「じつは一度芸人になったものの25歳で挫折。その後OLなどをしながら、お笑い芸人になりたいという火種はくすぶったまま、満員電車の中でも、何やっているんだろう…と自己嫌悪の毎日で。そのうち当時の彼からプロポーズされた時に、結婚して二度と芸人になれないとしたら、死んでも死に切れない! と思ったんです。それで一歩踏み出してみて、ダメならやめればいいと決心しました」
お笑い芸人を目指すことに反対した彼とは別れ、コメディスクールに入ったのは31歳。10代ばかりの若い同期の中で、いうまでもなく最年長だった。
「不安や恥ずかしさは一切なく、お笑いを学ぶのがとにかく楽しかった。年上だからこその人生経験もあるし、頑固にならずにスポンジのようにすべてを吸収してやろうと思いました。だから毎日一番前に座って授業を聞いて、ネタを提出する紙は裏までびっしり書いて。尖っている盛りの周りの若い子たちは、私を『ばばぁ!』とかイジってくるんだけど『ばばぁにばばぁって言っても面白くないよね、笑いになってないよね』って冷静に返したりして(笑)」
スクールを卒業し狭き門をくぐって事務所に所属。ピン芸人として芸を模索している時に出合ったのが、バブリーなキャラだった。
「自分は周りからどう見えるんだろうとアンケートをとったら『バブリーだよね』という意見があって。バブルを知らなくて調べてみたら、女性たちが財布を持たずに遊びに出かけアッシーくん(車で送ってくれる男性)、メッシーくん(ごはんを奢ってくれる男性)をはべらせていた時代。男性たちはカッコつけて見栄を張って女性をエスコートする一方で、女性は女性であることを謳歌している姿がすごくステキだと思ったんです。そこで生まれたのがあのキャラ。ダイソーで買った材料で小道具の電話を作っている時、絶対に売れる! とピンときました。その瞬間に電話に電波が通ったんだと思う(笑)。あの日の夜のときめきとワクワクは今でも忘れられません。“世代じゃないからわからない”と素通りされたくなかったし、キャラの面白さで勝負したかったから、ベースは昭和だけど『懐かしいよね』ではなく“ネオ・バブル”という新しいカルチャーにしてしまおうと考えました。4年間は全然売れなかったけど、何も怖くなかった。だって、芸人を挫折してやりたいこともやれずにいた31歳までの6年間の方がよっぽど地獄だったから。それに比べれば、やりたいことができているってだけで、幸せだったんですよね」
36歳でブレイクすると、今度は“一発屋”の傾向を分析。芸人として次のステップに進むため、バブリーキャラ以外の自分をアピールすべく、奇抜な衣装とメイクを気づかれないように変え始めた。
「肩パッドの綿を少しずつ抜き、眉毛もミリ単位で細くしながらこっそり第二形態へ(笑)。タイミングよくブラジャーのCMが決まり、堂々とナチュラルメイクで下着姿になって、全く違う姿を見せられたのが新たな転機になりました」
現状に決して満足せず、自分の人生を開拓し続ける平野さん。
「次々に状況は変わるし、変えていかなければいけないと思っている。妊娠や出産を選んだのも自分自身で、その都度欠かせないのが“自分会議”です。本当に望んでいる人生を生きているかを常に自分に問い、自己分析をして軌道を作り直しています。誰かと比べて落ち込むのではなく、自分のことだけを考えるべきだと思うから」
現在出産を控え、新たな道に踏み出す準備をしている。芸人と母の両立に不安はないのか。
「正直、割り切れない部分もありますよ。でもちょっと無理してみて辛いなら、心地よくいられるベストな状態を探しながら選び抜いていけばいい。それに状況が変われば、新たにやりたいことが見つかるもの。自分の人生は自分で、楽しんでクリエイトし続けたい」
HISTORY
23歳:お笑い芸人を目指すも25歳で挫折する。
子供の頃から「可愛い」より「面白い」と言われる方がうれしかったし、お笑いで人を笑顔にハッピーにしたいという思いからお笑い芸人に。ところが、ネタを発表することなく25歳で挫折。
25~31歳:自分に合う仕事を模索しながらくすぶる毎日。
ほかに自分に合う仕事があるのかもしれないと思い、OLやフリーターなど仕事を転々とする日々。お笑いに未練を抱え、テレビのお笑い番組は直視できずにチャンネルを変えていた。
31歳:プロポーズを断りお笑い芸人へ進む決断をする。
当時、付き合っていた彼との結婚をやめ、夢を叶えるべく再び、コメディスクールへ入学。
33歳:“バブル姉さん”のキャラが確立する。
派手な衣装にソバージュヘア、大きな電話を抱えて「OKバブリー!」「しもしも~?」「おったまげ~」を決め台詞にするキャラに。
36歳:ブレイク! テレビで見ない日はないほど多忙に。
ふかわりょうさんプロデュースの『OK!バブリー!! feat.バブリー美奈子』でシングルデビューも果たす。
39歳:付き合っていた彼との結婚を発表。
6年間同棲していた彼と結婚したことをテレビ番組で公表する。
42歳:1年間妊活に励み、第一子を妊娠。
「年齢的にムリ」ではなくまずは妊活を1年間してみようと、温活を徹底。その結果、第一子を授かる。
ひらの・のら 1978年生まれ、東京都出身。ピン芸人で、バブリーな装いの強烈なキャラクターでブレイクを果たす。現在はバラエティ番組やラジオパーソナリティのほかに、Instagramやブログでマタニティライフを発信中。
衣装はすべてスタイリスト私物
※『anan』2021年1月13日号より。写真・倉本ゴリ(Pygmycompany) スタイリスト・SHOCO ヘア&メイク・村上 綾 取材、文・若山あや
(by anan編集部)