混迷の時代をどうすれば生き抜いていけるか。その答えが富士山にあると私は感じています。富士山が、人のあるべき姿を示しているからです。それがどういう姿なのかをお話しする前に、まずお尋ねしましょう。あなたにとって富士山はどのようなお山でしょうか? もしかすると、「日本一高く、登りたい山」と答える方がいるかもしれません。今や富士登山はブームと言えるほど人気です。しかし観光やスポーツとして登山するのは、富士山に対してとても失礼なことだと私は思っています。なぜなら富士山は信仰のお山、富士山そのものがご神体だからです。ご神体と聞けば、不謹慎な気持ちで安易に登ってはいけないと思うでしょう。
富士山はユネスコの世界文化遺産に登録されています。注目すべきは、自然環境を対象にした自然遺産ではなく文化遺産であることです。登録名称は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」。つまり富士山が日本人にとって信仰の対象とされてきたことから世界遺産となったのです。
古くから日本人は「富士のお山に見守られている」という気持ちを大切にしてきました。だからこそ富士山が見えるところではもちろん、遠く離れたところにいても、お山、ひいては自然への感謝と畏怖の念を持ち、そっと手を合わせていたのです。それが富士山信仰であり、日本人のたましいに受け継がれる思いです。
今の私たちはどうでしょうか。畏れ、敬い、感謝を忘れ、傲慢になってはいないかと、自分に問いかけてみてください。その気づきこそが、時代を生き抜く大切な道しるべです。
富士山が教えてくれる「孤高」「自律」「俯瞰」。
富士山は人のあるべき姿、今の私たちにとって大切なものを教えてくれています。そのことを「孤高」「自律」「俯瞰」という3つのワードでお話ししていきましょう。
1つめのワードは孤高です。富士山は日本一のお山。高くそびえる姿には凛とした崇高さがあります。かつては噴火を繰り返し、人を寄せ付けない荒ぶる山でした。今も修行の場として登る修験道の行者がいるように、危険が伴う山です。一方で、遠くから望む富士山は美しい稜線を持ち、そのたたずまいに静けさを感じる人もいる。凛とたたずみ、何ごとにも動じず、静寂のなかで孤高に生きる強さを、富士山はいつも示してくれているのです。
2つめは自律。自律とは自分で自分を律することです。「お山に見守られている」とは、「いつだってお山が自分を見ている」ことでもあります。もう「誰も見ていないからいいや」とは思わなくなるでしょう。おのずと自律に導かれます。
3つめは俯瞰です。山の頂上から見る眺めを想像してみて。雄大な景色のなかでは、自分自身がちっぽけな存在だと気づくでしょう。思い悩んでいることがささいなことにすぎないと俯瞰し、また歩き出せるはずです。もちろん実際に、富士山へ登らなくてもいいのです。近場の山や、高いビルなど見晴らしのいいところに登ることで俯瞰のトレーニングはできますし、想像力を働かせてみてください。大切なのは視点を変える、俯瞰するという術を持ち、自らで道を切り拓くことです。
富士山への畏敬の念は遙拝(ようはい)という形で今も続く。
今回、私は富士山をご神体とする河口浅間神社を訪れました。この神社には古くからの富士山信仰を体現する遙拝、修験、登拝という要素が揃っています。
なかでも遙拝は富士信仰の原型。富士山遙拝所【天空の鳥居】は、小高い丘に建てられた鳥居の向こうにご神体である富士山を仰ぎ見ながら参拝する場所です。富士山を目の前にしたときに感じる圧倒的なパワー。山間にこだまする柏手の澄んだ音。眼下に広がる湖と街。ここでお参りをすると、畏怖と畏敬、感謝の気持ちがおのずと湧いてきます。ただの観光や現世利益を願うだけのパワースポット巡りといった安易な気持ちでは、この地に足を踏み入れられないことがよくわかります。立ち居振る舞い、心の内まで「お山が見ている」のですから。富士山遙拝所は河口浅間神社の宮司さんの私有地に建てられ、一般の参拝者も受け入れています。宮司さんはじめ、地元の方々のご厚意によって参拝路や周辺の整備がされています。こうして遙拝を守る人たちがこの時代にいることもまた、富士山のお導きによるものなのかもしれません。
この時代、とくに2023年は原点回帰が鍵となる年です。そのためにまずは今の己と対峙する静謐な神社へ、ご案内しましょう。
河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)
お山の怒りが現れ日本各地に災害がもたらされると考えられた時代、富士山の噴火を鎮めるために建てられたのが河口浅間神社です。
自然災害のみならず、ままならぬ事象の多い現代。私たちは“畏れ”を忘れてはなりません。神社は己と向き合う場。日頃の傲慢さを反省し、すべてをそぎ落とすとき、本当の自分が見えてくるでしょう。あふれてくるのは、今ここにいる感謝。そして私利私欲の願いではなく、世の中の平和や安寧を祈る気持ちではないでしょうか。
七本杉(しちほんすぎ)
時代を見つめてきた御神木たちに命の営みを感じて。
社殿の周囲には鳥の声が響く静かな杜が広がる。なかでも圧巻は杉の巨木群。7本の御神木からなる七本杉はどれも樹齢1200年を超え、圧倒的なパワーを放つ。途中で枝分かれせずにまっすぐ伸びた幹は、いずれも40m超の高さ。2本の杉が根元でほぼ一体化した二柱杉はその形から男女杉とも呼ばれ神秘的だ。
母の白滝
迫力ある水の流れに神々しさすら感じる禊ぎの場。
平安の頃より修験道の行者がこの滝で身を清めてから、富士山へ登ったという。神社から滝まで急な砂利道が続くが「修験の滝ですから険しいのは当たり前。でもこのぐらいはまだラクなほう」(江原さん)。滝のそばには木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の姑にあたる万幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)が祀られており「母」という名前の由来はそこから。
美麗石(ひいらいし)
古代から途切れることのない祈りを示す貴重な石。
拝殿前にあるのは美麗石。社殿が建てられる前に築かれた石閣(石の建物)の一部。富士山を鎮める美麗な古代祭祀に用いられたと伝わる。苔むした姿に感じられるのは悠久の祈り。今も昔も自然に対する畏れ、そして富士山への信仰が変わらないことの証しだ。
河口浅間神社 山梨県南都留郡富士河口湖町河口1 TEL:0555・76・7186 富士山遙拝所(天空の鳥居)は神社から北東へ徒歩で30分ほど山道を上ったところに。母の白滝はさらに10分ほど歩く。なお冬場は路面凍結により神社から先への道が閉鎖される場合があるので要確認。https://asamajinja.or.jp/
えはら・ひろゆき スピリチュアリスト、オペラ歌手。『江原啓之神紀行』シリーズなどで日本全国の神社を紹介。例年、時代の変化を先取りした提言が的中すると話題に。温かい読者へのアドバイスも支持が集まる。著書多数。
※『anan』2023年1月11日号より。写真・小川朋央 取材、文・やしまみき 撮影協力・河口浅間神社
(by anan編集部)