――ハリセンボンは今年でデビュー20周年ですね。おめでとうございます! 芸歴20年といわれると、“ベテラン”という言葉とセットにしたくなりますが、今のご自身と20年のキャリア、どう捉えていらっしゃいますか?
先日、ダウンタウンさんの浜田(雅功)さんのバラエティ番組に出させていただいたときに共演した山里(亮太)さんが、「自分は芸歴20年を超えたけれど、ダウンタウンさんが『ダウンタウンのごっつええ感じ』を始めたときはまだ20代後半だった。それを考えるとやっていけない気持ちになる。だから考えてはダメ」的なことをおっしゃっていて。ホントにそうなんですよね。そういう意味で、自分が子どものときに憧れたベテラン芸人のような存在になれたかと言われると、そうではないと思います。ただ、時代も違いますから、比べても仕方ない。きっと自分たちなりの20年は歩めたかな…というのが今の気持ちです。
――小さい頃から芸人になりたいと思っていましたか?
そう思ったのは中学生のときですね。私の父は元警察官ということもあり、私が言うのもなんですが、すごく真面目な性格なんです。母も真面目で、そんな両親に「芸人になりたい」と伝えたとき、反対されるかと思ったら、「やりたいことがあるなら、頑張ってやりなさい」と応援をしてくれて。今思うと、両親が背中を押してくれたことは、芸人人生を考える上で結構大きな出来事だったかもしれません。
――そういえば5月に、春菜さんが地元の警察署で一日署長を務められていましたが、お父様と共演されていましたね。
はい。まさか自分の人生にこんなことが起こるとは(笑)。仕事柄父は堅い人に見られがちなんですが、実は家では結構ユニークな人で。「春菜が芸人になったのは、俺の血筋だ」とか言ってます。そして意外と、出たがりです(笑)。
――ご自身では、ここまで続いた理由をどう分析されますか?
ただただ、人に恵まれているんだと思います。まず、私は(箕輪)はるかの3つ年下なんですが、そんなはるかと同期で養成所に入り、知り合ってコンビを組めたことが一つ。それから、1年目、2年目の頃に番組に呼んでくれた先輩方、はるかが入院して急に一人で活動しなければならなかったときにフォローしてくれた仲間たち。そして、「じゃねーよ!」と言わせていただいている方々の存在も大きいです。
――その代表的な方が、角野卓造さんですよね。
はい。かれこれ18年くらい、「角野卓造じゃねーよ!」と言わせていただいてますね。
――鉄板ネタって、常に求められるものだと思うんですが、「もうそろそろいいのでは…」みたいな気持ちにはならないんですか?
全然ならないです、いまだに言わせてもらえているのはめちゃめちゃありがたい。特に私の「じゃねーよ!」は、誰かに振ってもらわないと発動できないもの。今でも私に振ってくれる人がいるのは感謝しかないです。
――あれはどんなところから生まれた芸だったのでしょうか?
確か2年目くらいのときに、とにかくその場で私を覚えてもらいたい一心で出した言葉だったんです。正直怒られる覚悟でした。というのも、角野さんに許可をいただいたわけでもなかったですし。後にTBSのオールスター感謝祭でご一緒する機会があって、私は絶対謝罪しなきゃと思い、角野さんが『渡る世間は鬼ばかり』チームでスタジオに入ってこられるのを、スタジオ前で待っていたんです。で、角野さんが見えたので謝ろうとしたら、無言で手を差し出して握手してくださって。焦って私が「勝手にお名前を出して、しかも“そうじゃねーよ”なんて失礼なことを言って、本当にすみません」と言ったら、「全然いいんだよ」って。その後も番組はもちろん、CMや映画で親子役をやらせていただいたこともあって。角野さんがお一人で番組に出られたときに、「近藤春菜じゃねーよ」って言ってくださったり…。完全に角野さんの大きな懐に甘えさせてもらってるだけ。ただただ、私はラッキーな人間なんだって思ってます。
こんどう・はるな 1983年2月23日生まれ、東京都出身。お笑いコンビ、ハリセンボンのツッコミ担当。相方は箕輪はるか。2003年にコンビを結成し、翌年デビュー。以降、数多くのバラエティ番組はもちろん、MC、俳優としても活躍。
ハリセンボンのYouTubeチャンネル「ハリセンボンOfficial Channel」では、二人でモーニングを食べに行く、眠れない人に向け添い寝トークなどの癒し系動画に加え、春菜さんがカーネル・サンダースやステラおばさんになる、といった必笑動画も。毎週金曜日18 時に定期配信。春菜さん曰く「コメント欄がめちゃめちゃ優しい世界…」とのことです。
※『anan』2024年7月24日号より。写真・寺沢美遊 ヘア&メイク・谷口友海
(by anan編集部)