連続殺人鬼は誰かという謎の背後で描かれる絶対的な友情物語に涙する。
東山彰良さんは5歳まで台北で過ごし、両親とともに福岡に居を移したのは9歳のとき。東山さんにとっての原風景ともいえる台北の廣州街を舞台に『流』を描いたが、
「ここ数年、場所で遊ぶことを覚えたせいか、まだ書き足りなくて(笑)」
『僕が殺した人と僕を殺した人』でも、同じ街を舞台に選んだ。
「中心となる4人の少年たちは、僕の実年齢により近いので、自分が知っている当時の台北を描けると思ったんですね。1984年に13歳という設定なら、17歳だった『流』の主人公・秋生(チョウシェン)が抱いたような恋愛やアイデンティティといった悩みはまだ遠く、より男の子同士の友情の話に終始できると思いました。僕自身は、大好きな友達のために大それたことをした経験はありません。憧れながら手に入れられなかった友情のまぶしさを、物語の中で自分なりに体験してみたかったのかも」
だが、本書は、いわゆる友情物語というだけではくくれない。切なくて残酷で、それでも一筋の光が差すような重層的なドラマが待っている。
全米を震撼させていた〈サックマン〉と呼ばれる連続殺人鬼の弁護を引き受ける〈わたし〉は、30年前、台湾にいたころにサックマンを知っていた。現代のアメリカと30年前の台北、2つの時空を行き来しながら物語は進むが、犯人は4人のうち誰なのか、なかなか見えてこない。
「実は書き始めたとき、僕も犯人が誰なのかわかっていませんでした。4人全員にあった可能性が少しずつ狭まり、これしかないというところまで来たときに、『彼だったのか』と。前に戻って伏線などを加筆修正し、いまの形になりました。自分でも想像がつかなかったようなことが書けて初めて、読者へも驚きのある物語が届けられると思っています」
蒸し暑くて牛肉麺の匂いがそこら中で漂っていそうな廣州街の喧噪や、ケンカやいざこざが絶えない濃密な人間関係などが活写され、物語のリアリティを増幅させている。
「台湾を描写する上で大切にしているのは、民間信仰の厚さ。物語にもありましたが、大切な問題は神様に決めてもらうんです。信心深さとスマホ文化とが同居し、それが不思議ではないのが台湾の風土。そこをうまく物語に溶け込ませることができていたらうれしいですね」
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