やっていることに責任を持つことなのかな」
遠藤さんが「なりゆきで」劇団に入ったのは、10代の頃。
「怖い先生がいて、当時持っていた大人のイメージといえばその人のこと。声を張りあげて怒ったりするというより、もっと本を読め、勉強しろって弱点をどんどん指摘してくるし、心の内までじーっと見透かされているようで。劇団には偶然入ったんだけど、“人物を作ること”を面白いって思い始めてから、役者が好きになったの。手先は器用じゃないけど、何かを作るのが好きだったから。それからは、必死で本を読んで勉強を始めたんだよね」
12月に公開を控えている映画『うさぎ追いし-山極勝三郎物語-』では、人工的な癌の発生実験に成功した病理学者・山極勝三郎の生涯を演じている。
「勝三郎が家族や自分を犠牲にしながらも研究に没頭する様子を、医学に興味のない人でも楽しめるようにしたかった。だから監督たちと何度も話して、ギリギリまで脚本を練り直してもらいました」
勝三郎も遠藤さんも、目の前のことに責任を持とうと必死で生きる大人なのだろう。実際の勝三郎の写真を見るとわかるが、奇しくも二人はよく似ている。
「勝三郎の姿で撮影所をぶらぶらと歩いていたら、みんなから『わ、出た!』なんて驚かれたぐらい、我ながら似てたよ(笑)。勝三郎みたいに家族を犠牲にしてまで俳優にのめり込むつもりはないけど、俺も毎回もがき苦しみながら役を作っている。俳優と病理学者、分野は違えどひとつを突きつめていくという過程には、俺と勝三郎に共通する部分があったんだよね」
新人の頃は経験のなさから芝居をするのが苦しかったが、意外なことに今はもっと苦しいと言う。
「役者も経験を積んでいくといろんな引き出しが増えるんだけど、30年やってると引き出しも使い果たしちゃうの。それなのに周囲からの期待は高まるし、それを裏切れないとなると、追い込まれていくばかり。他の人なら、こんなもんかな、って思うようなところからさらに考えていくのが、俺の役作りの過程なんだけど、そのしつこさだけは若い子にも負けないかな。俺の心をほじくり出して見せたら、みんな驚くと思うよ。毎日面白くないでしょ、ってぐらい、役のことをひたすら考えちゃってるから。それで答えが出ないと落ち込むし、可哀想な人だよ、俺。いっそのこと芝居をしなきゃ楽なんだけど、無職になっちゃうからね。だけど、基本的にどんな作品でも、役作りのテーマを心の中に当てている限りは無限なはずで、この先も、自分のまだ知らない何かを見つけていかないと」
一方、プライベートな部分でのこだわりをたずねると「俺ほど頼り甲斐のない男はいないよ」と顔を緩ませた。こちらの引き出しはめっぽう少ないらしい。
「仕事以外では一切こだわりのない人間だから、たとえば今、家のリフォームをやっているんだけど、すべて女房任せ。前もってああしたいこうしたいって言うよりも、できあがったそこに慣れていく力の方があるんだよね」