他者との付き合い方でモヤモヤを感じることはありませんか? 哲学者の永井玲衣さんと精神病理学者の松本卓也さんに、モヤモヤとの向き合い方をご提案いただきます。
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こころのもやもやを晴らす思考のレッスン。このレッスンでは、他者との関係で悩んでしまったりモヤモヤした場合の対処法について考えます。妬みや羨望の対象として見てしまったり、適度な距離感がわからずストレスを感じたりといった悩みを中心に、相手とどのような関係性を築くことが望ましいのか、対話や弁証法をキーワードに向き合います。
Profile
対話する哲学者・永井玲衣
ながい・れい 人々と考え合い、聞き合う対話の場を年間300回ほど開いている。戦争について表現を通して対話する写真家・八木咲さんとのユニット「せんそうってプロジェクト」などでも活動。著書に『これがそうなのか』(集英社)など。
悩みを肯定する精神病理学者・松本卓也
まつもと・たくや 京都大学大学院人間・環境学研究科総合人間学部准教授。ドイツ、フランスの精神病理学を基盤に、精神分析を研究する精神科医。著書に『斜め論』(筑摩書房)、『ジャック・ラカン フロイトへの回帰』(岩波新書)など。
Q. 他人と比較して落ち込んだり、羨ましく感じてしまう

A. 性格の問題ではなく比べさせられているのかも?
同僚や友人と比べて自分は劣っている気がして落ち込んでしまう。さらに「なんであの人ばっかり」と羨ましい気持ちも湧いて自己嫌悪に…。そんな悩みに永井さんは「そう思ってしまうことを自分のせいにしないでほしい」と語る。
「これは性格の問題というより、社会の影響が大きいと思っています。私たちは圧倒的な競争社会の中で、知らず知らずのうちに比較させられているんです。他者を共に生きる存在ではなく、自分を脅かす敵として見てしまっていないか、一度振り返ってみてください」
そのうえで永井さんは、比較が生まれやすい枠組みから少し離れてみることをすすめる。
「以前、“隣の芝はなぜ青いのか”をテーマに哲学対話をした時、アメリカ郊外の大きな家の庭の芝生をイメージして話を進めました。すると、『同じような家が並んでいるから比較せざるを得ないのでは』という意見が出たのです。これと同じで、私たちは職場や就活、30代女性といった枠組みの中に置かれると、どうしても他者を羨む意識が生まれやすくなります。だからこそ、そうしたカテゴリーにとらわれず物事を考えることが重要だと思います」
そして、自分が羨ましいと感じてしまう相手とじっくり話してみることも、モヤモヤ解消のひとつのアプローチ。
「実際に話すと、その人の別の側面が見えたり、自分の思い込みに気づいたりするでしょう。悩みに向き合ううえでも、他者への眼差しとしても、多様な視点を持つことは自分を助けてくれるはず」
- 自分のせいではなく社会の影響が大きい。
- 自分や物事を枠組みで捉えない。
- 羨ましく思う相手と対話してみる。
Q. 他人の不幸を願ってしまう

A. 妬んでいる相手に“なりたい自分”を見出しているのでは?
他者に対するモヤモヤは、人と自分を比べることで生じるケースが多いそう。
「比較することで『自分が劣っている』という感覚に陥って、そこから逃れるために他人の足を引っ張ったり、自分より他者を下げたくなってしまう。そのため『他人の不幸を願ってしまう』ようなことが起こり得るのです。相手を引きずり降ろすことで、自分と対等になった気になるわけですから。他人と比較するなと言うのは簡単ですが、他者と自己の関係の優劣は状況や気持ちの持ち方でも変わる、とても複雑なものです。他人の不幸を願う気持ちの底には、自分のほうが上であると相手に認められたいという欲求もありそうです。他人の不幸を願うのは、実は自分がいま不安定な状態であるということ。それを知るだけでもよいのです」(松本さん)
また、他人の不幸を願う気持ちは“妬み”ともいえるが、それは特別なものではなく、誰の心にもあるという。
「妬みが出てくるのは、自分に弟や妹のような存在ができた時。それまで独占してきた母親の愛情を、急に現れた新参者に突如として奪われてしまうわけですから、妬ましくなるのは当然です。哲学者のヘーゲルは、自分が何者であるかは、他者を介してのみ理解し得ると説きました。つまり、妬ましさの本質は、それが“なりたい自分”であるにもかかわらず、叶わないからこそ生まれる負の感情と解釈できます。そこが認められないと、単に『あの人は嫌な人間だから』と偏った思考に陥ってしまう。妬みは自分の理想像のサインであると、理解しましょう」
- 劣等感が、他人の不幸を願う気持ちへと転換する。
- 他者へのモヤモヤは自己肯定感論では解決不可能。
- 妬みの先に自分の真の欲望が見えてくる。
Q. ちょうどいい雑談ができません

A. “わからなさ”を真ん中に置いてみては
顔見知りとばったり会った時などに、「気の利いた雑談ができたらいいのに」と感じた経験のある人も多いのでは。コミュニケーションを円滑にするうえで雑談力が重視されているが、その風潮に永井さんは違和感を覚えるという。
「雑談って、誰かと一緒にいるための言い訳だと私は思っています。でも最近は雑談が目的化され、スキルとしてパッケージされているのがおかしいなと。よく『天気の話は無難』といわれますが、自然に切り出すのは意外と難しいし、かといって家族や趣味などプライベートに踏み込んでいいのか迷う場面も多いですよね。そこで私が提案したいのは、『話を弾ませなきゃ』という意識を手放して、会話の中心に問いを置いてみるという方法です。『いい人ってどんな人?』『ぬいぐるみはなんでかわいいのかな』。そんな“わからなさ”が真ん中にあると、人は自然と一緒にいられるし、つながれると思うんです」
雑談に問いを使うメリットは、話題に普遍性が生まれ、相手の属性を問わない点にもある。
「『お子さんいますか』と聞くのは危ういけれど、『子どもと大人の境目ってどこからなんでしょうね』なら、誰にでも開かれた話題になります。よく言われるエレベーターの気まずい沈黙も、道すじが読める当たり障りのない会話で埋めるより、問いをぼそっと残して去っていくほうが面白くないですか? 変わった人と思われる可能性はありますが(笑)、次に会った時、続きの話で盛り上がれるかもしれませんよ」
- 雑談は一緒にいる“言い訳”。
- 話を弾ませようとしなくていい。
- 無難な会話より正解のない問いを置く。
Q. 言われたことが気になって仕方ない

A. 人生の目標が見つかれば自分軸で生きられる
松本さん曰く、この悩みは、ヘーゲルの説く「主人と奴隷の弁証法」といわれる考え方で説明できるそう。
「『主人と奴隷の弁証法』とは、自分が何者であるかは、他者を介してのみ理解し得るという考えをさらに進めたものです。少し詳しくお話しすると、まず主人は奴隷に自分が主人であると力ずくで認めさせようとします。なぜそんなことをするのかというと、自分が主人であるという実感が得られていないからです。実感できていれば、認めさせようとする必要なんてないわけですから。この考え方を踏まえると、『言われたことが気になって仕方ない』という悩みは、まさに他者を通じて自分が何者であるかを知る行為といえるでしょう」
しかし、その行く末を示唆しているのが「主人と奴隷の弁証法」の続き。
「主人は奴隷を支配下に置き、主人と認めさせますが、その瞬間に『自分の支配下に入るくらいの大したことのない相手に認められても嬉しくない』と思ってしまうのです。これをお悩みに置き換えると、他者の言っていることがたとえポジティブな内容だったとしても、結局は満足できないということになります」
そこから読み解けるのは、他人軸ではなく、自分軸で生きることの重要性。
「大切なのは、自分の人生の目標を見つけること。それはある種の“欲望”で、その人自身のオリジナリティの表れです。見つけるには、心の中に神や親のような上位存在としての“垂直的な他者”を置くこと。本当に求めるものは何なのか、対話をしながら考えてみてください」
- 人間は、他者を介して自分を知ろうとする。
- 認められたい気持ちは叶っても満たされない。
- 心の中の“垂直的な他者”と対話し、目標を見つける。
anan 2481号(2026年1月28日発売)より

























