スタジオの前にクラシックなベンツが停まっていた。聞けば光石研さんがご自身で乗ってこられたのだという。可愛らしさの中に武骨さもあり、おしゃれで品がいいけど、どこかやんちゃな親しみやすさも感じる、まさにご本人の印象そのまま。上梓したばかりのエッセイ『リバーサイドボーイズ』にも、そんな魅力的な人柄が滲み出る。
――エッセイが軽妙で読みやすく、オチもあり面白かったです。
いやいや、文章を書くのは一番苦手かもしれないです。雑誌を読んだりするのは好きですし、イラストを落書きしたりするのも好きなんですけれど、文学的なアプローチはしたことがなくて。
――もともと西日本新聞で連載していたエッセイですが、連載をお引き受けになられたのは…?
お話をいただいたのが、コロナ禍の最初の年だったんです。3月の終わり頃に次々と撮影が止まって、何していいかわからないってなってたときだったから、じゃあやらせてくださいって。そこからコロナ期間中は、九州の友だちに「あの店、なんて名前だっけ?」とかリサーチしたり、2か月半はこれで過ごさせてもらって本当に助かったんですよね。
――北九州での青春時代から、仕事、日常生活についてなど、さまざまなテーマで書かれています。ご自身を振り返る機会も多かったと思いますが、あらためて気づいたことなどはありました?
そんな深い内容でもないんですけど…(笑)。ただこの歳になって、このエッセイもですが、俳優という仕事以外のアプローチをするってことが増えてきて、それが自分にとってすごく刺激になっています。僕が俳優になったのは’70年代の終わりですが、その時代って、演じることこそが俳優の仕事で、他のことをやるなんて、みたいなことを言われる時代だったんですよね。だからあれから40年経って還暦間近のいい時期に、新たなジャンルのお仕事の話をいただけてありがたかったです。
――今、歌やバラエティなどでも活躍する若い俳優さんが増えていますが、それこそ若いうちは俳優業に専念したほうが…なんて思われたりは?
全然ないですよ。だって自由にやったほうが絶対いいにきまってるんだから。バンドをやって映像を撮って、芝居をやって、みたいな若い方いらっしゃるじゃないですか。僕からしたら、そういうたくさん肩書を持てる人たちがすごく羨ましいし、かっこいいなと思います。僕だってできればやりたかったですよ。歌だって、うまかったら歌いたかったですし。
――そういう世代を見て羨んだりすることはありますか?
ありますよ。僕らは抑圧されていた世代ですから、今の若い方が自由にやってるのは羨ましいです。
――光石さんにとっては、厳しくても楽しいのが俳優業だと思うんですが、ここまでずっと楽しいと思ってこられたんですか?
エッセイにも書いているんですが、ある種、俳優業というものに就職した感覚なんですよね。何かを観て雷が落ちたようにビビッときてこの道を目指した、というんじゃなく、たまたま映画に出させてもらって、それがデビュー作になったんです。現場がすごく楽しくて、それでお給料ももらって、こんな面白い職業があるんだって感じでした。その当時、アルバイトもしたことがなかったし、単純ですよね。だから、演じたいという気持ちより先に、“たまたま経験した映画の現場が楽しかったから、またあそこに行きたい”だったんです。まあ、そこからが大変ではあったんですけれど(笑)。今もあのときの、みんなでワーワー言いながら作ってた楽しさを、また体験したいっていう想いで続けている感じです。
――不安とか、辞めたいと思ったことはないですか?
全然考えてなかったです。世間知らずだったんでしょうね。決めたのが16歳ですから。そこから1年半で高校を卒業して上京しましたが、なんとかなると思ってました。30代の頃に食べられなかった時期はありましたけど、辞めて他の職業にっていう発想がなかったんです。他を知らないっていうのもあったと思いますが、保証は何もないのに、なんとかなると思ってたんですよね。でもさすがにコロナの時期は、根源的に不要不急な職業なんだと思わされましたが。
――先ほどもそうおっしゃっていましたが、コロナで多くの人が家から出ない生活を送っていたときに、心の拠り所になったのが映画やドラマの存在だと思います。
確かにみなさんが過去の作品を見て喜んでくださってはいたし、その作品に携われたことは幸せに思うけれど、あくまで撮影チームみんなで作ったものですから。これが舞台俳優さんだったら、ひとり芝居とかも提案できるんだろうけど、僕みたいな映像が主な俳優は、現場を用意してもらって、カメラがあって、撮ってくれる人がいないと何もできないんだなって、身につまされましたよね。
――エッセイの中でも「俳優を映しているんじゃなく映画を撮っているんだ」とありましたが、この人が演じているこの役だからこそ出せたもの、というものが確実にあると思うんです。
もちろん若い頃は、自分がやることでこの映画が何かになるんだと思ってたこともありましたが、今はそういうことはなくなりましたね。だから例えば、僕の役が褒められれば嬉しいけれど、言われた通りやっただけだしなって思うから、監督に言ってあげてくださいってなる。逆に、あれはよくなかったって言われても、監督に言われた通りやっただけだからって思える。もちろん奮起はしますけど、それくらいの感じです。
――では、演じるやり甲斐をどこに置いていますか?
ワンシーンを成立させるということですね。最近は宣伝活動にも参加させてもらっていますから責任はありますが、その映画がどうなるかは僕が考えることじゃないというか。僕の仕事はやっぱり、現場で知恵を出し合ってワンカットを成立させることで。オールアップになったら完結なんです。
――映画は監督のもの、という意識でいらっしゃるんですね。
とはいえ、完成すればやっぱり自分のことも気になるし、映画の評判も気になりますけどね。
基本的に自分が面白そうだなって思えるかどうか。
――若いクリエイターの方とお仕事されたり、インディーズの映画にも出演されていますが、現場に対するこだわりはありますか?
職業なので、いただいたお仕事はやるというのが前提ですけど、どこの現場にも、初めてのときのような面白さが味わえたらと思って向かっています。だから監督が若いとかベテランとかはあまり関係なくて、基本的に自分が面白そうだなって思えるかどうか。若い監督で、目から鱗の演出をされる方もいますからね。ある作品で、「ミカンを頭に乗っけてしゃべってください」って言われたことがありました。最初は驚いたけど、その監督の言うようにやってみようと思えた。なぜかはわからないけれど、きっと長年やってきた勘どころみたいなもので信頼できると思えたんでしょうね。
――面白いと思えるかどうかの基準のようなものはありますか?
それはないですかね。同じような役が続くと、違うのもやりたいなって思うくらいで。そもそもやりたいと思ってもお仕事が来ないことには何もならないので、そこは流れに任せて。ずっと舞台はやらないと言ってきたけど、突然お話をいただいて決めちゃったりもしましたし。だから、同じような役が続いても、面白そうってなればやるかもしれないし。僕みたいな脇役の俳優は、役や作品に固執していくと仕事がなくなっていきますから、軽やかにいないとという思いはちょっとあります。
――監督から求められたとしても、それはちょっとできないとおっしゃる場合もありますか?
そういうときもありますね。へんなもので、相手のことを面白い人だなと思っていると、突拍子もないことを言ってきてもやってみようと思えたりするし、それをやってどうなるんだろうって? って思うような相手だったらやらないだろうし。初対面だけど、この人とは肌感覚で合うなとか合わないなって思うことあるじゃないですか。そんな感じで、この人が言うならやってみようと思えれば、どんなこともやりますよ。
――今、映画作りの現場も変わってきていますが、そのことについても少し伺っていいですか?
正直、あまりに問題が大きすぎて、片隅にいる僕なんかが言えることじゃないですけど、映画ってたかだかできて100年くらいのものではありますが、耐久性のあるメディアだと思うんですよ。だからせっかく撮るならば、先の時代に残すつもりで撮ってほしいし、そういう現場に出合いたいという気持ちはあります。あまりにも気軽に誰でも撮れちゃう時代だからこそ余計にね。でも本当にわからないです。僕が始めた頃はフィルムで撮るのが映画だと教わってきたけれど、それも変わりましたしね。ただ、何で撮ろうとも、これは映画だなという肌触りというか、手触りを感じる現場っていうのはあって。たぶんそれって、監督が映画というものとどう対峙しているかってことな気がするんです。それを周りのスタッフも自ずと感じとって、現場に伝染していく。それがいい現場なのかなって、僕なんかは思うんですよね。
光石研さんのプライベートエッセイ『リバーサイドボーイズ』は現在発売中(三栄/1760円)。2021年から’23年まで西日本新聞に連載したエッセイを再構成し、「思い出の街への撮り下ろし紀行」と「リリー・フランキーさんとの地元トーク」を新たに加えた一冊。北九州での青春時代、家族、俳優業についてなど、軽妙な語り口で綴られている。
みついし・けん 1961年9月26日生まれ、福岡県出身。高校在学中にオーディションで映画『博多っ子純情』の主役に抜擢されデビュー。以降、さまざまなドラマや映画に出演し、名バイプレイヤーとして活躍。現在放送中のドラマ『Re:リベンジ‐欲望の果てに‐』に出演するほか、出演映画『ディア・ファミリー』は6月14日公開予定。
カーディガン¥31,900(ペレグリン/ビームスF TEL:03・3470・3946) その他はスタイリスト私物
※『anan』2024年5月29号より。写真・向後真孝 スタイリスト・下山さつき(クジラ) ヘア&メイク・大島千穂 インタビュー、文・望月リサ
(by anan編集部)