小島秀夫のan‐an‐an、とっても大好き○○○○⚫︎:第38回目『内視鏡決死圏』

小島秀夫の右脳が大好きなこと=○○○○⚫︎を日常から切り取り、それを左脳で深掘りする、未来への考察&応援エッセイ「ゲームクリエイター小島秀夫のan‐an‐an、とっても大好き○○○○⚫︎」。第38回目のテーマは「内視鏡決死圏」です。


僕は、ベッドに座り、喉を麻痺させるゼリー薬を口に含む。十秒程数えてから、いっきに飲み込む。左肩を下にして、腰を奥の壁につけるように、横になる。看護師から位置調整を受け、さらに身体を曲げて、胎児のような姿勢に。左前腕の静脈に“カテーテル”が挿入される。まだ鎮静剤の注入はない。人差し指に心拍数、血液中の酸素飽和度を測る“パルスオキシメーター”が装着される。鼓動信号の早いリズムが何処からともなく聞こえてくる。青い検査着の下には、使い捨ての紙パンツ以外は、何も身につけていない。紙パンツのお尻の部分には穴が空いている。看護師は、検査着の裾を捲りあげ、臀部が露出するよう調整する。胃カメラに続けて、大腸カメラ検査を受けるための準備だ。緊張が優先しているため、羞恥心を感じる隙もない。口を開け、マウスピースを咥える。看護師は、そこで部屋を出ていき、一人残される。喉の違和感が高まり、何度もえずく。嘔吐反射を抑える薬なのに、えずきはとまらない。メガネ無しの裸眼では、ディテールがぼやけて、別世界にいるようだ。涙目になっているからかもしれない。看護師が戻ってくる。ようやく左腕のカテーテルから静脈麻酔が流れ込む。先生はまだなのか? 早く終わって欲しい。眼を閉じて、そんなことを考えているうちに、子供の頃に観た“映画の世界”に遡っていく。

僕には苦手なものがある。胃カメラの検査だ。だから毎年、検査の時期になると憂鬱になる。

生まれて初めて胃カメラを飲んだのは1980年代後半。当時のゲーム制作の現場は、今では考えられないほど激務だった。僕も若かったが、業界も会社も若かった。誰も労働基準や法制度を遵守していなかった。“ブラック”という単語さえも知らず、未熟な“色がない業界”だった。毎日20時間、休みなく、泊まり込みで働いた。誇れることではないが、僕にとってのゲーム制作は、仕事でもビジネスでもなかったのだ。

そんな黎明期。監督二作目となる『SNATCHER』(注1)の制作をしていた最中。人間ドックに引っかかった。「バリウム検査で胃に影がある。胃潰瘍の疑いあり」という。『SNATCHER』に登場するキャラクター(ジャン・ジャック・ギブスン)が胃潰瘍持ちであったこともあり、チームからは心配されるというよりは、逆に揶揄された。ただ忙しくて、精密検査に行く時間は取れなかった。

開発が終了した後、少し落ち着いた頃に、再検査に出向いた。指定されたのは、ポートアイランド(注2)にある大きな市民病院。朝食を抜き、タオルを持参して病院へ向かった。検査室とカーテン一枚を隔てたところに、パイプ椅子が並んでいる。タオルと不安を握りしめた検査着を着た人たちの待機列が出来ている。僕は、最後尾の椅子に座る。未体験だったため、作品作りのネタにしようと、どちらかというと初経験を楽しむ気分だった。薄いカーテンの向こうからは、代わるがわる、苦しみに喘ぐような不快音が聞こえてくる。すると、僕の隣に座った中年女性が話しかけてきた。「私、胃カメラ大好きなんよ」と。軽く会釈して聞き流していると、検査着を着ず、長袖の肌着を着たままの男性が駆け込んできた。剣呑な感じの大きな男だった。看護師は「そこの人! ダメダメ! 全部脱いで! 全部!」と恫喝。男性は、ペコペコと頭を下げながら、更衣室へと帰っていった。着替えて戻ってきた男性は、躊躇いがちに最後尾の椅子に座った。胸元から立派なモンモンが見える。ところが、カーテン越しに聞こえてくるゴボゴボという異音に、男は小動物のように震え出した。それを見かねた隣の中年女性。「あなた、大丈夫よ。私なんか、胃カメラ大好きなんよ」と、例の自己紹介を繰り返して、ヤクザ男の手を握った。

人生最初の胃カメラは最悪だった。喉の局所麻酔はあるものの、鎮痛剤はない。意識と痛みがある状態で、持参のタオルに涎を垂らしながら、苦痛に耐える拷問だった。二度とごめんだ。ところが、疑いのある胃潰瘍は見つからなかった。制作中は、過労で体調を壊すが、終了すると回復する。まだ若く、治癒力があったのだ。

二度目の胃カメラは、『POLICENAUTS』(注3)制作時の'90年代初頭。胃を悪くして、吐血。近所の小さな内科医で胃カメラを飲んだ。機材こそあるが、町医者だ。挿入慣れした専門の内視鏡医ではない。鎮痛剤もなく、僕があまりにも暴れ回るので、検査は途中で取りやめとなった。『エイリアン』(注4)のチェストバスターがジョン・ハートの胸を喰い破って顔を出すシーンを思い浮かべてもらいたい。仕方なく、薬だけの治療となった。

'96年に神戸から上京して、子会社の会社役員になると、人間ドックに胃カメラ検査がもれなくついてくるようになった。こうなると毎年、胃カメラを飲まなければならない。

いろいろと試してはみた。鼻からのカメラにも挑戦した。どれもダメだった。何か楽な検査方法はないものか?『METAL GEAR SOLID』(注5)制作の佳境時。業務に支障が出るほどに胃腸を壊した。この時、対応してくれたのが、知人から紹介された大手病院の内視鏡の専門医だった。この先生には20数年にわたり、検査と診察をしてもらうこととなる。近況報告や日常会話をしながらの検査。気心が知れているため、検査前のあの緊張がない。また胃と大腸をまとめて検査することで、鎮痛剤量を増やすことが出来る。そう説明され、人間ドックでの胃カメラのみの検査はやめ、胃と大腸の検査を一度にやるようになった。それでも意識がある状態での胃カメラは辛かった。

コロナ禍に体調を崩し、某老舗病院で手術をした。そこで胃腸科の理解ある先生を紹介してもらった。友人であった内視鏡医の勤める病院がクローズされたこともあり、ここ数年は、その先生のクリニックで検査をしてもらっている。ここでは、鎮痛剤を調整、眠っている間に検査が終了する。30年以上辛い思いをしてきた僕には、“地獄に仏”、“闇夜の提灯”だった。

いつもの“決死圏”の夢は、みなかった。

気がつくと、カーテンで仕切られた個室の椅子にひとり座っていた。どれくらい時間が経過したのだろう。検査室から移動した記憶さえもない。フラフラしながらも、自分の足で更衣室に向かった。

子供の頃に観た大好きなSF映画がある。リチャード・フライシャー監督の『ミクロの決死圏』(注6)。人間を潜水艇ごとミクロ化して患者の体内に注入。外科的には難しい脳内出血の手術を、内側から行うという、アイザック・アシモフがアドバイザーを務めた名作SFだ。検査のたびに思い出して、夢をみる。ナノマシン級に縮小された船を自分が操縦し、検査という機会を利用して、自分の体内を旅するという夢を。確か映画の原題は『Fantastic Voyage』だったと思う。毎年やってくる内視鏡検査が“決死圏”ではなく、“素敵な旅”に変わる。そんな“内視鏡の明日”は、いつやって来るのだろうか。

注1:『SNATCHER』 小島秀夫が手掛けた、1988年にコナミから発売されたアドベンチャーゲーム。
注2:ポートアイランド 神戸市に位置する人工島。
ホテルやコンベンションセンター、ショッピング施設などが集まっている。
注3:『POLICENAUTS』 小島秀夫による1994年発売のアドベンチャーゲーム。
注4:『エイリアン』 1979年公開の、リドリー・スコット監督によるSFホラー映画の名作。エイリアンの幼体(チェストバスター)が寄生した人間の胸を喰い破って登場するシーンはトラウマ級。
注5:『METAL GEAR SOLID』 ステルスゲームというジャンルを築いたメタルギアシリーズの3作目。1998年発売。
注6:『ミクロの決死圏』 1966年公開のSFサスペンス映画。CGのない時代の工夫を凝らした特撮、美術は今なお新鮮。

今月のCulture Favorite

コジマプロダクションを訪れた山下智久さんと

東宝スタジオの横を流れる仙川で花見。

Profile

小島秀夫

こじま・ひでお 1963年生まれ、東京都出身。ゲームクリエイター、コジマプロダクション代表。1987年、初めて手掛けた『メタルギア』でステルスゲームと呼ばれるジャンルを切り開き、ゲームにおけるシネマティックな映像表現とストーリーテリングのパイオニアとしても評価され、世界的な人気を獲得。世界中で年間最優秀ゲーム賞をはじめ、多くのゲーム賞を受賞。2020年、これまでのビデオゲームや映像メディアへの貢献を讃えられ、BAFTAフェローシップ賞を受賞。映画、小説などの解説や推薦文も多数。ゲームや映画などのジャンルを超えたエンターテインメントへも、創作領域を広げている。

PC版『DEATH STRANDING 2: ON THE BEACH』が発売中!

小島秀夫監督が編集したロンチトレーラー“No Rain, No Rainbow”

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★次回は、2500号(6月17日発売)です。

写真・内田紘倫(The VOICE)

anan 2496号(2026年5月20日発売)より
Check!

No.2496掲載

守れ!夏の肌と髪 2026

2026年05月20日発売

年々過酷さを増す夏に向けて、紫外線や湿度、寒暖差に負けない肌と髪の育み方を紹介する、anan恒例の美容特集号。 今注目のあの人が、自身のスキンケア・ヘアケアについて語ってくれました。

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