映画監督・濱口竜介「聞いたり話したり触れたり味わったり、感じることすべてに開かれていたい」

日本映画の新時代を牽引する映画監督・濱口竜介。着想から5年、フランスを舞台にした最新作『急に具合が悪くなる』を出発点に、日仏の映画作りの違いや、監督の演出メソッドを聞く。


第79回カンヌ国際映画祭で主演ふたりが最優秀女優賞に輝き話題を呼んだ、濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』。パリの介護施設で働くマリー=ルーと演劇の演出家でステージⅣのがん患者である真理。同じ名前を持つふたりが交流を深めていく、濃密な196分だ。原作はがんの転移を生き抜く哲学者・宮野真生子さんと、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者・磯野真穂さんの往復書簡。そのままでは映画にできない題材を、「魂ごと引き受ける」形で映画にした。

── 原作のどこから、映画の着想を得たのでしょうか?

濱口竜介(以下、濱口) 松田広子プロデューサーから書籍の映画化を提案された時点では、「一体どうやって映画にする気なんですか」と私も思っていました(笑)。それでも、これ以外に映画にしたいと思えるものがなかった。宮野さんと磯野さんが生み出した言葉から得た強い情動を映画にできたら、それは素晴らしいことだと思いました。できれば、言葉にならないようなものだけを映したかったので、特に言語化はせず、何度も原作を読み、脚本を書きました。それでもずっと「どうやって映画にするんだ」と思っていたところも。『ハッピーアワー』(2015)のときからそうですが、「一体どうするんだ」とお手上げ状態のものこそ興味深いというか、自分でも知らない自分の何かを引き出さないと撮れないようなものに惹かれるのかもしれません。

── 磯野さんからの唯一の要望が「登場人物が哲学者と文化人類学者であること」だったそうですね。

濱口 0稿では、幅広く受け入れられるようにアカデミックな部分を薄めた脚本にしてしまっていました。ですが、磯野さんからの要望を聞き縛りが生まれたおかげで、抽象的な話も含めて誰にでも伝わるような形でどう映画にできるか、と挑戦の方向性が定まりました。

── そこから生まれたふたりの対話が印象的です。川辺を歩きながら、ときにホワイトボードで語り、そこにマルセル・モースの『贈与論』や高畑勲監督の『平成狸合戦ぽんぽこ』の話も出てきます。

濱口 ヴィルジニーさんも僕も高畑勲監督が好きなので少し強調したい気持ちも出たのかもしれませんね。本作では「ユマニチュード」という、ケアを受ける人を「対象」ではなく意思を持つひとりの「人間」として捉える、というケアの技法を軸にしたことが脚本に大きく影響しました。取材した2つの施設のうちの1つがユマニチュードの導入段階で、必ずしもすべてがうまく進んでいないけれど、どうにか医療や介護の構造を変えようとしていた。そこをモデルにしながら、この状況がどう解決できるかと思考実験をくり返していると、自然と構造や資本主義の話になっていくのだと思いました。

── 三宅唱監督、映画研究者の三浦哲哉さんとの共著『演出をさがして 映画の勉強会』で「始まりが映画のリアリティの基準になる」と仰っていました。冒頭の描写はどのように決められましたか?

濱口 介護施設の中に入っていくように感じられる冒頭になるよう意識しました。フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーでは、施設に入っていくけれど説明的なナレーションはなく、そこで行われるアクションと会話を手がかりに、ここは一体どういう場所なのか推測する楽しみが観客にあると感じました。なので、何の話をしているのか最初はわからないけれど、だんだんとピースが埋まっていき、観客が映画を観られる体を作っていくようなイメージです。

── 映画全体がゆったりとした動きが多い中、画面から突如人がいなくなる、急に具合が悪くなる場面のスピード感にハッとしました。

濱口 ユマニチュードを推進している施設なので、ある程度自由に歩くことを方針としています。ですが、そこにはリスクもあって、実際に起こったときの混乱をわかりやすく描こうと思いました。“急に”という感覚を映画で出すためには、ずっと続いていくんだろうなというどこか安穏とした感覚を作ったうえで、突然壊されることが必要では、と考えてカメラの構図や設定など考えました。

フランスに根付く、“即興こそが至高”

── 本作は大半をフランスの俳優が演じ、撮影も監督にとっては初めての海外ロケです。国際共同製作になった経緯は?

濱口 シネフランスというフランスの制作会社から「一緒に仕事をしたい」と誘われた、という単純なきっかけです。ただ、企画をいい方向にする施策が思いつかず苦心していたので、ここで主人公のふたりを日本人とフランス人にするという案を思いつき、具体的に動き出すことができました。

── 濱口監督のメソッドの特徴として、徹底した本読みがあります。日仏で違いを感じた点は?

濱口 日本語だと意味がわかるので言語的な精度が上がりますが、フランス語だと口調や音の動きの違いに気づけません。ただ、すごくプリミティブなことで、「今は集中しているな」「体の調子が閉じているな」といった声の質そのものを聞くことができた気がします。本来、本読みの目的はそこにあるので、より声の質にフォーカスできたように感じました。

── 声の状態を聞く、というのは感覚的なものなのでしょうか?

濱口 そうですね、たとえば恋人同士で電話をしていて、相手が落ち込んでいたり怒っていたりしたら、声色でわかることがありますよね。普段の会話だと、声のトーンより情報に意識が向きますが、脚本だと情報そのものは変わらないので声の質にフォーカスすることができる。ヨーロッパ系の言語はうねるので、日本語の抑揚のない平坦なリズムとはやっぱり違う、とも思いました。日本語だと本読みを経て、そこから感情を表現することに更に一段階仕掛けがいる感じがするのですが、フランス語はリズムがあるのでフラットさから抜け出しやすい。その分、本読みのときは、感情や体の状態に集中することから逃げやすいようでした。語学力が十分ではないため感覚的ですが、本読みの場で「感情的な読み方を加えた気がするのでフラットに読んでください」と、何度か伝えました。ただ、現場では感じたように演じていただいて構わないという前提で、本読みではテキストが自動再生されるくらいまで、体に入れてもらいました。

── フランスで撮ることの面白さを、どう感じられましたか?

濱口 映画史的な背景もあると思いますが“即興こそが至高”という考えがスタッフ含め全員にありました。日本だと、事前に伝えていないことを急にはできない、となるところをどうにかしてくれる。そもそも、日本に比べて準備が行き届いていないところもあるのですが、1日目は慌ただしい現場だったのが、2日目にはほとんど用意されていて「ほら、大丈夫でしょう?」と言う。撮影期間に余裕があることも影響していますが、監督に言われたことをどうやって即興的に表現できるか、に重きを置いていました。最初は慣れなくて大変だったのですが、だんだんと自分も自由になれた気がします。ただ、事前に準備をして、さらに即興を加えるのが一番いいと僕は思いましたけど(笑)、映画を撮る環境としては、フランスは幸せだなと正直思いました。

── 介護施設で行われるレクリエーションの一つとして、足のダンスがありましたが、まさに即興こそが至高を感じられる場面でした。

濱口 ダンサーで振付師の砂連尾理(じゃれお・おさむ)さんに指導いただいた場面です。僕たちは「足裏ダンス」と呼んでいました。砂連尾さんが東日本大震災で避難所を訪ねた際に、被災者の方々の体がこわばっていることを感じて、足裏のマッサージを施したことから始まったもの。私は記録映像で参加し、生命体のような活力のある動きを記憶していたので、撮影に来てもらいました。俳優たちが演じる、というより感じたまま表現してくれて、触れることそのものの喜びがそのまま映っているような気がします。

── 濱口監督の作品で3時間超えは珍しくありませんが、尺はイメージして作られるのでしょうか?

濱口 これは、脚本の時点で4時間近くなるだろうという感じがあったので、随分短くしたなと個人的には思っています(笑)。

── 「映画の勉強会」など忙しい中でも継続的に学びの機会を作られていますが、映画制作にどのような影響を及ぼしていますか?

濱口 基本的には常に変わっていたいので、そのための方法として学ぶことや言葉にすることを継続しているのだと思います。語ることと聞くことはセットで、変わっていく一過程です。ただ、言葉にすると固定化していく可能性もあるので怖いことではありますが、こうやって質問していただいて、これまで言語化していなかったことを自分の中で発見する瞬間は、すごく大事だなと思います。子どもの頃、大人だなと感じていた人は、表情が硬い人が多いイメージがありました。担うべき役割の中に収まっているような、きっと自分の知らないいろんな側面はあったのでしょうが、怖いのは一面しか持たない人になることです。40代後半でお恥ずかしいですが、どこか子どものようにありたい気持ちがあります。自分の人生が閉じてしまわないように、聞いたり話したり触れたり味わったり、感じることすべてに開かれていたいです。

── 注目も集まる中で、監督を取り巻く環境の変化はありますか?

濱口 相手が一方的に自分をよく知っていることが、プライベートでも仕事でも増えてきました。ありがたいですが、居心地がいいとは言えないかもしれません。

── 海外の映画祭でも受賞されていますが、映画を撮ることと賞を得ることは延長にありますか?

濱口 作り続けるうえで賞は関係がないとは言いませんが、審査する側も経験し、賞を得ることも得ないことも同様に起こり得るし、どちらにも良し悪しがあると思います。今は起きたことを受け入れていこうとだけ思っています。

Profile

濱口竜介

はまぐち・りゅうすけ 映画監督。1978年生まれ、神奈川県出身。東京藝術大学大学院の修了制作『PASSION』が国内外で高い評価を得る。『ドライブ・マイ・カー』(2021)が第74回カンヌ国際映画祭で脚本賞をはじめ4冠、米アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。続く『悪は存在しない』(2024)で、ヴェネチア国際映画祭の銀獅子賞を受賞。

information

『急に具合が悪くなる』

6月19日から全国ロードショー。パリの介護施設で理想を追求するマリー=ルー(ヴィルジニー・エフィラ)と、演劇の演出家でがん患者である真理(岡本多緒)の物語。フランスでの撮影は、ほぼすべての部門を海外スタッフが担当している。

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写真・高橋マナミ インタビュー、文・羽佐田瑶子

anan 2500号(2026年6月17日発売)より
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No.2500掲載

王道エンタメの矜持

2026年06月17日発売

55年間ときめきを追いかけ続けてきたananがこのメモリアルな号で特集するのは“王道エンタメ”。市川團十郎さん、反町隆史さん、辻村深月さんなど、それぞれの世界で王道を歩んで来られた方々のインタビューを通して、各ジャンルにとっての王道とは何かを探ります。

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