人生の先輩的女性をお招きし、お話を伺う「乙女談義」。12月のゲストは歌手の瀬川瑛子さん。実は売れない時期が長くあったようで…。第2回目は、苦労時代に感じていたこと、そしてヒットを飛ばしてからのユニークなお話です。
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長く続いた〈潜水艦歌手〉時代を乗り越えられたのは…。

どんな職業でも、順風満帆に行ける人って、そんなにたくさんはいないと思います。私は’70年のヒットの後、17年間まったく売れず。いつも下の方にいてなかなか浮上しないので、〈潜水艦歌手〉なんて呼ばれていました(笑)。私たちのような音楽をやっている歌手は、新曲をリリースすると、各地のレコード屋さんにご挨拶に回る、いわゆる〈キャンペーン〉をします。私が売れずに苦しんでいる時代も、毎年1枚は新曲を出させてもらっていたので、各地にお邪魔をすると、五木ひろしさんや八代亜紀さんなど、大スターが売れる前に書いたサインが飾ってあるのが目に入る。それを見て、「みんな頑張ってきた、辛いのは自分だけじゃない」と勇気をもらっていました。

辛いとき、大変なときは、それを内側に抱え込まないことって大事です。誰かに話せないときは、散歩をしたり、深呼吸をしたりして、心をリセットする。その上で自分を信じて頑張る。これが私の乗り越え方です。

モノマネをされるようになってこそ、一流です。

父は昔から、「将来もし瑛子が歌手になりヒットをしたとき、誰かがモノマネをしてくれたら“一流になった”と思っていいんだよ」と言っていました。当時はよくわからなかったんですが、’87年に『命くれない』という曲が大ヒットした後に、その意味を理解することに。コロッケさんや栗田貫一さんらが私の歌や喋り方のモノマネをするようになり、以後私がステージで「瀬川瑛子でございます」と挨拶をすると、それだけでお客様が沸くんです。極端に言えば、出ていくだけで笑いが起こる(笑)。最初は戸惑いましたが、その一瞬があることで、客席と私の距離が一気になくなり、会場がとてもいい雰囲気になる。

そういえば新潟駅で小さい子供に、「瀬川瑛子? “モ~”って牛のモノマネして?」と言われたことがあって、私が「モ~」と言ったら、「本当に瀬川瑛子だ!!」と言われたことがありました(笑)。今はこれも一つの幸せなんじゃないのかな、と思っています。

せがわ・えいこ 1947年生まれ、東京都出身。’87年に『命くれない』がオリコン年間チャート1位を獲得。シングル『愛恋川』(日本クラウン)が発売中。バラエティ番組などにも多数出演。

※『anan』2022年12月21日号より。写真・内山めぐみ スタイリスト・白石有梨奈 ヘア&メイク・設楽樹加

(by anan編集部)

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