全世界で累計90万部を突破し、世界各国で話題となっている『BUTTER』。作者の柚木麻子さんは海外の文学祭に参加し、オーサーズツアーも実施。今、東アジアの文学は世界でどのように捉えられているのか? 現地での体験とともに伺いました。

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    Profile

    柚木麻子さん

    ゆずき・あさこ 2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」で第88回オール讀物新人賞を受賞、同作を収録した『終点のあの子』で'10年に単行本デビュー。'15年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞、翌年高校生直木賞を受賞。現在、朝日新聞にて「あおぞら」を連載中。

    ── 長編『BUTTER』の英訳版がイギリスで複数の賞を受賞し、現在英国内で40万部のヒットとなっています。柚木さんは作品が英訳されたのは初めてですよね?

    私は別に海外で本を売りたいとは考えていなかったんです。英語圏で本が出たらいいなという程度だったんですが、スター翻訳家のポリー・バートンさんが手を挙げてくださって。イースト・アングリア大学で翻訳を学んで、津村記久子さんや松田青子さんの小説を英訳している方です。私は英語が分からないんですが、日本の翻訳家や英語が理解できる作家からも「ポリーはすごい」と聞いています。受賞した賞のひとつ、「The British Book Awards 」は翻訳者と作家に与えられる賞だし、イギリスで読まれているのはポリーさんの力が大きいと思っています。

    ── イギリスで刊行されてすぐ、読者の反応を感じましたか。

    ぜんぜん。去年の秋に「Books Are My Bag」の候補になった時にこの賞の宣伝の方からインスタグラムのアカウントを教えてほしいと言われて「持っていない」と言ったら驚かれたんです。海外の作家はだいたいインスタで発信していると言われて自分も始めて、それで現地の様子が分かるようになりました。「The British Book Awards」は小さな賞かと思っていたけれど、ポリーさんのインスタを見たら授賞式ですごいドレスを着ていて、人もいっぱいいて、それで初めて大きな賞だと知りました。

    ── 反響を受け、昨年から今年にかけてはイギリスをはじめインドや香港、オセアニアの文学祭に招かれたそうですね。

    最初にイギリスのチェルトナム文学祭に呼ばれ、書店や他の文学祭も回りました。日本から私一人で行ったら、「日本の作家はたいてい編集者を連れてくるよ」と驚かれました。トークセッションや講演では通訳さんがついてくれたので困らなかったし、一人でいるからみんな親切で、現地の人と仲良くなれました。

    「海外では街で声をかけられサイン会は大行列だった」

    ── イギリスでアジア圏の作家の人気は感じましたか。

    書店には昨年ノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンさんや、村田沙耶香さんの本がたくさん並んでいました。村田さんの『コンビニ人間』や韓国のチョ・ナムジュさんの『82年生まれ、キム・ジヨン』などが広く読まれたことで、海外でも現代の日本や韓国についての解像度が高まったと思うんですよね。

    村田さんの『コンビニ人間』では主人公が非正規雇用で、女性に結婚の圧がかけられている様子が描かれるし、それ以前から津村記久子さんの小説で日本の労働環境は知られていました。海外で翻訳作品がひとつ売れると読者に知識が搭載されて、次の翻訳作品の解像度が上がる。そうして土壌ができあがっていたので、私はいいタイミングで本が出せました。

    ただ、向こうではアジア文学に限らず、いろんなジャンルの本が幅広く読まれていました。みんな本を読むのが当たり前なんですよ。レストランに行くと「あなたのファンです」と言ってシェフからサービスされたり、ビルの守衛さんからサインを求められたりしました。

    イギリスでは読書会という習慣が根付いていて、本を読んで自由に語り合う文化がある。日本だと「この作家を語りたいならあの作品も読まないとね」と言う人が出てきて知識の競い合いになることが多いけれど、もっと気軽に読んだ本について語り合う場があればいいのにと思いました。

    今年5月に行ったニュージーランドのオークランドのブックフェスも大盛況だったんです。サイン会に2000人くらい並んでくれたし、街でもよく声をかけられました。そんなふうに海外で作家がリスペクトされる環境にずっといたので、帰国した今は自分が人気者のマルチバースに行って戻ってきた感じです。

    この間も定食屋でお店の人が私に何か言いたそうなので「シェフからのサービスは嬉しいけれど、今もうお腹いっぱいなの。でも私の本を読んでくれて嬉しいわ」って返す気でいたら、「来週から定休日が変わります」って言われました。今、そういう現実に直面しています。

    海外の読者からの意外な感想の数々

    ── 『BUTTER』は週刊誌記者の里佳が、財産狙いで男たちに近づき殺害した容疑で逮捕された梶井真奈子(通称カジマナ)に面会し、取材を重ねる話です。海外ではどんな感想が印象的でしたか。

    イギリス人から一番聞かれたのは、出版社の正社員でも女性は役職につけないのか、ということです。そこにみんな驚いていました。それと、里佳は体重が増えた時に周囲からそれを指摘されますが、こういうコミュニケーションは日本では普通なのか、って。里佳の親友の伶子は見たことのないキャラクターと言われて人気だったし、里佳の恋人の誠が若い女性アイドルのオタクであることには引いていました。

    「この人はいいオタクだよ。実は私もオタクで、ハロプロの歌を友達の作家(朝井リョウさん)と一緒に歌って踊るイベントもやったよ」と言って動画を見せたんです。みんな私のことをなんでも良く受け取るターンに入っているから、「アサコはルッキズムやエイジズムが横行するアイドル文化のアンチテーゼとしてこういう活動をしているんだね」って。いやアンチテーゼちゃうわ一生懸命やってこれなんだよ!って思ったんですけれど、「アサコは世の中と闘っている」と思われていました。あとは、カジマナの「フェミニストとマーガリンは嫌いなの」という台詞がウケていました。

    ── 英訳版の裏表紙にもその台詞が引用されていましたね。

    この小説って、日本だと女性同士の絆や美味しい料理のことが取り上げられがちですが、イギリスでは“ファットフォビア(肥満恐怖症)と女性蔑視がひどい日本で書かれた、ブラックユーモアと社会風刺に満ちた話”なんですよ。「ここまで皮肉を書いたら嫌がらせをされるかもしれないのに、あなたは勇気がありますね」と言われました。

    だから評価されているのは、“書く勇気”が加点されたからかもしれないなと感じています。よく耳にしたのは「アクティビズム」という言葉です。「この作品はアクティビズムがあるか」とか「あの作者にはアクティビズムを感じない」とか。

    ── 社会になにかしら変化をもたらそうとする姿勢、みたいな意味でしょうか。

    そうですね。私の小説もアクティビズムがある、という評価だったんですよね。今のアジアの作家って、作品の魅力が伝わっているというより、過酷な環境を同情されているのかな、とも思いました。私が雑誌や新聞に連載をしていると話すと、「変わった試みだね」と言われるんです。英語圏では作家はじっくり書き下ろしを書くものなんですよね。

    「本が売れないから自転車操業で連載を書くしかないの」と言ったらみんな「うわ…」って。「どうして朗読会をやらないの?作家は書き下ろしを書いている間、だいたい朗読会でお金を稼ぐし、アサコならいっぱい人が来るでしょう?」と言われ、「そんな世界線日本にはありません」って言ったらまた「うわ…」って。なんか、とんでもない場所から来て矢が刺さったままなのに平然とお菓子を食べて「大丈夫だよ〜」って言っている猛者を見ているような目で見られました。

    「今の日本って、闘ってるって思ってない人でも、すごく闘っているんですよ」

    ── 日本の作家が置かれている環境は過酷ですね…。

    だから、私以外の就職氷河期世代の作家たちも、海外ですごく評価される気がするんです。自分は社会からそう必要とされていないと知ってしまった氷河期世代が書くものは、どんな話を書いてもそれが滲み出ているから。

    労働問題がテーマの小説でなくても非正規の人はごろごろ出てきますよね。’80年代のお仕事小説なら「ここではないどこか」を探す話になったかもしれないけれど、今の日本のお仕事小説は劣悪な環境の中でなんとか生きていく方法を模索する話が多いですし。いま私たちが日本で当たり前のものとして読んでいる小説も、英語圏の人が読むとすごく社会的な意味を持つ本に読まれる可能性があります。ポジティブに考えると、過酷な状況の中でも発言をしていくアジアの作家の知性と勇気とたくましさに、みなさん魅了されている気がします。

    今の日本って、闘ってるって思ってない人でも、すごく闘っているんですよ。自分は毎日楽しく暮らせるように頑張っているだけだし、ささやかなことしかしていないと思っていても、英語圏の人から見るとささやかどころじゃなくて、「お前強いぞ」となる。作家に限らず、みんな、自分のやっているささやかな行為にも社会的な意味があるって気づいたらいいんじゃないかと思います。

    ── 海外の読者だからこそ見えるものがあるんですね。

    それで言うと、意外な視点に気づかされたんです。小川洋子さんや多和田葉子さん、川上弘美さんは海外でも人気ですが、「彼女たちの文学は根底に“地震”がある気がする」って言われたんです。ある日地震ですべてを失うかもしれないという諦念とか絶望とか、祈りを感じるって。考えてみれば、私と同世代の人の小説でも「今朝揺れたよね」みたいな台詞は当たり前のように出てくるし、3・11や阪神・淡路大震災のことに触れた作品は多いですよね。日本文学に“地震文学”みたいな読まれ方があるというのは発見でした。

    「今後やってみたいのは、ジャパンブックフェス」

    ── この先、日本の小説はさらに海外に広まると思いますか。

    海外のエージェントさんはみんな、アジア系の作家を文学祭に呼びたがっているんです。需要はあるので、日本にはアクティビズムを持って労働問題やフェミニズムを書いている作家がいっぱいいると彼らに伝えたい。

    私としては、海外のエージェントさんに日本に狩りに来てほしいんですよ。彼らはすごいお金持ちで、私もアナ・ウィンターみたいなエージェントの女性に、「あなたがアサコね。今度カナダに来ない?あなたはきっとプリンス・エドワード島に行きたいだろうから、ヘリをチャーターするわよ」って言われたりしたんです。それと、向こうでは、自分の城に作家を1年間住まわせて小説を書かせるのがお金持ちの自慢だったりする。そういう人と日本人作家をマッチングさせたい。

    だから日本でブックフェスを開催して、海外のエージェントを招聘したいんですよ。実際、彼らに「なんでジャパンはブックフェスをやらないんだ」ってすごく言われました。じゃあ開催地は神保町で…とか想像していたら、「場所は直島がいい」とか「京都のテンプルでやれ」とか言われて、それは無理だと伝えましたけど。

    本や作家のことを分かっている人たちとプランを立てて、作家たちのトークショーや見本市があって、海外のエージェントが参加できるフェスティバルを、いつかやりたいです。

    イギリスでの『BUTTER』の反響

    2017・・・日本で初版刊行

    2020・・・日本で文庫版刊行

    2024.02・・・イギリス版が刊行

    2024.11・・・イギリスの書店によりノミネート作が選出され、読者の投票によって結果が決まる「Books Are My Bag Readers Awards 2024」の「Breakthrough Author」を受賞 / イギリスの大手書店チェーン『Waterstones』が選ぶ「Waterstones Book of the Year 2024」を受賞

    2025.05・・・出版業界誌『The Bookseller』が運営する文学賞「The British Book Awards 2025」で、Debut Fiction部門を受賞 / 英国推理作家協会が主催する、「英国推理作家協会賞(ダガー賞)」翻訳小説部門の最終候補作に選出

    『BUTTER』

    Information

    交際相手たちが次々不審死を遂げたため殺人容疑で逮捕された梶井真奈子。週刊誌記者の里佳は彼女に面会を求め取材を試みる。仕事に追われ痩せぎすの里佳は、男性たちに手料理を振る舞っていた梶井に薦められた料理を作り、レストランに通ううち脂肪を蓄えていく。親友で料理上手な専業主婦の伶子や恋人の誠らとの関係も描かれ、現代日本における男女の生きづらさが見えてくる長編。

    写真・土佐麻理子 取材、文・瀧井朝世
    Check!

    No.2454掲載

    ボーダレスカルチャー 2025

    2025年07月09日発売

    アニメ、映画…世界で沸いているカルチャーをボーダレスに楽しめるようになった昨今。あまたある情報の中からいま注目すべきエンタメをピックアップします。海外からの反響も大きい日本発の配信ドラマ、日本で楽しむ韓国ミュージカル、国際化著しい大阪のお笑い、女性作家中心に人気を集める東アジアの文学界など、知っておきたい最新エンタメ事情&話題の人々に迫ります。さらに開催中の大阪・関西万博で世界中のカルチャーを体感できるエリアをレポート。

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    白紙に戻したい、もしくは別の生き方をしたいという心境になりやすい日です。イメージチェンジへの憧れ。結果として実際にそういう行動に出る人もいるでしょう。それでも、今やっていることを途中で投げ出すと後で問題になりがちなので、リセットに走る前に、とにかくやっておくべきことだけは終えておくほうが無難です。

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