離婚をして直面した、“男社会”の壁…。
私は35歳で離婚をしたのですが、当時は離婚に対する視線は冷たく、実家に帰ることもできず…。だからこそ食べていけるようにならなければと、道を整えました。なんとか自立して仕事ができるようになりたい…と頑張り、そして8年目に、とあるCM撮影の仕事が来たんです。ギャラは当時のお金で20万円。そのギャラに、それまで貯めていたお金を合わせ持ち、娘を連れて家を出ました。そこから母一人娘一人の生活が始まりました。
離婚するまで、私は男女格差を実感したことはなかったのですが、一人で仕事を始めてからは、いろんな壁が立ちはだかりました。どこもかしこも男社会。一番大変だったのが銀行。融資のお願いに行くと、「女がそんな商売できるの? 女なのに返せるの?」と。こっちは返せる自信と計画があるから来てるのに、なんなんだか…。女性が一人で生きるのは大変だと実感しましたが、同時に、これも楽しんでしまおうと思いました。
友人でライバル、同世代の仲間に励まされました。
でも、そんなことでへこたれてる場合ではありません。生きる勇気を奮い立たせるのも、自信をつけるのも、結局自分。その気持ちは今でも変わっていません。そしてもう一つ、あの頃の私の支えになったのは、同世代の友人たち。私はラッキーなことに、才能にあふれる友人たちに恵まれ、彼ら彼女らの存在がとても大きかった。ファッションデザイナーの三宅一生さん、コシノジュンコさん、コシノヒロコさん、アートディレクターの石岡瑛子さん…。みんな職業は異なるけれど、ライバルみたいな存在でした。彼らを見ていると、こんなことでへこたれちゃダメだと、心の底から思ったものです。文字通り、切磋琢磨の関係性だったと思います。「ヘアアーティストなのに、結髪(けっぱつ)って書かれた…」って、ウジウジしてる場合じゃなかったんですよ(笑)。
私は年を取ることにはネガティブではありません。でも仲間たちが少しずついなくなってしまうのは、やっぱり寂しいですね。
かわべ・さちこ トータルビューティクリエイター。1938年生まれ、東京都出身。’60年代よりヨーロッパのオートクチュール、国内外トップデザイナーのヘアメイクを担当。現在は自身の名を冠したサロンを運営しながら、様々な雑誌に登場。
※『anan』8月17‐24日合併号より。写真・中島慶子
(by anan編集部)