
いま注目の文筆家のエッセイ、小説などの創作を4号続けて掲載。今回は2496号(2026年5月20日発売)から、影山優佳さんのエッセイ連載 第2回「眠れない夜に、夢を見る。」をお届けします。
なんかむずむずして、起きる。
気になる、足先。
感覚の正体をたどってみると、足首からつま先にかけて、バレリーナのつま先立ちのように直線的に伸びている。足首が垂直に折れて、つま先が天井を向いているはずなのに、足の甲に布団が当たる感覚がなんともむず痒い。くそう。今日の睡眠はオシマイだ。
こうなったら、眠くなるまで、あるいは朝まで、私の感覚過敏の話をしてやろう。感覚さんよ、覚悟はいいか。
私は、目も耳も鼻も良い子供だった。
まず愉快な面から言うと、視力2.0を活かして、爆速で針に糸を通したり、皮膚に刺さった1ミリの棘を抜いてあげたりすることが容易にできて、よく感謝された。小学生のとき、遥か遠くの交差点から曲がってくる路線バスが何行きかを誰よりも早くみんなに伝えることで、何か得をするわけでも有利なわけでもないのに、なぜか尊敬された。
でも本当は、バスよりも少し手前、横断歩道を渡るおじいさんの靴紐がほどけているのを見つけていた。こちらにむかってきたら声をかけてあげようか、声をかけて恥ずかしい思いをさせる方が不幸か、あれこれと迷っているうちにバスが来て、みんなに伝えなきゃいけないというタスクが優先された。私だけが見たおじいさんのその後を見た者はいないだろう。ただ幸運を祈るしかなかった。
……なんてことが多かった。気づきすぎて、自分が自分に追いつけなくて、後悔する。
嗅覚については、100メートル先にある我が家で何を作っているか当てられる日も多く、大好物のナスの揚げ浸しの香りがすると、感謝の言葉を叫びながら玄関を開けていた。それ以外で得をしたことは、あまりないかもしれない。いや、酒のテイスティングのとき、風味をそれっぽく言い当てて通ぶれることはある。たいして嬉しくはないのだけれど。
私の特性は褒められるばかりではなく、むしろ生きづらさを感じることの方が多かった気がする。
大きいライブ会場や人混みは特に苦手で、めまいや吐き気でリタイアすることもしばしばあった。女性専用車両は香水だけでなく、ファンデーションの石油系の香りを苦手に感じていた。ガソリンスタンドに入ったときと同じようなリアクションをしてしまうのが申し訳なかったため、ドアのすぐそばに立ち、一駅の間どれだけ呼吸を我慢できるか選手権を単独開催していた。優勝しても誰にも褒められない、誰も嬉しくない選手権だ。
私は地獄耳。私に聞こえないようにヒソヒソと話す悪口が、詳細に聞こえた。気づかないふりをするか、反論しにいくか思案する時間は、人生で複数回経験した、なんとも苦い記憶だ。一番つらいのは、内容がはっきり聞こえているのに、聞こえていないふりをしなければならないことだった。顔に出さないように表情を作りながら、ちゃんと泣いたこともあった気がする。いや泣いたことは流石にないような気もする。私って私のことがどうでもいいのかなと思うなど。
そのほか、小さな物音や他人の呼吸音・拍動音が気になって、林間学校や家族で川の字で寝られたためしがない。将来設計が心配になる。隣の人の鼓動が速いと、この人今何か考えているんだろうなと考えてしまう。眠れない夜に他人の心拍を数えながら、勝手に心配している。それが私の林間学校だった。
自然災害の匂い、人の病の気配、ババ抜き中のジョーカーを持つ手のかすかな震え。人から理解されるはずのないトンチンカンなことを言う娘に、「優佳は何を考えているかわからない」「見透かされているような気がする」と、家族はさぞ怯えていたことだろう。なので、なるべく思ったことをすぐ伝えるのをやめたし、気づくことをやめるようにした。まあそんなすぐに情報をシャットアウトできるわけもなく、人の心を読めない繊細な奴が爆誕した。
それでも、アイドルになった。
今振り返ってもなかなかに無謀な選択だったと思う。人混みが苦手なのに、大勢の前に立つ仕事を選んだ。音に敏感なのに、爆音のステージに立ち続けた。汗と香水と興奮と、ちょっとの緊張が混ざった、あの独特の空気。普段なら確実に寝込むほどの刺激量なのに、ステージの上だと、みんなの隣だと、なぜかそれが怖くなかった。
客席のあの熱量は私に魔法をかけてくれた。鋭敏な感覚が、初めて武器になった気にさせてくれた。人と違うことが、誰かの役に立つことは相変わらずなかったかもしれないけれど、それでも、あの場所で私は生かされた。勇気を与えるべき存在であるのにね。もらってばっかりでね。
そしてこのエッセイを読んでくれているみなさんの予想通りに、アイドルを辞めざるを得なくなった。無理は祟る。
何か夢を見るたびに、口にするたびに、叶いそうになるたびに、自らのどうしようもない、だからこそ余計に情けない理由で、私の手からぽろぽろとこぼれ落ちていく。焦って掬い直そうとすると、かえって跡形もなくなってしまう。そういう経験を、何度か重ねた。
それで、今の私が生まれたってわけ。
羨ましい、申し訳ない、苦しい、恥ずかしい。感情がぐちゃぐちゃに混ざって、どれが本当の気持ちかわからなくなる夜が続いた。
小さい頃から悪夢ばかり見てきて慣れっこだったのに、ここにきて起きていても醒めない悪夢が私を襲う。黒より黒い夜。いつからか、夜も夢も当たり前に黒いものとなっていた。今思うと、自分でそう塗りたくっていたような気もする。
でもある日、素敵な夢を見た。
大きな箱で、大切な仲間と、たくさんの”サポーター”と共にあった幸せな一瞬。
もう戻ることのない現実が、また夢となって私のもとに帰ってきてくれた。明日も幸せで明後日も幸せで、当たり前に私が幸せを噛み締めている、夢見心地な夢。
「これが夢でなければいいのに」と思うことはよくあるが、私が幸せ者なのは、それが現実の経験であるということだ。
人生で初めて、眠ることが怖くなくなった。
あの日、明日を作ってもらったように。
私は独りじゃないことを教えてもらったから。
ここに辿り着くまでに、ずいぶんかかった。いただいたかけがえのない時間を大切にして生きていくことが、私にできる最大限の恩返しだと思えるようになるまで。
欠陥で失敗作の私を受け入れてくれる世界がある、と素直に思えるようになるまで。
そう思えて改めて気づいたのは、感じすぎることと、どう感情にするか考えることは、別だということだった。
たとえば、誰かの悲しみを敏感に察知できるようになるかもしれない。
影響されやすいのは一長一短な特性だけれど、でも同時に、その人の悲しみを「本物だ」とまっすぐ受け取る人でありたいと思う。
あなたが今つらいのは、だってきっとそうなんだもん。私だったらつらいから、根拠として私の痛みを献上できるじゃない?と。
勿論、自分の物差しで全てを測ってはいけないし、客観的に点数をつけてもいけない。世の中はバランスなのでね。
人の痛みに鈍感になることで守られる自分より、痛みを感じながらもそこに踏みとどまれる自分の方が、私らしかった。逃げ方を覚えるより、受け取り方を覚える方が、私には合っていた。まだできていないのだけれど。
夢を見ることは永年無料だし。誰かの片手に収まるくらいのささやかな幸せが、私の人生には勿体ないくらいの幸せで、それが「意味」なんです。だから、誰にも渡さないよ。まだ迎えに来ないでね。
はい、この話もオシマイ。
足を折りたたんで、重い腰を上げて、起き上がろう。そうさ、まだ起きてなかったのさ。私の今日はこれからだ。
影山さんの連載第3回は、5月26日(水)発売の『anan』2497号に掲載!
information
2026年5月26日発売のanan 2497号の特集は「ときめきカルチャー 2026」。今、胸をキュンとときめかせるモノ・コト・ヒトの最前線を集めた特集。ぷくっとしたプラバンの素材感に魅了される、話題のストップモーションアニメ『キャンディーカリエス』や大人も子供もワクワクさせるピクサーの世界展をフィーチャー。
絶賛現在進行形のものや、ついにメンバーが決まった白熱のオーディションコンテンツからは、『PRODUCE 101 JAPAN 新世界』『WORLD SCOUT: THE FINAL PIECE』「シアターボーイズプロジェクト」をピックアップ。それぞれの魅力に迫ります。
“ときめかせる人”として登場するのは、昨年の宝塚歌劇団退団後、待望のミュージカルに出演する礼真琴さん、女王蜂・アヴちゃんのプロデュース期を終え、第二章に突入した7人組オルタナティブ歌謡舞踊集団・龍宮城。
また、心がときめくファンシースポットやアイテムを集めたアナログカルチャー通信もお届けします。映画 『おそ松さん 人類クズ化計画!!!!!?』 短期連載の『しゃれ松化計画 #02』には草間リチャード敬太さんが登場します。
Profile
影山優佳
かげやま・ゆうか 2001年5月8日生まれ、東京都出身。2023年に日向坂46を卒業。最近の出演作にドラマ『シナントロープ』、『未来予測反省会』など。テレビ東京系『バカリズムのちょっとバカりハカってみた!』、日本テレビ『ウェル美とネス子。』に出演中。今年7月に初のエッセイ集を発売予定。
anan 2496号(2026年5月20日発売)より

























