
今年デビュー30周年を迎えたロックバンドのサニーデイ・サービス。フロントマンの曽我部恵一さんに、バンドが歩んできた道のりやアーティストとしての矜持をお聞きしました。
サニーデイ・サービスのファンを公言しているアーティストは、星野源さん、銀杏BOYZの峯田和伸さん、くるりの岸田繁さん、三浦透子さんなど数多い。何気ない日常の輝きを映し出し、人生の豊かさに気づかせてくれる──そんな唯一無二の歌を曽我部恵一さんはどのようにして生み出しているのだろうか。
── 最新アルバム『サニービート』をお聴きして、快活で爽快な一枚に感じました。
うん、僕も爽やかでロックンロールな一枚になったと思います。今回はできる限りシンプルなアルバムにしたかったんですよね。音がバンと鳴った瞬間に、心がスッと受け止められるような音楽を目指して作りました。
── 特に「青空であること」は青空が広がっていて、それを見ている人がいて…という“そこにある景色”を描いた、余韻を感じさせない潔くてシンプルな歌ですね。
そう、こういうことをやりたいと思いましたね。ライブで音を出した瞬間に、その曲がただそこにある感じ。そしてジャーンと演奏が終わったら、そのまま曲の景色はなくなっていく。言ってしまえば、音が鳴っている間にしか存在しない世界。それはちょっと寂しくもあるんだけど、そういうものが自分の思うロックのカッコよさだったり、すごさだったりする。鳴っている瞬間だけ広がる景色や色み、それを聴く人と共有できたら嬉しいです。
── 10月にはデビュー30周年を記念して、1stアルバム『若者たち』のアナログレコードとリマスターCDをリリースされました。20代の頃に書かれた楽曲に対して、50代の曽我部さんはどのように感じていますか?
新たに『若者たち』をマスタリングするにあたって、30年ぶりくらいに一枚通して聴いたんですよ。そもそも、このアルバムは23~24歳のときに作ったから未熟な作品だと思っていたんです。でもいざ聴いたら全然そんなことなくて。最初から最後まですごく丁寧に作っているな、と感じました。もちろん今の方がスキルは上がっているけど、若い頃の情熱とか体力や集中力…そういうものに負けたくないな、と思いましたね。
── 30年近く活動を続ける中、様々な事情でバンドを辞めようと思ったこともあったそうですが、そんなときに前を向かせたものは何だったんでしょう?
一つは自分のズボラさというか、ゆるさが大きいのかなって。シビアな人間だったらとっくに辞めてるかもしれないけど、僕は「まあ、いっか」でやっちゃうんですよ。その「いっか」でやらないと進まないこともたくさんあったりして。全部を突き詰めて白黒はっきりさせていくと、「アレもコレもやめておこう」とすべてが消去法になってしまう。そこを自分のゆるい性格が歯止めをかけましたね。もう一つは、自分たちの歌を待ってくれてる“ファンのありがたさ”。自分が好きで音楽をやっているのは大前提ですけど、ファンの人たちが喜んでくれたり驚いてくれたりするのが嬉しくて、それによって続けられているのはありますね。
── 曽我部さんにとって曲作りとはなんでしょう?
例えば、2016年に発表した「桜 super love」は大事な人がいなくなった寂しさとか、人生で欠けてしまった部分を抱えてる歌なんです。現実は寂しくて何かが足りないんだけど、それを歌にすることで柔らかくて優しいものに感じられる。別に柔らかく描こうとして、気持ちを改変してはいないけど「あ、こんなにいい歌になったんだ」と思う瞬間があって、それが自分にとっては感動的なんです。歌がないと、僕の人生は寂しくて欠けてしまったものになる。でも、曲を通して「こんなふうに自分の思いが形になったのなら良かったな」と感じられる。だからこそ、僕は歌を作っているのかもしれない。
── 「桜 super love」に登場する「きみがいないことは きみがいることだなあ」のフレーズが思い浮かんだときのことは覚えていますか?
覚えてます。あの頃は、前のドラマーである(丸山)晴茂くんが体調不良になって、バンドから離脱していたんですよね。ライブもできないし、とにかくバンドが前に進まなかった。一方、家庭では妻と離れてシングルファーザーになり、数年が経ったぐらいかな。“人生を共にしていくべき人たちを大切にできなかった”という思いが、バンドと家族の両方にあって、気持ちが沈んでいたんです。そんなとき、夜中2時くらいに近所の遊歩道を散歩していたら、満開の桜がひらひらと舞っていて。それを見ながら「きみがいないことは きみがいることだなあ」のフレーズが桜の花びらみたいに降ってきた。この曲ができたことで、自分の気持ちがちょっと救われたんですよね。「こんなにいい歌になったのなら、いっか」と前に進めました。
── その後、2020年に大工原幹雄さんをドラマーに迎えて、現在の体制となりました。
晴茂くんが亡くなって一時期は2人になり、その後に加入してくれたのが大工原くん。彼がいることで情熱的なロックンロールをやれていることも含めて、すごく感謝してて。彼のポジティブな魅力に引っ張られて「前を向いて笑顔でやっていこう」と明るく活動できているんですよ。ベースの田中(貴)くんに関しては、高校時代から知ってるし、今さら“こいつのことが好きだな”とか、そういうのは一切なくて。ただ当たり前のようにいる存在。でも、こんな僕のわがままに文句も言わず、何十年も付き合ってくれてありがたいですね。
50代になった今でも、全然伸びしろはあると思う

── カンパニー松尾監督による映画『ドキュメント サニーデイ・サービス』が2023年に公開されました。映画をご覧になって発見や気づきはありましたか?
基本的に音楽のドキュメンタリーは、完成しているバンドを追っていくと思うんです。だけど僕らは発展途上で、まだ形が決まりきっていない中で音楽をやってる感じがすごくしましたね。そういうところに美しさがあるな、とも思った。成熟した良さというより、完成しないものの美しさと言いますか、過渡期の良さがあるなって。
── ドキュメンタリー映画の話題を広げると、今年1月に日本で公開されたイギリスの伝説的なバンド・blurの映画『blur:To The End/ブラー:トゥー・ジ・エンド』を曽我部さんは称賛していましたね。
この映画は50歳を越えたメンバーが8年ぶりにblurを再始動する、という内容のドキュメンタリーで。すっかり老けておじさんになった4人が集まって、ステージで当時の曲を披露するんですけど、しばらく演奏をしていなかった分、かつてと比べて見劣りするし、お世辞にも聴けたものじゃない。でも、ちゃんとblurになっているんですよ。僕らステージに立つ人間は「若さを維持しなければいけない」という思いがどこかにあるんですよね。でもバンドを続けていて「いつまでも全盛期です」と言うのは、実は嘘で。なんとか全盛期と形が変わらないように見せているんですよ。
── 年齢を重ねれば体力も落ちるし、声も出にくくなる。それが自然の摂理ですよね。
そう、当たり前にみんな老けていく。そんな中、blurは「今の俺らイイでしょ!」みたいに堂々としていて、こいつらすごいなって。嘘がないし、老いていくことをネガティブに捉えてない。とてもキラキラしていて“バンドはこれでいいんだ”と思った。今を精一杯やっていれば、誰だって輝けるんだなって。ただし、blurが手を抜いていたら僕は嫌だったと思うんです。下手でもいいから、今できることを一生懸命やる。それが素晴らしいと思いましたね。変に若く見せずに、ありのままのおじさんたちが頑張っている姿に「こいつら本気なんだ」と伝わってきて最高でした。
── ちなみに、身近な先輩で生き様を学んだ方はいますか?
遠藤賢司さんです。1970年代に、はっぴいえんどをバックにレコードを出したり、途中でパンクになったり、孤高の音楽家みたいな方で、僕は昔からファンなんですよ。1990年代以降に知り合うことができて、一緒にライブしたりとかツアーに誘ってもらったりして、とても大きな影響を受けました。エンケンさんと出会っていなかったら、自分は今みたいな活動をできていないかもしれない。人を感動させるのは生半可なことじゃできないし、人の心は口先や手先だけでは絶対に動かない。だからこそ、自分の命を燃やして死ぬ気でやらないと誰の心にも伝わらない、とよく言っていて。8年前に70歳で亡くなってしまったんですけど、あの人のやり方とか命の燃やし方を間近で見させてもらったことで、今の自分があるなって本当に感じます。
── 命を燃やして表現するその姿に触れたことが、歌う上での指針になっているんですね。
あと、エンケンさんは「若い頃は、ライブ前日に自分の家で練習してからステージに出ていた。でも、60歳を過ぎると1週間前から毎日練習しないとできない」と言っていました。指が痛くて泣きそうになるけど、必死に頑張ってやってると。自宅には握力のマシンがあって、外では毎日ランニングをして、それだけの努力をしてようやくに人前に出る。いろんな先輩を見た中で、自分が一番すごいと思うのはエンケンさん。あの人を見ていたから、自分にはまだまだ伸びしろがあるなって思います。
── ベテランの域に達している曽我部さんが「まだ伸びしろがある」と仰ったことにグッときます。
本気でそう思いますよ。だからこそ、毎回死ぬ気でやっているんですよね。そもそも自分の才能とかは、全然大したことがなくて。僕の場合は常に150%でやらないとダメなんですよ、本当に。そうじゃないと他の人たちに敵わない。歌がうまい人とかカッコいい人とか、「この人は天賦の才能があるな」と感じる人たちと一緒にやっているので。自分はそういうものがないから、思いきりやるしかないんです。最初から才能があって、頑張らなくてもいい人っているんですよ。むしろ、音楽は特別なものを持っている人たちがいる世界なので、そうじゃない自分は珍しいと思います。でもね「持ってなくてもやれるよ」とも思うんです。「俺には才能がないので…」と言う若い人が多いですけど、「いや、自分が何をやるかだけだから」って思う。才能がなくても一生懸命に頑張って輝いていれば、それを見てくれるお客さんはいる。多くはないかもしれないけど、それでいいんですよ。

Profile
サニーデイ・サービス
1992年に曽我部恵一(Vo/Gt)、田中貴(Ba)らを中心にバンドを結成し、1995年に1stアルバム『若者たち』をリリース。2020年に大工原幹雄(Dr)が加入して、現体制となった。どの作品もバンド像を更新し続ける創造性と革新性に満ち、グッドメロディに溢れる。ライブは日本だけにとどまらず、中国・台湾ツアーを行うなど国内外で精力的に活動。
information
7月に配信リリースされた通算15枚目のアルバム『サニービート』が12月10日にフィジカルリリース。「青空であること」「サマーギグ」「レモネード挽歌」を含む全12曲。CD初回限定盤がスリーブケース仕様、カセットテープおよび“サニーグリーンVinyl仕様”のアナログ盤が限定プレスとなる。アルバムのリリースに伴って、全国ツアー「SUNNY DAY SERVICE TOUR 2025-2026」を開催中。
anan 2475号(2025年12月10日発売)より





























