新鋭による、青春グラフィティ。静謐で詩情あふれる映画を思わせる。
「僕にも好きだった人や身近に感じていた塾の先生がいて、もう会うこともないけれど、もっと話したかったなとか、仲良くしたかったなと思い浮かべる人たちがいます。特定のモデルがいるわけではないのですが、思い出深い人たちといま再会したら何をしゃべるだろうかとか、どんな悩みを持っているのかな、という妄想をとっかかりに、登場人物や物語を考えていきました」
彼らのセリフは切り詰められ、映画のカメラワークを思わせる洗練されたコマが静かに進行する。
「マンガだと心の内の言葉を語らせることもできるのですが、彼らの内心を確定できなかった。わからないならいっそのこと何も語らせない方がいいと思ったんです。言葉にならない感情を描く方法として、言葉は使わず、表情で語るのはむしろよかったかなと。笑いや怒りなど、わかりやすい顔もとらせなかった気がします。お腹が痛いときに我慢して無表情になってしまうのと同じで、日々何かに耐えるような気持ちでいる人も多いのではないかと思います。自分のパニック障害もあって、症状を抑えるために感情の起伏を抑えたまま描いていた影響もあるかも」
彼ら自身は、ままならなさを抱えながらも、小さな手応えをよすがとして、ほんの少し顔を上げる。そうしたささやかな勇気がこの物語の美点であり、エールになっている。
「自分は弱い人間だと常に思っているのですが、そんな自分から見る他人は、とても強く見えることがあります。でも、足踏みしてもちょっとずつ自分が進みたい方向に進んでいければいいかなと思うし、そういう人たちに寄り添った話が少しでも描けていれば嬉しいです。ドラマの展開で読ませるわけでもなく、いわゆるロングショットで描いている場面も多く、淡々とした人物の表情も強い共感や感動には結びつかず、人と連帯することを重んじた作品ではありません。それでも、この本と出合い、自分なりに共感してくれる読者はいる気がしています」
ちなみに、上下巻を通して読むと、デジャヴというか記憶違いというか、ある種のお遊びが仕掛けられていることに気づくはずだ。
「間違い探しみたいなことって、面倒くさいけれど楽しい。どっちが本当なのかわからないのも、間違い探しならではのサスペンス感があるので、楽しんでもらえたら嬉しいです」
大横山飴『花の在りか』上・下 三ツ郎、真帆、ふたりの知り合いの“先生”が織りなす再生物語。次回作にも期待。「本作とは雰囲気もタッチも変えていくつもり。失恋のお話です」。KADOKAWA 各902円 ©大横山飴/KADOKAWA
おおよこ・やまあめ マンガ家、イラストレーター。1998年、群馬県生まれ。SNSにイラストの投稿を始め、2015年にマンガ家として商業デビュー。
※『anan』2024年7月24日号より。写真・中島慶子 インタビュー、文・三浦天沙子
(by anan編集部)