
私たちが欲しいのは平等以上に、自由なんだと思います。
’70年代からフェミニズムの中に身を置き、運動を見てきた私としては、当時からずっと女性が本当に欲しかったのは〈平等〉以上に、〈自由〉だったと思います。親から大学に行くことを認めてもらえず、就職といっても限られた仕事しかなく、結婚し家庭に入ることだけが“女らしい生き方”…。女性たちはそういった押し付けられた〈女らしさ〉という縛りから解放され、自由に生きたかった。
よく「フェミニズム=男女平等」といいますが、平等がもし“男と同じ生き方”という意味だとしたら、私たちは別に男になりたいと思ったわけじゃない。男とか女とか関係なく、ただ、自分らしく自由に生きたい。その思いは〈女性学〉に興味を持った日からずっと変わりません。
今の状態から解放され、どんな自分になりたいか。それは当の本人にしか分かりません。逆に言えば、自分を解放できるのは他人ではなく、あなただけなんです。
自分を優先して生きる、そんな女子が増加中。
’19年の東大の入学式で、私は入試における女性差別や#MeToo運動、そして東大内のジェンダーギャップに触れながら祝辞を述べました。いろんな反応をいただく中で目立ったのが、40代女性たちの声。彼女たちは、男を立て、子育てを優先し、自分を後回しにする〈女らしさ〉を強要する“オヤジ的社会”で、それに適応しなんとか生き延びてきた人たち。祝辞を聞いて、「私は悪くなかったと気づいて号泣した」というメッセージをたくさんもらいました。一方で10代の若い子ともオンラインで交流していますが、その世代の女子は、男が女より優れているとは全く思っていないし、不当な差別にガマンする理由がないと思っている。〈女らしさ〉の美徳が「他者ファースト、自分セカンド」とされる日本で、“自分ファースト”な娘たちが大勢育ったのは歴史上の快挙です。そしてそんな娘たちを育てたのが、今の40代、50代の女性。みんな歴史に貢献しているんですよ。
うえの・ちづこ 社会学者、東京大学名誉教授、認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク理事長。日本における女性学、ジェンダー研究のパイオニア。著書に『最後の講義 完全版上野千鶴子 これからの時代を生きるあなたへ 安心して弱者になれる社会をつくりたい』(主婦の友社)など。
『anan』2023年2月1日号より。写真・内山めぐみ
(by anan編集部)