黒柳徹子さん

2000号、創刊50周年記念号に続き、アニバーサリー号である55周年記念号に黒柳徹子さんが3度目の登場。パンダへの深い愛、若き日に抱えた思い、そして読者へのメッセージも伺いました。


日本のエンタメ界に欠かせない存在の黒柳徹子さん。女優であり司会者であり、そしてこの雑誌の名付け親の一人でもあるのです。

「小さい頃、アメリカ帰りのおじさんからおみやげにもらったぬいぐるみが、私とパンダの最初の出会いでした。白と黒の熊みたいなデザインがかわいいなぁと思って、戦時中も大事に持っていて。本物がいるとわかっていつかこの目で見たいと夢見ていたんです。

戦争が終わり、私ももう働いていた1967年に、ロンドン動物園にパンダを見に行けることに! そこにロシア(当時はソ連)から1頭のパンダが繁殖のために貸し出されてきていたのが、“アンアン”という名前の雄のパンダだったの。かわいくてかわいくて、帰国後にあれこれみやげ話をしていたら、クリエイターの友達が“アンアンって名前、洒落ててかわいい!”と盛り上がり、その中に出版社の人がいて、『anan』という名前の雑誌が誕生するきっかけの一つになったんです。

今もしパンダのアンアンに会えたら? “日本の一流雑誌にあなたの名前がついたのよ”って教えてあげたいわ」

現在、日本パンダ保護協会の名誉会長を務める徹子さん。パンダへの深い愛はよく知られており、もちろんパンダのふるさとである中国に足を運んだことも。

「少し前に四川省にパンダを見に行ったとき、何頭か入った檻についていた看板に“日本から帰ってきた優浜(ゆうひん)です”的なことが書かれていたんです。なので、“おーい優浜、日本語わかる?”って呼びかけたら、私の前にササーッと歩いてきた子がいて、さてはこれだな、と。それで“あなた寂しくない? 日本語懐かしいでしょう”って言うと、はいはい、みたいな顔をするわけ。

いろいろ話しかけて、最後に“これからは中国語に慣れて、中国の友達と仲良くしなさいね”って言ったら、わかった、みたいな顔をしてました(笑)。私が若い頃は、それこそ中国は砂漠の向こうくらい遠い国でしたけれど、今は個人でも行けるようになりましたから、日本にいたパンダに会いに、また中国に行けたらと思います」

そんなパンダの名前を冠し、またマスコットとしてもパンダを愛でているananは、今年55周年。ちなみに徹子さんが司会を務めているトーク番組『徹子の部屋』は、来年50周年。一つのことを長く続けるうえで大事にしていることを聞いてみると…。

「常に新鮮な気持ちで向き合う。それが一番大事なことだと思います。いつも親しみやすくあること、それから元気であることも。『徹子の部屋』は何度も来てくださるゲストがいらっしゃいますが、そういう方でも初めてお会いしたような気持ちでお目にかかるようにしています。だから初めてのゲストや、若い方をお招きするのも本当に楽しい。この間、藤井風さんがいらしたときは、とっても気が合ってしまって、後日お食事もご一緒して、すごく仲良くなっちゃった。

結局やっぱり一番大事なのは、好奇心なのよね。小さい頃から私は“なんで? なんで?”を繰り返す子で、今でもそれが尽きないんです。まあ最近はみんなに“うるさい”って言われちゃうからあんまり言わないようにしているんだけど(笑)。まあとにかく私は、好奇心がなくなったらもうテレビは出なくてもいいかなって思ってるくらいよ(笑)」

第1回の開催以来、タレント、モデル、アーティスト、アスリート、作家、クリエイターなど多彩な分野から選出してきた「ananAWARD」。黒柳さんには毎回、“開会の挨拶”をお願いしています

徹子さんがテレビ女優第一号の道を歩み始めたのは、今を遡ること約70年前。NHK専属女優となり、日本のテレビ放送開始とともに、ラジオにテレビに出演するように。とはいえ、実は俳優を目指していたわけではなかったそう。

「テレビという新しいメディアができる、それに出演する新人を募集する、という試験を受けたのは、“いつかお母さんになったとき、子供に絵本を上手に読んであげられる人になりたいな”という思いからだったんです。有名になろうとも思っていなかったし、ましてやこんなに長くテレビの仕事をすることになるなんて、全然思っていませんでした。私がそんな気持ちだったからなのかはわかりませんが、最初はNHKと私の気が合わなくてね。でも続けるうちに、今ここに私が居合わせたのも何かの縁だから頑張ってみようかな、と思えるようになったんです」

特に若いうちは、いろんな壁にぶつかったといいます。

「偉い人たちから、いろんなことを言われましたよ。なかには“お前のおしゃべりのせいで日本語がおかしくなる”なんて言う人もいました(笑)。でも、そんなこと私、いちいち気にしていませんでした。そんなことより、私は私って。それから、そんな中で私を認めてくれる方と出会えたのも大きかったです。当時、私たち研修生の受け持ちみたいなお立場に大岡龍男先生という方がいて、その先生が“そのままでいい”と私の個性を認めてくださったんです」

この大岡先生、実は高浜虚子に弟子入りをした俳人で、有名な文筆家。でも徹子さんも最初は、“ただのおじいさん”にしか見えなかったとか。

「当時大岡先生は60歳前後だったと思うんですが、21歳の私にとってはおじいさんだったんです…。だからこそ、後日すごい方だってわかってびっくりしたんですけれど(笑)。少しでも自分に目をかけてくれたり、自分を気にしてくれる方がいたら、相手が何歳でもその出会いを大切にし、仲良く付き合う。それがいい未来に繋がるカギだと思います」

anan読者にとって、徹子さんは働く女性の先輩でもあります。後輩たちに、伝えたいことはあるかと伺うと…。

「人からどう見えるかとか、見栄えとか、いま自分は何歳だとか、気にしないこと。そういうことを考えず、いま目の前にあることに全力で向かっていってほしい。周りから“あの人ちょっと変わってるね”と言われることもあるかもしれないけれど、人がなんと思おうと、自分がよければいいじゃない。

私もね、この年になっても食べることが大好きで、すごくたくさん食べるの。たまに“え、そんなに食べるんですか?!”と驚かれるけど、全然そんなの気にしてないわ。あんまり人に迷惑をかけちゃいけないからある程度は気を遣いながら、だけど、自分のしたいようにやっていきましょう。上の人から何か言われたら、古い言葉ですけれど、“今に見てろ…!”って思えばいいわ(笑)。実際、私がそうだったから!」

Profile

黒柳徹子

くろやなぎ・てつこ 東京都出身。1953年、NHK専属女優第一号としてテレビデビュー。トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)は来年50周年を迎える。テレビ番組だけでなく、舞台でも活躍。またYouTubeチャンネル「徹子の気まぐれTV」も人気。Instagram

写真・下村一喜(AGENCE HIRATA) スタイリスト・大野美智子 ヘア・松田コウイチ(MAHALO) メイク・MAHIRO 取材、文・河野友紀

anan 2474号(2025年12月3日発売)より
Check!

No.2474掲載

創刊55周年記念号

2025年12月03日発売

黒柳徹子さん、林真理子さん、酒井順子さん、江原啓之さん、SixTONES、Snow Man、岡田准一さん、山田涼介さん、timelesz、乃木坂46、劇場版『名探偵コナン』、ちいかわ、なにわ男子、Travis Japan、Aぇ! group、辻村深月さん、湊かなえさん、青山美智子さん、加藤シゲアキさん、稲垣吾郎さん、中島健人さん、Perfume、小島秀夫さん。伝説の連載、村上春樹さんの「村上ラヂオ」も一号限りで復活。創刊55周年記念号だからこそ叶った、超豪華ラインナップ。最強のときめくスターが大集合した、お祝いムードあふれるまさに日本トレンドの歴史書、永久保存版の一冊です。

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