――出川さんといえばリアクション芸の達人として有名ですが、最初はどういうお笑いを目指してたのでしょう?
出川:一番最初は、役者になりたかったんです。高校を出て、家の事情で京都の料亭に修業に行くことになり、その前に半年ほど、京都の尼寺で修行をしてたんです。そのときに時間ができると、太秦に行ったり、映画を観に行ったりしてて。小さい頃から映画は好きだったんで。それでいざ料亭に入るとなったとき、本当に自分はそれでいいのか、やりたいことをやったほうがいいのでは? と自問自答をした結果、やっぱり映画が好きだから、映画を作りたい、じゃあ役者になりたいと心を決めて、尼寺には土下座をして謝り、お金を貯めて、地元横浜で映画の専門学校に入ったんです。そこの同級生にウッチャンナンチャンや、役者の入江雅人がいて、卒業後に劇団を組んで、いろいろ活動をしてたんですね。そうこうしているうちに、ウンナンが徐々に売れだして、テレビに出るようになり、その流れでウンナンの番組に僕も呼んでもらうようになって…。
――役者志望が、どんなきっかけでお笑いに?
出川:ウッチャンナンチャンの番組に出演させてもらっているときです。心のどこかで、“笑いをやってれば、役者の仕事がもらえるかも…”という、ちょっと邪な気持ちがあって。でも、バラエティ番組で一緒になる芸人さんたちは、みんな笑いに対して一生懸命で、真面目で、すごくカッコイイんです。しかも笑いは、その場で答えがハッキリ出る。その潔さに惹かれて、役者とお笑いを天秤にかけるようなことはよくないと思い、笑いを頑張ろうと。ちょうどその頃、プライベートでウンナンの二人と後楽園ゆうえんちに遊びに行って、ジェットコースターに乗ったんですけど、上昇し始めたときに怖くなって、「あの、僕一人降ります」とか真剣に言ってたら、二人にそのリアクションがすごくウケたみたいで。「今度テレビで、ジェットコースター乗ろうよ」ということになり、実際そのロケをやったら、ものすごくウケたんです。スタッフからも、「キミ、リアクションおもしろいね〜」とか言われて、翌週はプロレスラーと闘い、その翌週はライオンの上に乗っかったり。そこで、リアクション芸人出川が誕生したんだと思います。
――以来30年以上、お笑い畑を突き進んできたわけですが、今あえて振り返ってみると、お笑いの何が、出川さんをそんなに惹きつけたんでしょうか?
出川:お笑い、素晴らしい仕事ですよ。目の前の人が、自分が言ったことでドッカンドッカン笑ってくれるあの快感は、一度経験したらもうダメ。中毒性があります。下手すりゃ、セックスより気持ちいい。僕はその瞬間を味わうためだけに、やってるといっても過言ではないです。それから、お客さんたちの楽しそうな笑顔。あの笑顔には、どんなものも勝てません。だからもはや、役者をやりたいなんて気持ちは、1ミリもありませんよ。
――ドラマや映画のオファーがあったらどうします?
出川:主役だったらやろうかな(笑)。
――なんと!
出川:いや、ウソウソ(笑)。機会があればぜひ。ヤクザ映画とか出てみたいですけどね。
――その、お笑いへの真摯な姿勢があったからこそ、30年走った先に、ゴールデンのレギュラーがあったのではないでしょうか。
出川:自分で言うのもなんですが、僕、運はいいんです。だって、松本(人志)さんみたいに言葉選びが鋭いわけじゃないし、さんまさんみたいに、回しがうまいわけじゃない。おもしろいことを言うとかではなく、キャラクターで勝負させてもらってるわけですからね。ただひとつ言えるのは、どんなに実力があっても、その時代、その流れにハマれないとダメなんです。僕はその、“流れに乗る運”はすごく強いと思うし、勘もいいほうなんです。僕みたいな、レギュラー番組が少なくゲスト出演が多いタイプは、ハッキリ言って毎回がオーディション。失敗したら、次はもう呼んでもらえない。30年間、常にその緊張感の中で、すべてに全力を尽くしてやってきた。ずっと、“一生懸命やってれば、誰かが見ててくれる”って思ってたんですけど、見ててくれた人がいたってことだと思ってます。
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