カツ丼の蓋を開けたとき、立ちのぼってくる湯気がまずなによりのご馳走なんだ、と田口雄一さんは少年時代から気づいていた。
「だから店の名前はわりにすんなり決まりました」。中野駅の南口線路沿いの中華食堂は、『湯気』というそれだけで人の心を掴む最高の屋号を掲げて今年8月にオープンしたばかり。店に着くなり差し出されるのは一杯のスープ。中華青磁のお碗からふわーんと湯気が立ちのぼれば、表情筋はたちまちゆるみ、店との距離も近くなる。白湯に近い柔らかな出汁の味わいで、胃も心もすっかり整ったところで本編が始まるのだ。
「料理のメニュー、これだけでもよかったかも」と田口さんが言うのは油淋鶏。紹興酒で下味をつけカラっと揚げた鶏肉に、レタスの床と、薬味多めの特製タレ。甘辛サクサクシャキシャキジューシーの、ある種究極のおやつ的おいしさを体現する一皿だ。高くないのにたしかにおいしい。気取りはないのにかっこいい。ドリンクにはナチュールワインを揃えて、店内にはオーダーメイド花屋『LOVELETTER』を併設する。この店には町中華という言葉が似合うなあ、と思う。そしてそれがこんな風に更新されるのか、という驚きもある。近頃は昔ながらの店の閉店に胸を痛めることも多いけれど、そのスピリットを受け継いだ店がこうして生まれていくことが、とても嬉しい。
上の写真右から、日替わりスープ¥300、油淋鶏(大)¥1,200、ナチュールワイン グラス¥1,000~(ボトル¥6,000~)。現在は仮店舗にて来年3月末まで予定の期間限定営業中。そして2軒目には『湯気』から歩いてすぐのフレンチ『松㐂』でデザート、という最高コースが爆誕している。
湯気 東京都中野区中野2-23-1 TEL:070・3861・8300 18:00~24:00(22:30LO) 不定休(休みはインスタグラムを確認) https://www.instagram.com/yuge_nakano
ひらの・さきこ 1991年生まれ。フードライター。著書にエッセイ集『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)。
※『anan』2018年10月17日号より。写真・清水奈緒 取材、文・平野紗季子
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