「最初の構想ではごはんのことを書く予定はなかったんです。恋愛と絡めてというのも、あまり意識していませんでした。“好きなもの”より“正解だと思うもの”を選ぶ男性がいて、その二谷みたいな人がつき合うならこういう女性だろうと、頼りなげな芦川さんのイメージが浮かんだんです。もう少し日常生活に寄って立体的にしてみたら、食の好みやライフスタイル的な部分がはっきり見えてきて、このような作品になりました」
仕事を要領よくこなすが、食には無頓着な男性社員の二谷。芦川の1つ年下でがんばり屋の女性社員・押尾は、普通にグルメ好きだが、気を遣う食事は苦手。芦川は、片頭痛などで頻繁に早退したり、仕事のミスすら責任を取らないので、普通なら会社のお荷物なはずなのに、職場に手作りお菓子を差し入れたりするため、庇護されるポジションにいる。
依存体質の芦川を快く思っていない押尾は、彼女を表立って非難する代わりに、〈二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか〉と持ちかける。やがて、芦川が配った差し入れにまつわる、ある事件が起きる。
美味しいと思えるかは、関係のリトマス試験紙。
作中では、持参したお弁当やカップ麺を食べるランチタイムや、二谷と押尾が会社帰りに誘い合わせておでん屋に寄ったりする場面が登場。ありふれた食の光景が描かれながら、ほとんど和気あいあいとならないのが面白い。
「特に押尾に関しては、職場の会食など“人と食べるごはんは美味しくない”と思っているキャラとして書いてしまって、すごく反感を買いそうだと不安だったんです。ところがSNSに上がった感想などを見ていると、押尾に共感してくれる人が結構いたので、むしろ私自身が驚きました」
二谷は、食べることすら面倒に思っているふしがある。しかし、芦川とつき合い始めて、それほど望んでもいない手料理を一緒に食べなくてはいけない羽目に。「美味しいね」と言い合うコミュニケーションも含めて、人と食べることも大事だという刷り込みは根強く、それをだんだんと重荷に感じていく変化もリアルだ。
「日常的に料理をするのが苦ではない芦川さんは、職場ではきちんとした家庭的な人と思われています。私も彼女と同僚なら、『偉いね』とか言ってしまいそう。食生活を見て、『この人はこういう人だ』と判断してしまうことは、結構あると思うんですよね。私も学生時代に、ぬか床まで持っている料理上手な友人がいて、よくみんなで彼女の家に押しかけ、ごはんを食べさせてもらいました。彼女の恋愛観とか全然聞いたこともないのに、『結婚早そうだな』とか勝手な偏見を持っていたのを反省しています。“ちゃんとした”食事への強迫観念もあるのでしょうか」
また、最近の悩みは「この小説を書いたせいか、にわかにごはんに誘われなくなった」ことだとか。
「今度帰省する予定があるのですが、久しぶりに地元の友人に会おうよと連絡したら、『ごはんじゃなくていいよ』『ごはん以外がいい?』という返信が来たり(笑)。『ううん、ごはん行こう!』と必死に返しています。ただ、夫はともかく、親しい友達でも、遊ぼう、会おうはイコールごはんに行こうという意味ですよね。だって、ごはんを禁止にしたら、どういうふうに会えばいいのか。公園のベンチで延々話ってできるかな、ハードル高いなと思ってしまいます」
ところで、高瀬さん自身の食に対するスタンスはどうなのだろう。
「昼間は、事務職をしているんですね。私の中にも『しっかり食べなきゃ』というような、ごはんに対する義務感があるので、仕事が忙しい時期は、二谷みたいにお腹が満たされればいいという気持ちにもなります。エネルギーゼリーで1食クリアするのも嫌いじゃないです。反対に、押尾のように、美味しいお店を探して食べに出かけるのも好きです。コロナ禍前、仕事が忙しくない時期の、18時、19時に退社できるような日には、ひとりで気軽に居酒屋にも行きましたし、よく友達と食事もしていました」
美味しく食べられるかは、人間関係のリトマス試験紙のようだ、と高瀬さん。
「あまり好きじゃない人と食べると噛んでも飲み込めないし、味がしません。水やお酒で流し込んで、なんとか自分のお皿を空にすることが目的になってしまうので、つらいですよね。とはいえ、そういう人とでも一緒に食事をする時間を持つというのであれば、何らかの関係を持ち、その関係性を維持したいと思っているということでもあると思います。だから、苦手な人でも食事中は態度に出さないでしょうし、相手の話を聞いてニコニコしたり相づちを打ったり、その場をうまくやり過ごすための体裁を整える方にエネルギーを使ってしまうのかも。食べたり味わったりすることに使うエネルギーを残すのが下手なのかもしれないと、いま話しながら思いました」
それだけ、一緒に食べて美味しいと思える関係、食べながら「自分はいまリラックスしているな」と感じられる相手は、貴重。
「思うんですが、夫とか、本当に親しい誰かとふたり、向かい合わせでちょっと高級なフランス料理などを食べに行くと、美味しくてテンションが上がって、定食屋やうどん屋で食べているときと話す内容も、明らかに変わる気がするんですね」
定食屋では「毎日だるいな」「スーパーでトマト買って帰りたい」とか卑近な話しか出てこないかもしれない。おでん屋や居酒屋は、溜めていた本音を吐き出すのが似合うから、つい愚痴が多くなる。
「けれど、ちょっとお金をかけて美味しいものを食べに行くときは、『小説を今後も頑張っていきたい』みたいな、いつもと違う未来形の話ができる気がします。そういう意味で、自分の目の前にあるごはんで自分の意識が少し変わって、結果として自分はこんなこと考えてたのかとか、逆に相手からも普段聞けない話が聞けたとか、味覚以外の恩恵も受けるのかなと。美味しいごはんというのは、いろいろな意味で、自分の中に潜む何かを発見するための媒介になるのかもしれませんね」
『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子著 ラベル制作会社に勤務する二谷と押尾の視点で進む。食べる、作るという本来自由で楽しい行為が、同調圧力ともなり、他者をコントロールする術となり、弱いはずの芦川さんだけが、職場でも二谷との交際でも居場所を広げていく。奇妙な人間関係の結末は。講談社 1540円
たかせ・じゅんこ 1988年、愛媛県生まれ。作家。2019年、「犬のかたちをしているもの」ですばる文学賞を受賞。’22年、「おいしいごはんが食べられますように」で芥川賞受賞。
※『anan』2022年10月19日号より。写真・山越翔太郎(TRON) 取材、文・三浦天紗子
(by anan編集部)