chelmico・Mamiko「家族みんなが夢中になれるテレビゲームは最高」 ゲームにまつわる思い出を明かす

2024.9.29
chelmicoによる連載「chelmicoのちいさなにっき」。Vol.50はMamikoによる「思い出のテレビゲーム」の巻。

テレビゲームは後ろから応援することの方が多かった。

chelmico Mamiko

テレビゲームといえば、兄たちがプレステで白熱してる姿を後ろから眺めてた思い出が強い。私は3人きょうだいの末っ子で、しかも兄と10と7も離れているもんだから、おチビさんという感じの扱いで、一緒にゲームをするというよりかは、後ろから応援することの方が多かったし、それが結構好きだった。よくわからない戦うゲームとか、パズルゲームとか、難しそうだけど楽しそうで、上手くいって2人が笑ってると私も笑ってみて、自分も参加できてる感じがして嬉しかったんだと思う。

テレビゲームをなぜか大人っぽいとも思っていた。たまにコントローラーを持ったりもしたけど、どのボタンでどうなるかとかもよくわからないから適当にガチャガチャ押してみて、それだけでも楽しかった。例えばスマブラ(その時はゲームキューブだった)をやってみると2番目の兄に一瞬でボコボコにされて、一番上の兄が代わりに戦ってくれるのも、ゲームを通してかまってもらえていることが楽しかった。

時は流れて兄たちはそれぞれ外で遊ぶことが増えて、テレビゲームをあまりしなくなった。夜中に2人はそれぞれ好きなソフトで遊んでいたとは思うけど、私は私でニンテンドーDSに夢中で、ひたすらソファに寝っ転がって、どうぶつの森かリズム天国をやっていた。テレビゲームももちろん好きだったけど、やっぱり私はテレビの前でゲームをやっている人たちを、後ろから見る方が好きだった。それからまた時は流れて、私もしっかり大人になってからのいつかのお正月、家族みんなで集まった時に兄とスマブラをやった。その時はNintendo Switchで、テレビに繋げず小さな画面と小さなコントローラーで戦った。昔に比べて私も戦えるようになったけど、やっぱり兄は強くて、それがなんか良かった。今度は私たちが戦ってる姿を後ろから両親が見ていて、これはどういうゲームなの? と聞かれたりして面白かった。いつまでも、家族みんなが夢中になれるテレビゲームは最高だし、次のお正月また持っていこかね。なんか新しいソフト買っとこ。

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チェルミコ 左・Rachel(レイチェル) 1993年生まれ、神奈川県出身。右・Mamiko(マミコ) 1996年生まれ、東京都出身。NEW EP『ati natu ep』が発売中。全国ツアー「ati natu tour(zansyo)」が現在開催中。

※『anan』2024年10月2日号より。写真・幸喜ひかり ヘア&メイク・ナリタミサト

(by anan編集部)