昨年末、原作が好きだった映画『六人の嘘つきな大学生』を観に行った。浜辺美波さんの就活スーツ姿やワーカホリックなエリートOL姿を堪能することができた。ところが、嘘に翻弄される就活を題材にした本作を鑑賞したおかげで、39年も前の自分の就活を思い出した。
僕が就活をしたのは、まだ企業(経営者団体)と学校の間に“就職協定”(注1)なる暗黙の掟があった1985年。就職氷河期(注2)ではなかったが、バブル(注3)以前だったのもあり、売り手市場とは言えなかった。二流私学の文系卒、体育会系クラブにも所属していない、海外留学もしていない、何のコネもない僕にとっての就活は、かなり不利な状況だった。もともと絵画や彫刻が好きだったのもあり、美大進学を希望していたものの、父親の急死で諦め、「就職に良い」とされた某私学の経済学部に安易に潜り込んだのだ。入った研究室も就職に良いからとの理由からだ。ゼミ生のほぼ全員が銀行員や証券マンを目指していた。そんな中で、僕はクリエイティブな仕事を切望していた。とはいえ、就職浪人も大学院へ進む余裕もなかった。
仕方なく、自分に嘘をついて就活を始めた。まずは就活に慣れる必要があると考え、早い時期にスタートする企業から試した。リクルート・スーツ一式を新調する必要はなかった。4年間、結婚式場でビデオ撮影のアルバイトをしていたため、スーツやネクタイ、正装には慣れていた。両親が製薬関係だったこともあり、医薬関係を含めた製造業から回った。大手の上場企業や外資系では、書類審査(大学名)だけで落とされる。やっと数名の合同面接に通されても、居並ぶ競争相手はガタイのいい体育会の主将ばかり。面接官に「小説を書いていました」と言っても、失笑されるだけ。電話と郵送、靴の底を減らしては彷徨う、まさに殺人事件を追う昭和の刑事のような就活だった。人気企業では、会社説明会で名前を覚えてもらわないと次の選考に進めないところもあり、そこでは、わざと奇を衒った質問をして、注目を集めないといけない。皆が自分を隠し、企業に合わせて、カメレオンの様に擬態するほかなかった。その偽りの毎日は、夢を追いかける就活からは程遠かった。そんな折、ある医療機器メーカーの会社から最初の内定通知が届いた。
その内示の会見時、溜まりに溜まった本音を人事部長に吐露してしまったのだ。驚いたことに、人事部長は「小島くんは、クリエイティブなほうが向いている気がする。そっちで勝負しなさい」と、背中を押してくれた。そこからの就活は、ゲーム業界とおもちゃ業界に的を絞った。夢を創造する仕事、中でも企画職に就きたいので、各社に毎回、異なる企画書を持参した。もう嘘をつく必要はなくなった。これまでやってきたこと、小説を書いてきたこと、物創りの実績を真摯に語り、作品集やアイデア帳などを見せて回った。
ある日、新幹線代を出して貰い、大手ゲーム会社の東京本社に呼ばれた。そこで「内定を出したいので、他を断ってください」と言われた。だが、上京すると母親が一人暮らしになる。だから、関西勤務を希望していた。そこで、狙ったのが、神戸に本社があったコナミ。創業以来、初めての企画職の採用とあって、同期の新卒社員とは異なり、僕だけは5回以上も面接があった。最終面接前の実技試験では、「うちでは、企画職のテストは用意してない」と言われ、急遽デッサンの試験を受けさせられた。
関西には、大きな会社がもうひとつあった。誰もが知る京都にある老舗の玩具会社。会社説明会には出席して、エントリーはしていた。その京都から電話があった。季節は夏になっていた。「小島さん、是非、試験を受けにきてください!」と。京都からの電話が切れた直後、コナミの人事部長からも電話があった。「小島くんは、うちが第一志望だと聞いていますが、他にどこか受けているところは?」と。正直に京都の会社名を挙げた。すると、「他を断れば、いますぐ内定を出します」と含みのある返事を伝えてきた。そこで僕は“神戸”を選んだ。コナミが当時、業界で唯一上場していたことも理由の一つだ。8月終わりの地元の花火大会。そこで、久しぶりに会った彼女に就職が決まったことを告げた。彼女は安心したのか、眼を潤ませて、花火をずっと見上げていた。その涙を見た時、僕の就活は終わった。
社会人2年目から、ずっと面接側に座っている。学生の嘘を聞く側だ。ところが、面接する側も嘘をつく。個人の意見ではなく、企業側の代表となるからだ。嘘と嘘が出会う場、それが面接だ。ただ僕は、嘘はつかない。会社の代表だからではない。学生とも誠実に対面する。向いていない人には忠告もする。僕の人生を変えた、もう名前も覚えていないあの人事部長の様に。
注1:就職協定 1953年から大学と企業との間で結ばれた、学生の就職活動に関するルール。“青田買い”などを防止するために作られたが、徐々に形骸化し1996年に廃止。
注2:就職氷河期 1993年から2004年頃の、景気の悪化により就職が困難になった時期を指す。
注3:バブル プラザ合意をきっかけにした、1980年代後半から1990年代初頭にかけての好景気を表す通称。さまざまな経済問題、社会問題が生じた結果、1990年頃から終焉を迎えていく。
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PROFILE プロフィール
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小島秀夫
こじま・ひでお 1963年生まれ、東京都出身。ゲームクリエイター、コジマプロダクション代表。’87年、初めて手掛けた『メタルギア』でステルスゲームと呼ばれるジャンルを切り開き、ゲームにおけるシネマティックな映像表現とストーリーテリングのパイオニアとしても評価され、世界的な人気を獲得。世界中で年間最優秀ゲーム賞をはじめ、多くのゲーム賞を受賞。2020年、これまでのビデオゲームや映像メディアへの貢献を讃えられ、BAFTAフェローシップ賞を受賞。映画、小説などの解説や推薦文も多数。ゲームや映画などのジャンルを超えたエンタテインメントへも、創作領域を広げている。
写真・内田紘倫(The VOICE)
anan 2432号(2025年1月29日発売)より
最新作『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』アナウンストレーラーが公開中です。
『OD』 インフォメーション
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「The Game Awards 2023」にて発表した、最新作『OD』の公式ティザートレーラーが、KOJIMA PRODUCTIONSの公式YouTubeチャンネルで公開中。 https://youtu.be/j1pnFI1r8N0
『PHYSINT(Working Title)』 インフォメーション
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先日、完全新作オリジナルIP『PHYSINT(Working Title)』の制作を発表。
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