内海桂子「とにかく度胸ですよ。やれるかやれないか、考えていたんじゃダメよ」
先週もお話ししましたけど、アタシは数え年13歳で舞台に上げられて、いきなり漫才師にさせられちゃったわけです。芸ができるかとか、考えてるヒマは全然ありませんでした。だからこそ、そこで度胸ってものが付いたのよ。
アタシは今でも、月に8回演芸場の舞台に一人で上がってるんですけど、袖から出るときに、司会の若い芸人さんを通せんぼして捕まえて、一緒に漫才やっちゃうの。若い人からしたら、そりゃぁ緊張するでしょう。なんの稽古もなしに、突然言われるんですから。アタシは若い人に、「自分の漫才をやんな、こっちがかぶせてあげるから」って言うんです。舞台に上がったら、とにかくやんなきゃ。考えたり、怖じ気づいちゃったりしちゃダメね。どんなことでも、やっちゃえばどうにかなる。
ちなみに、そうやって一緒にやってた中で、大きくなったのがナイツの二人。私が何かを言うと、当意即妙に返してくる。いろんな若い人と舞台に立つけど、彼らみたいに度胸がある子は育つわね。
うつみ・けいこ 芸人。1922年生まれ。内海好江さんとの漫才コンビで一世を風靡。’97 年に好江さんが亡くなったあとは一人で舞台に上がっていた。2020年8月に逝去。’13年11月、連載1回目のゲストとして登場。初出は1880号。
橋田壽賀子「結婚はしてもしなくても。実は結構しんどいですよ」
当時私はテレビドラマのシナリオを書いていたんですが、映画時代同様、自分の脚本にあれこれ文句を言われる目に遭っていて。しかも女一人フリーで働くのは、収入も不安定。だからもし本当にこの人が私をもらってくれるなら、脚本家やめようって思ってたんです。40歳まで一度も結婚のチャンスがなかった私にとっては、千載一遇。石井(ふく子)さんは、「あの人酔っぱらいだからやめなさいよ、大変よ?」って言ってましたけど、「酔っぱらいも何も、月給が高いんだからいいわ!」って(笑)。
でも結婚って、絶対しなきゃいけないものではないですね。結婚、しんどいよ(笑)。今の時代、女性でも生活力があるなら、一人で生きて、子供を産んで育てることもできる。これからは、何にも頼らないで生きていける、そんな精神を持っている女性が増えてほしい。それで、たまたまいい人と巡り会ったら結婚する、くらいの気持ちでいたほうがいいです。とにかく、結婚に何かを期待しちゃダメです。自立しましょう!
はしだ・すがこ 脚本家。1925年、京城(現ソウル)生まれ。松竹入社後脚本部に配属され、脚本家の道へ。退職後『渡る世間は鬼ばかり』など数々のヒットドラマを生む。2021年4月に逝去。’14年6月に連載に登場。初出は1910号。
※『anan』2023年7月19日号より。写真・中島慶子(内海さん) 土佐麻理子(橋田さん)
(by anan編集部)