選考委員たちも激賞した無二の世界。笑いと狂気のコラボレーション。
演劇や映像を制作する会社で経理に携わる〈私〉は、〈本来の1000倍の金額〉を大道具の会社に振り込んでしまう。このとんでもないミスを犯した彼女を、上司であるところの〈チームリーダー〉はなぜかかばい、しかもぐいぐいと距離を縮めてくる。クビになるところを救われた〈私〉は、その優しさに感謝しながらも、チームリーダーの真意がつかめず戦々恐々。
ある夕方、チームリーダーは、〈私〉のローン地獄の一端である62万円のジャケットを断りもなく羽織り、ランウェイ上のモデルのようにオフィスを闊歩し始めて…。
松田いりのさんの『ハイパーたいくつ』は読者の弛緩を許さない、ユニークな言葉と想像力がぎゅう詰めされたハイテンポなデビュー作だ。
「いるべきじゃない場所にいる人のことを書きたかったというのがありました。感情や感覚でできただんごがぽこぽこ浮かんで、それを串刺しにするために少しばかりのストーリーが必要だったというか。アクセルとブレーキを両方同時に踏んでいるようなストレスフルな状況、逆に言えば、それくらい制御不能なエネルギーそのものが書きたい感じはあったかもしれないです。ただ、社会的に見たらとても擁護できなそうな人物を、チャーミングで面白い人として描きたいとは思っていました」
作中で次々と起きるシュールでスラップスティックな出来事が、松田さんのキレッキレの文体と巧みな情景描写によって、脳内で次々と映像化されていく。そのぶっ飛び加減が最高に面白い。
「僕の場合は、躁状態でひとりテンション高くしゃべっている感覚の最中にフックになるような言葉が浮かぶと、そこから一気に世界が広がる。自分の中の連想ゲームを追っていくのが楽しかったですね。何を面白いと思うかって定式化できるのかもしれないんですけど、そうするとそれに当てはまらない面白さを逃してしまうジレンマもあります。解像度を上げるよりは、ぼんやりさせたまま書いてひとつひとつ判断していく感じで、『この書き方で、読者にも面白いと思ってもらえるのかな』は常に意識していました」
矛盾や衝突をしまくる〈私〉の所在なさや軋轢を、リアリティあふれる感情表現で現実につなぎ留める圧巻の筆力。次回作が待ち遠しい。
PROFILE プロフィール
松田いりの
まつだ・いりの 1991年、静岡県生まれ。作家、会社員。早稲田大学卒業。学生時代には演劇サークルに所属し、主に脚本や演出を担当。初めて小説に挑戦した本作で、第61回文藝賞受賞。
INFORMATION インフォメーション
『ハイパーたいくつ』
経理でミスし、経済的理由でそれまでも居心地の悪かった会社にしがみつくしかない〈私〉だが、周囲のいじりはエスカレートして…。河出書房新社 1650円