巨匠ヴィム・ヴェンダース最新作は“木漏れ日のような映画”
『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』など、映画史に残るような作品を撮り続けている、ドイツの映画監督、ヴィム・ヴェンダース。東京を舞台に撮影され、主演の役所広司さんが第76回カンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞したことでも注目を浴びている、最新作『PERFECT DAYS』がいよいよ公開を迎える。
本作の種となったのが、渋谷区にある17か所の公共トイレを世界的な建築家やクリエイターがリニューアルする「THE TOKYO TOILET」というプロジェクト。発案者であるファーストリテイリング取締役の柳井康治さんが、高崎卓馬さんに相談を持ちかけたのが、長い旅の始まりだ。
「いいトイレを作ったもののメンテナンスが大変で、みんなが大事に使うようになるにはどうすればいいだろう、という相談でした。かつて渋谷系と呼ばれたミュージシャンに曲を作ってもらう案から派生して、架空の映画のサウンドトラックにしたら面白いんじゃないかという話になって。そしたら柳井さんが、それなら本当に映画を作らないかと言い出したんです。存在しない映画のサントラだから、企画として面白いのに…」
映画を作るのは簡単なことではないが、一度浮かんだアイデアに対する高揚感のほうが勝ってしまった。さらに監督候補に挙がったヴェンダースを、ふたりとも敬愛していたことが決め手となった。
「ドキュメンタリーとフィクション、どちらも撮っている彼だからこそできる表現があると思ったので、“あなたじゃないとダメなんです”というラブレターを書きました。もし断りの手紙が来たとしても、それを額に入れて飾ってやるぞと思っていましたね(笑)」
主人公の平山という男は、渋谷のトイレの清掃員で、押上の古いアパートに一人で暮らしている。早朝、近所の老女が掃除する竹ぼうきの音で目を覚まし、風変わりなデザインのトイレを隅々まで磨き上げ、文庫本を読みながら寝落ちするまで、傍からは同じことを繰り返す日々に見える。高崎さんは監督と共に、平山の人物像を立体的に作り上げていった。
「どこで何を撮るのか、シナリオハンティングのためにヴィムが日本に来たとき、主人公の暮らしぶりや好きなものを、一問一答形式で質問攻めにされました。実際に街を歩いて撮影場所を探したりもしたのですが、最終日に『男の暮らしはわかったが、シナリオはどこにもない』と言われて焦りました。それでこの1週間、彼と話したり見たりしたことを思い出し、日本には“木漏れ日”という言葉があると伝えました。男の人生は木のように動かず、毎日変わらないけど少しずつ成長している。そんななかある出来事が起きて木が揺れ、木漏れ日を作るのだと」
撮影期間は16日間。高崎さんがまず驚いたのは、主演の役所さんの変化だった。
「現場に入ってきたときの顔が明らかに違ったんです。時間をかけてシナリオを読み込み、書かれていない部分を想像して、平山のことをずっと考えていたのでしょうが、細胞を入れ替えたのかと思うくらい別人になっていましたね」
撮影現場でのヴェンダース監督の様子については、「懐の大きな映画の先生だった」と振り返る。
「もっとアーティストらしく、感情に任せて撮るのかなと想像していたのですが、プロデューサー的でもあって、僕らの意見にも耳を傾けてチームを回していく人でした。彼は“マスターショット”と呼んでいたのですが、各シーンの最も大事な構図を考えて現場に臨んでいて、それが毎回とにかく美しく、真横で感動していました」
完成した映画には日本に暮らす私たちがよく知る光景が映し出されているものの、ここではないどこかのような不思議な余韻を残す。
「シナリオを作っているとき、ヴィムにどういうテーマなのか聞いたら、そういうことを考えちゃダメだって言われたんです。それが言葉にできるのだったら、映画を作る必要はない。映画でしか捕まえられないものにしないといけないんだって。作り終わってやっぱり思うのは、みんなが同じ感想でなくてもいいということ。絵や写真と一緒で、今日観て気づくこともあれば、1週間後、あるいは10年後に観て気づくこともある。しかも何かを感じることに正解も間違いもないのが、映画の一番いいところ。そういう作品になったかな、という気はしています」
『PERFECT DAYS』
トイレ清掃員として働きながら、音楽や本、休日に通う居酒屋、仕事の合間に見上げる木漏れ日などに喜びを感じている平山。ある日、思いがけない人が現れ、彼の心が揺れ動く。フィクションをドキュメントのように追う手法で、観終わったら“平山さん”に会いに行きたくなるはず。
監督/ヴィム・ヴェンダース 脚本/ヴィム・ヴェンダース、高崎卓馬 出演/役所広司、中野有紗、柄本時生、アオイヤマダ、田中泯、三浦友和ほか 12月22日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開。
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たかさき・たくま クリエイティブディレクター、小説家。電通グループ グロース・オフィサー。JR東日本「行くぜ、東北」など数々の広告キャンペーンを手がけ、2度のクリエイター・オブ・ザ・イヤーなど国内外の受賞多数。著書に小説『オートリバース』(中央公論新社)、絵本『まっくろ』(講談社)など。
※『anan』2023年12月27日号より。写真・中島慶子 取材、文・兵藤育子
(by anan編集部)