婚約者はどこへ消えたのか。意外性も魅力のコミカライズ。
「私は何でもない事象を物語にすることが多かったので、この小説のコミカライズのお話をいただいたときはちょっと意外でした。でも作風の違いがむしろ面白そうな気がして、挑戦してみたいと思ったんです」
鶴谷香央理さんは、辻村深月さんの人気小説『傲慢と善良』のコミカライズを手がけた理由をこう話す。たしかに本作は、鶴谷さんの代表作『メタモルフォーゼの縁側』のような温かさは、ほぼない。何しろ結婚式直前に、婚約者が行方不明になってしまうのだから。婚活アプリで知り合った西澤架(かける)と坂庭真実(まみ)は、出会う前のお互いのことをよく知らない。残された架は、以前からストーカーに怯えていた真実の居場所を捜すため、彼女の過去を辿っていく。
「原作はまさに“言葉を尽くして書かれている”という印象を受けました。一回読むと忘れられないような言葉が次々出てきて、押し寄せる波のようにキャラクターの内面が露わになっていくので、どこを削ればいいのか本当に悩ましくて…。だけど、絵と一緒にすると情報量が多くなるからか、原作で響く言葉をなぜか不自然に感じてしまったんです。なので私がマンガとして言葉を選ぶ際は、そのキャラクターにとって大事な要素であったり、性格を表すようなものかどうかを一番意識しています。ふたりが成長していく物語だと思うので、相手のことを発見する過程で大事になりそうな言葉は、なるべく拾っていきたいと心がけています」
都会暮らしで、結婚の必要性をさほど感じてこなかった架と、地方の実家暮らしが長く、人生の選択を親まかせにしてきた真実。1巻では特に、結婚とは何なのか、男女の価値観のズレも含めて興味深く描かれる。
「今って常にカメラが近くにあるような感覚で、人目を意識してしまうというか、本来の自分よりもよく見せようとする行動が癖みたいになっている人が多いと思うんです。婚活はそれが如実に表れる場なのでしょうし、『傲慢と善良』というタイトルの意味が際立ってきますよね」
ミステリータッチの展開も、今回が初めての試みとのこと。原作の緻密に練られた世界観はそのままに、鶴谷さんの持ち味といえる余白の部分が、マンガとしての読み心地と共感性を生み出している。
「小説とマンガの表現手段の違いをひしひしと感じていますが、自分とは違う作家さんの物語の構築の仕方をいま最も身近で感じることができているので勉強になるし、挑戦してよかったと思っています。マンガが得意とするような、人と人との間に流れていた空気や、表情で物語るような表現もできたらいいですね」
INFORMATION インフォメーション
『傲慢と善良』1
漫画・鶴谷香央理 原作・辻村深月
結婚式を控えて、失踪した婚約者。事件を追ううちに露わになる、現代日本の病理を鋭く描いた傑作小説のコミカライズ。「web TRIPPER」で連載中。朝日新聞出版 990円 Ⓒ辻村深月/鶴谷香央理/朝日新聞出版
PROFILE プロフィール
つるたに・かおり
マンガ家。2007年「おおきな台所」でデビュー。『メタモルフォーゼの縁側』は実写映画化も。他の著作に『don't like this』など。