SUPER BEAVER・渋谷龍太「救急車で運ばれ…」 波瀾万丈のバンドストーリー

2021.11.25
結成16周年を迎えたSUPER BEAVER。その波瀾万丈なバンドストーリーを、ボーカルの渋谷龍太さんが小説にして発表。愛も勇気も真っすぐに歌う彼の信条とは。
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実際にお会いすると、そのヴィジュアルからは想像もつかないほど優しい人あたりに驚く。SUPER BEAVERのボーカル・渋谷龍太さんが初めての小説『都会のラクダ』に綴ったのは自身の生い立ちや、バンド活動を通じて経験した挫折と希望に満ちた物語。その数々のエピソードから、彼が人と向き合う時に大切にしていることが見えてくる。

――新宿の歌舞伎町で生まれ育ったそうですが、どんな幼少期を過ごしましたか。

渋谷龍太さん(以下、渋谷):歌舞伎町の病院で生まれて、歌舞伎町で育ったっていうとパンチがありますけど(笑)。意外と普通ですよ。実家のマンションは近くにヤクザの愛人のような方が住んでたりはしましたけど。そこに出入りしている方たちはごく普通の人ばかりで、小学生の時に自転車で帰ったらエレベーターを開けて待っていてくれたり。環境的に友達のご両親が夜働いている方が多かったりしたこともあり、人に対する偏見が一切ないです。小さい頃から一般的なイメージとは違う、人の本質的な部分に触れる経験をしてきました。だから今もお会いした方の本質を見ることを大事にしています。

――音楽や読書が好きになったのは、どんなきっかけでしたか。

渋谷:父親の趣味で家ではずっとハードロックが流れていて。ディープ・パープルやレッド・ツェッペリン、ブラック・サバスなど海外の音楽にたくさん触れてきました。その頃の自分にとって音楽といえば何を言ってるかわからない賑やかなものだったんです。だからこそ小学5年生でオフコースを初めて聴いた時に衝撃を受けました。

――どんな衝撃だったんですか。

渋谷:「うるさくねえ!」って(笑)。こんなに綺麗な音楽があるんだと思い、そこからはオフコースをはじめ、山下達郎さんや中島みゆきさんなどを聴いていきました。本を読み始めたのは中学3年生の時。ある日、風邪をひいて学校を休んでいたら母ちゃんに「暇なら読んでみれば?」と宮本輝さんの『青が散る』を渡されて。それから良いのか悪いのか、授業中に本ばかり読むようになりました(笑)。

――渋谷さんの人間性に影響した出来事やターニングポイントは?

渋谷:新宿の地元の友達は派手な奴が多くて、そんな中で自分をうまく出せず「自分はいいや」ってコンプレックスに思ってたんですけど。中3で友達と行ったカラオケで珍しく人前で歌ってみたら「お前、歌、下手じゃないね。歌えるほうだよ」って言われて。地元の友達と離れた高校時代は周りに派手な友達もいなくて、一気に自我が暴走したのか髪の毛をピンクにしたり、人前で目立つのが好きになりました。そんな時にバンドに誘われてSUPER BEAVERのボーカルになったんです。

――小説『都会のラクダ』にはSUPER BEAVERが最初にメジャーレーベルで活動していた頃の、辛い日々のことも書かれています。音楽の楽しさを失い、スタッフに人格を否定されるような言葉を浴びせられていた当時、どんな気持ちでバンド活動をしていましたか。

渋谷:メジャーデビューしたのが2009年だったんですけど。活動しながら、自分たちが表現したいことが何かもわからないまま、担当ディレクターの言うままに全てやるという状況に、いつの間にかなっていました。「これやってみたらどう?」が「これをやって」になり最後は「これをやれ!」になり。まだ21歳で世の中を全く知らなかったこともあり、この社会で何とか生きていかなきゃいけないと、気持ちを騙し騙しやっていて。その状況は傍から見ても異様な光景だったんでしょうね、心配したエンジニアの方が「何かあったら連絡して」と電話番号を渡してくれたこともあったし、メジャーから離れる時、いろんな方に「何もしてあげられなくてごめん」と謝られたりして。やっぱり変な現場だったんだなって。言われた通りにやること以外の選択肢がないのは辛かったです。

――2011年にメジャーから離れてインディーズに。メンバーがバラバラになってもおかしくない状況だったと思いますが、4人を繋ぎ留めたのは何でしたか。

渋谷:メジャーから離れるきっかけのひとつに、俺がレコーディング中に多忙とストレスで倒れて救急車で運ばれる出来事があって。体にガタがきたから、これは逃げるチャンスじゃね? って思っちゃいました。3日間入院した後、当時のマネージャーが4人で腹を割って話す機会を与えてくれて。自分たちで始めた音楽なんだから、自分たちでもうちょっとやってみよう、諦めるのはまだ早いんじゃないの? って話をしました。メジャーを離れても、バンドを続けたい気持ちがまだ4人の中にはあったんですよね。自分たちでやってみてダメだったらやめよう、くらいの気持ちでした。

――インディーズで活動を始めてからはどういうモチベーションで頑張っていましたか。

渋谷:自分たちだけで活動を始めたら、何をするにも全て新鮮で。メジャーの時に比べたら、全然楽しい! って感じだったんですよね。ツアーで使う移動車を買うために4人でローンを組んで。アルバイトしてバンドの資金を貯金しながらの活動でしたけど。何の知識も経験もなかったからこそワクワクできました。

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――いよいよ初の武道館公演を開催した2018年。「4人だけで音楽をやったから、4人だけでないことに気づくことができた」と書かれていました。

渋谷:CDを作るにしても、ツアーをまわるにしても、4人だけじゃ何もできなかったですからね。全国各地のライブハウスで「じゃあ次はいつ来いよ」って言ってもらえたり、制作費を「CDが売れたらでいいよ」と言ってくれる方が周りにいてくれた。「お前らお客さん全然いなかったのに、そろそろワンマンライブできるんじゃないの?」なんて一緒に喜んでくれる人がいることが、本当に尊いことだなって。自分たちで音楽をやり始めてようやく気づけたんです。

――メジャー再契約後は、レコード会社スタッフとの関係性や環境にどんな変化がありましたか。 

渋谷:レコード会社さんからしたら、俺らめちゃくちゃ厄介な存在だと思いますよ(笑)。メジャー落ちバンドと、素人マネージャーの組み合わせで何ができるんだ? って言われたところからひとつひとつ構築してきたチームとしての自負がありますから。インディーズでもドラマ主題歌のタイアップだっていただける状況になって、正直メジャーに戻る必要ある? とも思った。ただ、やっぱり使える予算が1桁違うとか(笑)、どうあがいてもできないこともあった。そこでもう一回メジャーと手を組むのはどうかな? って。ただ、あくまでもメジャーに戻った時に、レーベル側に「世話してやってる」と思わせない、俺たちも「契約してもらった」と思わないようにしようと。敬うこと、尊重することは双方持って然るべきだと思うんですよね。

――ビジネス面でのノウハウも、後輩バンドに伝えられそうですね。

渋谷:スタッフサイドからすると若手が会話してほしくないバンド、No.1じゃないですかね(笑)。いろんな若いバンドマンたちと話すと「なんでそれだけしかお金もらってないの?」って思うこともあります。それでうまくいってたり、楽しくやれてるならいいけど、そうじゃないなら助けてあげたい。契約上の不明点があれば、まずはスタッフに聞いてみてごらんって言ってます。そこで詳しく教えてもらえなかったとしても「こいつら気にしてるんだな」ってジャブにはなりますから。

結成16周年を迎えた4人組バンド、SUPER BEAVERのボーカル・渋谷龍太がバンドストーリーを綴った初の小説『都会のラクダ』(¥1,650)はKADOKAWAより11月26日に発売。バンドとしては来年2月23日にアルバム『東京』のリリースを控え、全国ホールツアーも開催予定。

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しぶや・りゅうた 1987年5月27日生まれ、東京都出身。SUPER BEAVERのボーカル。2005年にバンド結成、’09年メジャーデビュー。’11年レーベルを離れ、インディーズで活動を開始し、年間100本のライブ活動をスタート。結成15周年を迎えた’20年4月にメジャー再契約。’21年10月から11月にかけて自身最大キャパとなる3都市6公演のアリーナツアーを開催し、チケットは完売。「澁谷逆太郎」名義でソロ活動も行う。

※『anan』2021年12月1日号より。写真・岩澤高雄(The VOICE) ヘア&メイク・蔵本優花 インタビュー、文・上野三樹

(by anan編集部)