何かを始めるのに遅すぎることはない、とはよく言うものの、年齢を重ねるほど「やらない言い訳」がうまくなっていないだろうか。しかし本作の主人公・茅野(ちの)うみ子は違う。
「うみ子さんを65歳にしたのは、母がほぼ同い年でイメージしやすかったから。母はひとりでモロッコに行ったり、アラフィフのときにヒップホップダンスを始めたりしてアクティブなんです。そんな母を見て育ったので、いくつになってもやりたいことを始められるものだと、私自身も昔から思っていました」
うみ子は夫と死別して、四十九日を過ぎたばかり。ひとり暮らしにもまだ慣れないなか、数十年ぶりに訪れた映画館で海(カイ)という映像専攻の美大生に出会う。海は上映中、スクリーンではなく客席を気にするうみ子を見て、自分と同じく映画を作りたい側の人間であることに気づく。
「私もライブや映画、演劇などを観に行くと、どうして自分はステージ側の人間、つまり作り手側じゃないんだろうって、作品を素直に楽しめない時期があったんです。そういう気持ちが、きっとうみ子さんにもあるだろうと思って描きました」
やがて、うみ子は海と同じ美大に入学。しかし周りの若者におばあさん扱いされて自虐的になったり、漫然と学生生活を送る人たちに拍子抜けして、もやもやが溜まっていく。一方、淡々として何を考えているのかよくわからないけれども、映画を本気で作りたがっているように見える海にはシンパシーを抱くように。ところで、タイトルやふたりの名前から気づいた人もいるだろうが、この物語では「海」が重要なモチーフになっていて、うみ子の心境を表すシーンでも印象的に登場する。
「私はマンガを描く過程で、ネーム(コマ割りやセリフなどを大まかに表す下描き)が一番大変だと思っていて、まるで夜の海に船を出すような感覚で、対岸が見えず、どこに辿り着くのかもわからない不安でいっぱいなんです。でもどこかに辿り着けたときの達成感もまたあって、そういう心象風景が海にまつわる表現の元になっているのだと思います」
映画という大海原に小さな船で漕ぎ出したうみ子の不安と興奮が、作者の心境と重なり、こちらも背中を押される読後感。1巻だけでも上質な映画を観終わったような余韻に浸れるものの……、うみ子が辿り着く景色をやっぱり一緒に見届けたい!
『海が走るエンドロール』1 65歳のうみ子が、ある後悔を抱える美大生の青年・海との出会いをきっかけに、自らの創作欲と向き合う。創ることの苦しみと喜びを真摯に描く注目作。秋田書店 660円 ©たらちねジョン(秋田書店)2021
たらちねジョン マンガ家。1989年生まれ。2015年『グッドナイト、アイラブユー』でデビュー。ほか『アザミの城の魔女』など。たらつみジョン名義でBL作品も発表。
※『anan』2021年10月27日号より。写真・中島慶子 インタビュー、文・兵藤育子
(by anan編集部)