
矢沢永吉さん
日本音楽界の第一線を走り続けるレジェンド、矢沢永吉さんが、ソロデビュー50周年を迎えたアニバーサリーに、ananに降臨。国内最年長での東京ドーム公演、ニューアルバムリリースと、75歳を迎えた今なお止まらないカリスマと、夢のセッションが実現!
YAZAWAのファンは、アツいよね
5月に京都で行われ、世界中に配信された、日本の新しい音楽賞「MUSIC AWARDS JAPAN 2025」。旬のアーティストが一堂に会したこのイベントで、客席のミュージシャンを釘付けに、そして熱狂させたのが矢沢永吉さん。リムジンから降りレッドカーペットからそのままステージへ。真っ赤なコートを脱いでマイクを握り、歌い出す! 登場がかっこよすぎて、“YAZAWA”を知らない世代の心も一気に掴まれました。
―― これまでの矢沢さんの活動からすると、アワードやテレビで放送されるイベントに出ること自体が非常に稀だと思うんですが、なぜ参加されたんですか?
矢沢 そう、僕は今までああいったショーって、あまり縁がなかったんですよ。そもそもアワードというのはいま旬の方々を表彰するものじゃないですか。だからますます今回は「なんで僕?」と。でも、長い間変わらずに突っ走ってきたことに対して、「ご苦労さん、矢沢さんも出てくんない?」ってことでお声かけいただいたのかな、と思って。で、「僕でよかったらぜひ参加させてください」と申し上げた。しかも若いアーティストの中に交ぜていただける、こんなありがたいことはないですから。
―― あの登場の演出は、どんなふうに考えられたんですか?
矢沢 あのスタイルは、僕のステージでは結構おなじみなんですよ。ステージはショーだから、出方が大事。客席がざわめいてきて、それが頂点に達したところで登場すると、観ている人たちの「来た!」という気持ちとピタッと合って、最高! となる。あのときは、「赤絨毯を歩いてもらいたいんです」というお話をもらったので、じゃあそのまま歩いていってマイク振り回しちゃおうかな、だったらいつも出るときに着ている赤いコート着ちゃおうかな…、じゃあ去年のライブと同じ演出で、コートを預けて歌い出すっていうのをやっちゃおう、って。
―― 一瞬にして、“YAZAWAの世界”になりましたね。
矢沢 たぶん僕のことを初めて見て、「これが矢沢かぁ~」って人もいただろうし、「矢沢、これだよ! わかってるね!」ってなる人もいる。それも含めて、なんかすごく面白かったね。本当に楽しかったので、あのあと、京都のバーでガッツンガッツン飲みました(笑)。いま思い返しても、とてもいい夜でしたね。
―― 先ほど、“長い間変わらずに突っ走ってきた”とおっしゃいましたが、同時に、今回のアワード参加のような、新しい挑戦も楽しみたいタイプですか?
矢沢 うん、そうですね。どっちかっていうとなんでも面白がるタイプです。今回ananさんにお声かけいただいたときも、「え、世代が違うじゃん? オレでいいわけ?」って思いましたけれど(笑)、でも「面白いじゃない、やろうよ!」って。もちろんちょっぴり「でも、こんな75のおじさんで大丈夫?」って気持ちもありますが(笑)。僕らみたいな歌を歌うような仕事においては、面白がるっていう感覚は絶対にあったほうがいいと思ってますね。
―― 今年でソロデビュー50周年と伺っています。50年ロックを歌い続けてきた今の心境はどうですか?
矢沢 正直申し上げて、ここまで歌えるとは思っていなかったです。もちろん今となっては、「来たよ50年、オレ」って思ってますよ(笑)。でも僕がソロデビューしたのって24歳くらいですから、いつまでやるか、どこまでやるかなんて考えるわけもなく、ただただその日を突っ走るだけでした。いま思うと、すごい毎日でした。全国津々浦々、街から街へライブの繰り返し。ライブをやって焼き肉を食べて酒飲んで、次の街に行って二日酔いでリハーサルして、リハが終わる頃やっと目が覚める(笑)。本番はシャキッとバリバリのステージをやって。一時期は年間120本くらいのライブをやってましたからね。街から街、街から街って感じで。でもそのおかげで、津々浦々の方々と、「永ちゃん、また来てくれよ!」って思ってもらえる関係性が構築できた。さすがに今はそのスタイルでライブはできないけれど、例えば東京ドームのライブを有料で中継するってなると、いろんな地域の人が観てくださるらしいんですよ。
―― 先日横浜で開催された、展覧会「『俺たちの矢沢永吉』展」では、ファンのみなさんから想い出の品を送ってもらい、それを展示したとか。
矢沢 あの展覧会は、事務所のスタッフからの提案だったんですよ、「ボス、きっとファンのみなさん、それぞれ“矢沢永吉”への想い入れがあると思うんです。みなさんの想い出の品を送ってもらうのはどうですか?」って。それで、ファンの方々に呼びかけたら、もうすごい量が来た。5000点くらいかな。その中から選ばせてもらって約600点を飾らせてもらったんですが、改めて、YAZAWAのファンは、アツいと思いました(笑)。展覧会、9月12日から大阪でも開催されるので、よかったら観に行ってみてください。
嗄れていようがなんだろうが、本物の喉で歌うから意味がある。

―― 50年やってこられた、そのエネルギーの源はなんですか?
矢沢 ずっと音楽を愛していたから…って言ったら、それは嘘になります。僕は、音楽で有名になりたくて、成功したくて、それで生きていきたくて夜汽車に乗って上京した。その情熱に嘘はないけれど、50年の間には苦しんだり、オレには音楽しかないのかって悩んだ時期もありました。一度、1年間音楽を完全に離れて、旅をしたり、クルーザーに乗ったり、仲間とツーリングをしたりもしたんだけど、結局、やっぱり僕にとって大事なのは、ライブなんだ、ということに、改めて気づいたんですよ。ライブって大事だよね、それはオレにとっての人生だよねって。僕、お酒すごく好きなんですけれど、ライブの前は、1か月くらい平気でやめられますから。なぜかって、いいライブがしたいから。
―― なぜそこまで、ライブに魅入られるんでしょうか?
矢沢 なんだろうな…、ライブって生モノだから、本当に毎日違うんです。「今日はこの曲がすっごく良かったよね」という日もあれば、「昨日はあんなに良かったのに今日は全然納得できない」みたいな日もある。その上での、満足感とか達成感みたいなものがいいんだと思います。でも、それを50年もやらせてもらってるって、すごいことですよね。最近はもう、感謝ですよ。嬉しい、ありがたい、しかない。年取ったんだねぇ、オレ(笑)。
―― 今年はいわゆる周年イヤーですが、その感謝の気持ちがさらに大きくなったりしていますか?
矢沢 なるよねぇ。「ありがとうございます」って気持ちが深くなるの。ジジイになった証しですね(笑)。ちなみに僕ね、武道館公演100回達成したときに、MCで、「よくスポーツ選手が“みなさんのおかげです”って言うけれど、アレを聞くたびに腹が立ってね。“みなさんのおかげじゃねぇよ、オレが100回公演やったんだよ”って思ってたんですが、いざステージからみなさんの顔を見ていると、やっぱりみなさんのおかげです」って言ったら、会場爆笑(笑)。
―― 武道館公演は157回やられていて、最多公演記録をもってらっしゃるそうですね。 そうなんです。
矢沢 この間「300回までやってください」って言われて、「ふざけるな(笑)」って言いましたけれど、声が出る限り、みなさんが観たいと言ってくださる限り、ライブはやりたいです。そのためには体を鍛えて、声も衰えさせないように。いま思うと口パクをしないで、自分の喉で歌い続けてきてよかったなって。ボイストレーニングもやってますけれど、歌うこと自体がトレーニングになりますから。
―― 実は50年間で、口パクをしたこともあったり…?
矢沢 ないない、僕はない。ないけど、何度か思ったことはある(笑)。というのは、本気で歌って歌って歌うと、喉がどうしようもない状態になることもあるんですよ。だから、喉を外して井戸水かなんかでわーって洗ってカーッとすすいで、干す! 干してカリッカリに乾いたのを戻すと、パキッと声が出る…みたいにできたら、便利でいいのになぁってよく思う(笑)。出るときは「嘘?!」ってくらい出るし、「なんでこんなに声が出ないんだ…」ってときもある。でもそれがライブだし、嗄れてようがなんだろうが、本物の喉で歌うから意味があるんじゃないのかな、と思いますけどね。ただね、みなさん自分のスタイルがあるだろうから、周りがどうこう言うことではないし、僕はそう思ってますっていうことです。だからこそ、声が出るうちはやり続けたいなと思います。
「真実」のメロディを生み出せたことが、幸せ

―― 9月24日には6年ぶりのニューアルバム『I believe』がリリースされますが、その中に収録される曲「真実」が、一足先にドラマの主題歌として公開されました。切なく甘い、ラブバラードですね。
矢沢 もともと僕、いろんなラブソング、いろんなメロディを書いてきましたが、この「真実」は、ふっとメロディが湧いてきた。作った本人が言うのもなんですが、サビができたときに、「オレ、天才なんじゃねえか?」って思いました、そのくらいすごく良いメロディ(笑)。
―― 矢沢さんのファンの間では〈矢沢のバラード〉という言葉があるくらい、矢沢さんの楽曲には名バラードが多いですよね。
矢沢 このメロディができたとき、あまりに気に入って、歌詞ができる前からずっと口ずさんでいたんですよ。行きつけの飲み屋で「今回のバラード、ヤバいんだよ」とか言って、歌ってたわけ。大将はたぶん「矢沢さん、また歌ってるよ…」って苦笑いしてたと思うけど。でもそのくらい、このメロディが好きで、なんならこれを生み出せたことが本当に幸せだったんです。しかも75歳で。
―― メロディを書いた時点で、すでにラブソングにしようって決めていたんですか?
矢沢 僕は歌詞は作詞家の方にお願いをするんだけれど、作詞家がどうするかなってところもあって。ラブソングになるかどうか、可能性は半々なんですよ。だから絶対にラブソング、って決めているわけじゃない。
―― なるほど。今までさまざまな方が矢沢さんに歌詞を書いてこられましたが、この曲は、大ベテランの森雪之丞さんですね。
矢沢 初めてお願いをしたんです。僕がメロディの良さに酔いしれていたら最初の歌詞が届いて、それがもう素晴らしくて。1~2点だけリクエストをつけてお戻ししたら、返ってきた詞がもっと素晴らしいものになっていて、最終的な歌詞が上がったときには「これは決まりだな」って感じでした。
―― レコーディングのときは、どんな想いを込めて歌われたんですか?
矢沢 歌詞の内容、そのままの気持ちです。今、いろんな意味で世の中が大変じゃないですか。朝起きると、どこかの国がどこかの国に介入した、みたいなニュースが聞こえてくるし。世界はどうなっちゃうんだ、という中にいるからこそ、僕はラブソングを書きたいし、歌いたいんですよ。カッコつけているわけではないけれど、僕はレコードを作ることとステージに立つことしかできない。音楽って、しょせん音楽なんです。僕は昔から、直接的に音楽で政治がどうとか、世の中がどうとかってことは、あんまり言いたくないなって思ってました。だからこそ、ラブソングを歌いたいっていう気持ちが、一層強くありますね。せめて、ど真ん中のラブソングを。なんでしょうね、僕なりの想いなんです。
―― 今年はこのあと、東京ドームでのライブと、武道館を含む全国ツアーが待っています。忙しい日々の中で、素に戻ってリラックスできる時間はありますか?
矢沢 毎朝起きたら、うがいをして、きれいな水を飲んで、自分でコーヒーを淹れるんです。ミルで豆を挽いて。ゆっくり落として、ゆっくり飲む。一番リラックスしているのは、その時間かな。旅行をしたり、なにか素敵なものを見に行ったり、レストランを食べ歩きするようなこと、全然しないわけではないですが、そういうことに比重を置いている人生ではないんです。なんか寂しいな、音楽しかやっていないで、もうちょっとそっちに比重を置けない? って何度も思うんだけれども、これが僕の人生だよね、とも思う(笑)。いろんなことの代わりに、僕だけがもらったものも、ちゃんとあるわけだしね。だから若いみなさんも、素敵な人生を掴んでください。自分の手で。
Profile

矢沢永吉
やざわ・えいきち 1949年生まれ、広島県出身。1972年ロックバンド「キャロル」でデビューし1975年に解散。同年ソロデビュー。9/24に6年ぶりのニューアルバム『I believe』(ユニバーサルミュージック)を発売。年内に東京ドーム公演と全国ツアーが控える。
2枚目・ジャケット¥99,000※パンツとセット価格(テーラーガーメンツ TEL. 03-3664-2911) その他はスタイリスト私物
3枚目・ライダースジャケット¥319,000(バックラッシュ TEL. 03-3462-2070) その他はスタイリスト私物
写真・伊藤彰紀(aosora) スタイリスト・黒田 領 ヘア&メイク・谷森正規 取材、文・河野友紀 撮影協力・ジェンマイワークス
anan 2460号(2025年8月27日発売)より