小島秀夫の右脳が大好きなこと=⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚫︎を日常から切り取り、それを左脳で深掘りする、未来への考察&応援エッセイ「ゲームクリエイター小島秀夫のan‐an‐an、とっても大好き⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎⚫︎」。第26回目のテーマは「2025年のこんにちは」です。


「世界の国からこんにちは」(注1)という1970年に三波春夫が歌い、空前の大ヒットを記録した流行歌がある。

こんにちは こんにちは 西のくにから
こんにちは こんにちは 東のくにから
こんにちは こんにちは 世界のひとが
こんにちは こんにちは さくらの国で
一九七〇年の こんにちは
こんにちは こんにちは 握手をしよう

こんにちは こんにちは 月へ宇宙へ
こんにちは こんにちは 地球をとび出す
こんにちは こんにちは 世界の夢が
こんにちは こんにちは みどりの丘で
一九七〇年の こんにちは
こんにちは こんにちは 握手をしよう

こんにちは こんにちは 笑顔あふれる
こんにちは こんにちは 心のそこから
こんにちは こんにちは 世界をむすぶ
こんにちは こんにちは 日本の国で
一九七〇年の こんにちは
こんにちは こんにちは 握手をしよう
こんにちは こんにちは 握手をしよう

35回も“こんにちは”が繰り返される。それは、世界各地から“あるところ”へ向けて、呼びかけられている。二番では、月や宇宙といった地球外へと“あるところ”から反響していく。その発信源は、さくらの国→日本の国→みどりの丘と読み解ける。“あるところ”とは、大阪の千里丘陵だ。この歌は、1970年に開催された“大阪万博(EXPO’70)”のテーマソングなのだ。

大阪万博は、「人類の進歩と調和」というテーマを掲げ、1970年3月15日から9月13日までの183日間、開催された。76カ国、4国際機関、1政庁(香港)、アメリカ3州、カナダ3州、アメリカ2都市、ドイツ1都市、2企業が参加。1日に最大83万人以上もの人が詰めかける歴史的フィーバーとなり、閉幕時には来場者総数6421万8770人を記録した。日本国内だけではなく、世界中が“さくらの国”に熱狂し、“こんにちは”したのだ。

万博開催時、僕は小学校に“こんにちは”したばかりだった。会場の大阪府吹田市の千里丘陵に隣接する茨木市に住んでいたおかげで、何度も訪れることができた。十数回は行った。平日なら下校してから訪れることもできた。遠足も勿論、万博だった。太陽の塔、日本館、三菱未来館、虹の塔、電気通信館、フジパン・ロボット館、ガス・パビリオン、富士グループ・パビリオン、日立グループ館、松下館、みどり館、三井グループ館、リコー館といった国内最先端企業のパビリオン。オランダ館、カナダ館、スイス館、英国館などの外国や州、都市主催のパビリオン。ソ連館などは、外を一周半も並び、2時間以上も待機して入場できたほど。残念ながら、“月の石”(注2)が目当てのアメリカ館は混みすぎていて、この眼で拝むことはできなかった。出始めたばかりの親父の自動照準カメラ(リコーオートハーフ EXPO’70モデル)を借りて、写真を撮りまくった。どのパビリオンでも、入館すると記念のバッジを貰えた。子供達は、それを集めては自慢し合った。万博には、“日本庭園”(注3)や遊園地である“エキスポランド”(注4)が併設されていた。だから何度訪れても飽きることはなかった。日本にディズニーランドがなかった時代の話だ。

僕は万博で間近に体験した“未来と世界の調和”に、岡本太郎や小松左京、丹下健三や黒川紀章、コシノジュンコや森英恵にも“こんにちは”と“握手”をした。すべてが、衝撃の“第三種接近遭遇”だったのだ。テクノロジー、科学、デザイン、ファッション、歴史、世界、文化、社会。あの時の“こんにちは”が、その後の僕を形作ったと言ってもいい。万博と“握手”することで、僕の人生とその後の未来像は変わった。1970年は、僕の紀元前、紀元後の境だ。万博の凄さは、最先端のテクノロジーと未来の日常を垣間見せるだけではなかったところだ。さまざまな国、民族、人種、宗教、世界中の慣習や歴史の多様性を見せてくれた。まさに“過去と未来”“世界と調和”のありようそのものだった。もしあの万博がなければ、僕の未来志向もグローバリズムも育たなかっただろう。“メタルギア”も“デススト”も生まれては来なかった。

6年前に“EXPO 2025”の準備委員会の人たち(経済産業省や万博計画具体化検討ワーキンググループ)が参考意見を聞くために、大勢押しかけてきたことがある。彼らのピッチには、「会場への輸送は既存の地下鉄である」ことなど、あらゆる点で万博感、未来感が欠如しているように感じられた。展示物だけではない、移動手段や待機列にも“来る22世紀”を想起させる万博でないといけない。僕は、さまざまなアイデアと知見、ゲーム世代のクリエイターとしての提案を行ったが、あの万博を経験していない若者官僚たちは、「お金がないのですよ」と苦笑するだけだった。その後、彼らとは連絡を取っていない。

コブクロが歌うEXPO 2025のテーマソング「この地球(ほし)の続きを」は「世界の国からこんにちは」をリスペクトするかのように、“桜”“海”“地球”“夢”を踏襲する歌詞になっている。ところが“こんにちは”は8回しか連呼されない。

4月末現在、21世紀の大阪万博に“こんにちは”した来場者の7割強は50歳以上だという。つまり、昭和の万博経験者だ。残念ながら、僕の周囲で万博に行こうとする若者は少ない。開催以降も毎日のようにネガティブなニュースが流れてくる。それでも僕は21世紀の万博で、世界の国からの“こんにちは”をしたい。世界に、未来に、大阪にもう一度、“握手”をし、“2025年のこんにちは”を言いたい。あの“1970年のこんにちは”が幻ではなかったことを確かめたい。

注1:「世界の国からこんにちは」 1970年の日本万国博覧会(大阪万博)のテーマソング。作詞・島田陽子、作曲・中村八大。三波春夫、坂本九、吉永小百合などによる競作としてレコードを発売。
注2:月の石 1969年にアポロ12号が月面から採取してきた石。
注3:日本庭園 大阪万博開催に合わせて建設された26ヘクタールの庭園。2024年に国登録記念物として文化財登録された。
注4:エキスポランド 1970年に大阪万博のアミューズメントゾーンとして開設され、万博後は遊園地として営業、2009年の閉園まで運営された。

今月のCulture Favorite

ラジオ番組『KOJI10』に西島秀俊さんがゲストとして登場。

俳優のビル・スカルスガルドさんとのツーショット。

プラダ 青山店にてニコラス・ウィンディング・レフン監督との展覧会「SATELLITES」が8/25まで開催中。

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Profile

小島秀夫

こじま・ひでお 1963年生まれ、東京都出身。ゲームクリエイター、コジマプロダクション代表。’87年、初めて手掛けた『メタルギア』でステルスゲームと呼ばれるジャンルを切り開き、ゲームにおけるシネマティックな映像表現とストーリーテリングのパイオニアとしても評価され、世界的な人気を獲得。世界中で年間最優秀ゲーム賞をはじめ、多くのゲーム賞を受賞。2020年、これまでのビデオゲームや映像メディアへの貢献を讃えられ、BAFTAフェローシップ賞を受賞。映画、小説などの解説や推薦文も多数。ゲームや映画などのジャンルを超えたエンターテインメントへも、創作領域を広げている。

JASRAC 出 2503373‐501 写真・内田紘倫(The VOICE)

anan 2448号(2025年5月28日発売)より

最新作『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』新たなトレーラーは、こちら!

先日アメリカで行われた、SXSW2025イベントステージのアーカイブが公開中です。

「The Game Awards 2023」にて発表した、最新作『OD』の公式ティザートレーラーが、KOJIMA PRODUCTIONSの公式YouTubeチャンネルで公開中。

先日、完全新作オリジナルIP『PHYSINT(Working Title)』の制作を発表。

「DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH Game Premiere」のアーカイブはこちら!

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本当は友達になり得るのに、最初の印象が良くなくて悪く言いそうになる。でも、実際に話してみると意外と気の合う人だった、というような意味を持つ日です。つまり、誤解して拒否しそうになるが、そこでハッと気づいて思いとどまり、後には良い関係を築けるというもの。先入観で決めつけず、相手の心を知ることが重要です。

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