高妍 『隙間』3

台湾・台北生まれの注目漫画家、高妍(ガオ イェン)さんの最新作『隙間』が生まれた舞台裏。anan(2447号)に掲載したインタビューに、本誌には収まりきらなかったエピソードを加えたウェブオリジナルのロングバージョンでお届けします。

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    インタビューを行ったのは、高妍さんが連載の最終話に取りかかっていらっしゃるタイミング。「朝5時まで原稿をやっていたので少し眠いです」と言いながらも、ずっと笑顔で話してくださった高妍さん。作品と同じぐらいステキな方でした。本作が生まれたきっかけや、執筆中の想いを伺います。

    沖縄へやってきた台湾出身の少女の、忘れがたい愛と成長と記憶のスケッチ

    音楽や物語、とりわけ日本のカルチャーを愛する台北出身の少女・緑(リュ)の恋と成長の物語『緑の歌 - 収集群風 - 』。2022年に台湾と日本で同時刊行され、両国で瞬く間に人気を集めた。その著者である高妍さんの連載『隙間』がいよいよ佳境を迎えている。

    『隙間』の主人公は、楊洋(ヤン ヤン。以下、ヤン)。緑と同じように、カルチャーを手がかりに、自分の世界を広げていく少女だ。

    「緑の音楽に夢中で好きな細野晴臣さんのためならどこまでも行けるみたいな衝動や、ヤンの自分の恋愛感情をどう扱っていいのかわからない不器用さ…。二人には共通するものがいろいろあります。創作のきっかけが、“ひとりのふつうの女性の生き方を通して、青春の記憶というものを留めておきたかった”というのも一緒ですね」

    「沖縄と台湾は似ているなと思ったことが何度もありました」

    台北で暮らすヤンは病気の祖母の介護をしていたが、唯一の身内だった大切な祖母が逝き、密かに思いを寄せていた青年Jに恋人がいることも知ってしまう。失意の苦しさから逃れるように、芸術大学の交換留学生として沖縄に渡る。

    「私自身、2018年から19年の1年間、沖縄県立芸術大学に留学していた経験があります。海や植物、戦争や抵抗の歴史、大通りからちょっと入った路地裏や人間の温かさなど、沖縄と台湾は似ているなと思ったことが何度もありました。

    ただ、そのときは日本語がまだそれほど流暢ではなくて、台湾の政治的な立場や国際的な関係性を日本語でうまく伝えられないことがちょっと悔しかったんですよね。もしもっと日本語が上達したら、私の考えや経験や私の知っている限りの知識もみんなに共有できるんだなと思って。だから、そのころから『いつか沖縄と台湾の物語を書きたいな』と思っていた気がします」

    ヤンは、「理不尽さに目をつぶり、なんとなくその場に空気合わせること」が嫌いな、芯のある女の子だ。その一方で、繊細で傷つきやすく、自分は間違っていないと思いながらも、そう主張することで他者を傷つけることを恐れてもいる。そんなヤンに、読みながら共感や憧れを覚え、惹かれずにはいられない。

    「作中で起きる出来事やそれによって動くヤンの感情は自分の実体験から着想したものではありますが、それでも『ヤンならどんな反応をするかな』『このあと、どんな人と出会って、どんなふうに変わっていくかな』と想像を働かせて描きました。

    ヤンはやはり自分に近いところもあるのですけれど、私の性格も、友達と一緒にいるときと、仕事をしているときではちょっと違う部分もあると思うので、そういう部分も全部ひっくるめてという感じです。もちろんそれだけではなくて、私の周りの友達や尊敬する人たちの性格や体験なども入れていて、総合体みたいな存在ですね」

    そんなヤンは、住んでいるゲストハウスで親しくしている由里香や、大学の友達の京子やナナミ、同じ交換留学生たちと交流する中で、あらためて、自分の中にある故国への思いやアイデンティティを見つめていく。

    「描きたいのは、お互いにていねいに話し合ったり理解したりしようとする姿勢の大切さ」

    「たとえば、作中で、ヤンが中国人留学生の李謙(リーチェン)と口論のようになってしまう場面があります。これはいわば国ごとの歴史教育の違いから生まれてくる話でもありますよね。台湾もそうだったのですが、自分が大人になってからあらためて台湾の歴史を勉強したら、私が習った当時の教科書の中には書かれていなかった、けれどすごく大事な歴史の事件やその背景というものがいくつもありました。日本で生まれ育った人も、いままで受けてきた日本の歴史教育は本当にすべて正しいのかという批判的な目を持って見直すことも大切だと感じています。ヤンと李の間にも、そんな互いの知識のちょっとずれた部分や誤解があったと思うんですね。ヤンは、そうやってさまざまなきっかけで、自分のナショナルアイデンティティというものを意識していきます。もっとも、私がこのマンガを通して描きたいのは、お互いにていねいに話し合ったり理解したりしようとする姿勢の大切さなんです」

    台湾は、先人たちのアクションで民主化を実現させ、同性婚を事実上、アジアで初めて法制化した。作中には、〈自分の力でたくさんのことを変えられるんです〉〈そうだ 次は 私たちがやるんだ〉というセリフも登場し、「個人の行動がいつか世界を変える」という本作のメッセージにも呼応している。そうした希望をヤンヤンが持ち続けられるのはなぜなのだろう、と尋ねてみた。

    「面白い質問だなと感じて、私自身も考えてみました。実は、台湾の民主化が始まったのは1987年、まだ38年なんですね。民主化の短いまだまだ若い国だと思います。強い表現になりますが、歴史のない国とも言えます。けれど、歴史がないからこそ、いまやっていることが全部歴史になるという自信があるんですよ。

    たとえば、台湾では投票率がいつも高いです。民主化の短い国ではよくあることで、自分の投じる一票はただの一票ではなくて、本当に未来を変えられる一票だと、誰もが、もちろん若い世代も、考えています。逆に、民主化して長いヨーロッパや、日本でも投票に全然興味のない人が増えていますよね。台湾のいまの状況を見ると、もちろんいろんな無力感を感じることもたくさんあるんですけれど、それでもみんなが未来や希望を信じられるんだと思います」

    「“隙間”というのは、人間的で美しい言葉」

    ちなみに、タイトルになった〈隙間〉という言葉は、台湾華語では「間隙」と書くらしい。

    「意味は同じです。ものとものとの距離や、時間と時間とのの“距離”を意味します。この言葉は、人にも当てはめられるなと思うんですね。いち台湾人としては、日本人とどんなに仲良くなっても、政治に対する考え方や価値観や教育の違いなどでちょっと距離を感じることはある。おそらく日本人同士でもありますよね。隙間というのはそんな人間的で美しい言葉だなと思っていたので、タイトルにも使いたかったんです」

    また、本作を手に取るとうっとりしてしまうのは、ひとえに高さんの画力の高さにある。驚くことに、装画・装幀だけでなく、ブックデザインも高さん本人がしているそうだ。

    「第1巻の装画は台湾の風景を描くと決めていました。鹿も一緒に描いたのは、濱口竜介監督の映画『悪は存在しない』のテーマにあったメッセージを援用したからです。鹿は、普通の生活の中では誰かを攻撃しないけれど、危険を感じた時は攻撃的になるらしいので。第2巻は、できれば台湾なのか沖縄なのかわからない風景も描きたいなと思っていたので、二カ所をつなぐ海辺にしました。台湾と沖縄の共通点がアダンの木や実です。外国に行く人は渡り鳥みたいな感じだなと思っていたので、風景と合わせて描く動物は渡り鳥のダイサギにしました。第3巻は沖縄の石畳の風景ですね。私の中では、沖縄のイメージに野良猫があります。各巻とも、どんなカバーイラストを描くのかを考える作業はとても楽しかったです」

    第4巻は、6月12日に刊行。装画はヤギで、その理由は作中描かれているとのこと。ヤンの成長とともに確かめてみてほしい。

    ※ このインタビューはすべて日本語で行われました。高さんの語学スキルにも脱帽です!

    Profile

    高妍

    ガオ イェン 1996年、台湾・台北生まれ。デビュー作『緑の歌 - 収集群風 - 』は、「このマンガがすごい!2023オトコ編」で第9位に輝いた。村上春樹さんの著作『猫を棄てる  父親について語るとき』の装・挿画や、ピクチャーブック『四月のある晴れた朝に100%の女の子と出会うことについて』を手がけるなど、イラストレーターとしても存在感を発揮している。

    information

    『隙間』3

    カバー画に描かれている動物にも注目。1巻は鹿、2巻は渡り鳥のダイサギ、3巻は野良猫。実は隠された意味があるので考察してみては。4巻で完結。KADOKAWA 880円 Ⓒ高妍/KADOKAWA

    写真・中島慶子 インタビュー、文・三浦天紗子
    Check!

    No.2447掲載

    人間関係の距離感。

    2025年05月21日発売

    私たちにとって永遠のテーマである人間関係、そして距離感。その最適解を探る特集です。みんなが日頃心掛けていることや起こりがちなトラブルをピックアップし、近づく、遠ざける、職場でスムーズな関係をキープする、といった方策を距離感ごとに探ります。解散コンサートを控えたユニット・Chi☆Qの時代を駆け抜ける煌びやかな特写のほか、BE:FIRSTのSHUNTOさん、timeleszの猪俣周杜さんのCLOSE UPを掲載。

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    時が味方するのを待つ必要はありますが、「これからは〇〇が重要になるはず」「〇〇の時代だ」との思いで、その必要性を知らしめようとする意味の日です。パフォーマンス的に派手な見せ方をする場合もあるでしょう。しかし冒頭に書いたように、時代が追い付かないと人々はその価値や意義に気づきません。焦りは禁物です。

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