湊かなえ『暁星(あけぼし)』
タイトルにある〈暁星〉とは、明けの明星のこと。その暁星、すなわち金星は、夜明け前の暗い空にひときわ明るく輝くのだが、湊かなえさんの『暁星』を読み終わったときにも、そんな一筋の光が差し込むのに似た希望が胸に広がる。
宗教二世の2つの視座を交差させて描く、救済の物語
物語は、文壇の大御所作家でもある現役の文部科学大臣が式典の場で刺殺されたニュース速報から動き出す。容疑者は永瀬暁(ながせ・あかつき)、37歳。彼の母親が新興宗教団体に巨額の献金をしていたことや、彼の父親が著名な作家であったことも発覚し、事件は世間を賑わせる。永瀬は逮捕後、週刊誌に手記を発表し、父親の自死や、高名な文学賞に何度もノミネートされ落選していたことなど、少しずつ犯行の動機が明かされていく。
日本で起きた実在の犯罪を彷彿させる、作中の事件。湊さんは、現実の事件への関心を通じて、宗教二世の問題について考えてみたいと思い、それが本作を生み出すきっかけになったという。
「宗教二世の問題や宗教に搦めとられていく人たちの話を書いてみたい、そこがまさに入り口でした。ただ、物語に一歩踏み込んだ先は、完全なオリジナル作品となるよう、事件の背景や宗教団体等、自分自身で作り上げていかなければならないと思いました」
どのような宗教なのか、団体名や教義、階層等を組み立てていくことに腐心した。
「宗教の勧誘は言葉巧みに近づいてくるものが多いので、言葉そのものを重んじる宗教にしてみようか。そうしたら、世論も誘導できるのではないか。有名な文学賞を持つ出版社と癒着していることもあるかもしれない。そんなふうに想像を膨らませながらストーリーを組み立てていきました。私は特殊な人だけが宗教にはまるとは思えなくて、実は誰でも自分の人生を振り返ったときに、そちらへ向かう分岐点が数か所あったのではないかと考えることがあるのです。その分かれ道でどのようなことが起きるのかを書いてみたかったんですね」
宗教二世と聞くと、教団に縛られていて、そのせいで一般社会と相入れないのだ、抜け出せないのだと、一貫してカルトの恐ろしさを前面に出す報道のされ方をするが、湊さんはそれに異を唱える。
「宗教に縛られているだけなら、おかしいと気づいたときに逃げ出す選択もできると思うんです。けれど、おかしいとわかっていながらも、自分を支配しているのが親など家族だった場合、宗教を捨てる=親を捨てる、という葛藤が生じて、決断することに迷いが出てしまう。個人で信仰するのと親の信仰に付随するというのは全然違うことではないかと、あらためて感じます。宗教二世にもいろいろな形があると思うので一概には言えませんが、囚われているのは、本当は宗教にではなくて、親や家族になのかもしれません」
全体は大きく二部構成になっており、第一部では刺殺事件の犯人・永瀬暁による週刊誌掲載の独占手記や、SNS上の反応、永瀬被告を知る人物へのインタビューなど、ノンフィクション色を強く出して書かれている。第二部では事件現場である式典に参加していた小説家が書いた物語という形で事件が描かれる。第一部では事件から時間を遡る形で、第二部では事件が起きるまでの時系列順で描かれていくのだが、
「ひとつの事件を、手記というノンフィクションと、小説というフィクションの2相で見る書き方をしています。その2つがクロスしたときに、初めて見える真相がある。ノンフィクションとして提示されることがすべて事実だと鵜呑みにしてもいいのか、フィクションだからこそより深く真実に迫ることができる可能性もあるのではないか。そんな問いを世間に投げかけてみたいという思いもありました」
第一部も第二部も読んでいる間中、主人公ふたりが抱える空洞のような寂しさが物語を通してなだれ込んできて、胸が締め付けられる。
「主人公はどちらも孤独であり、暁が起こしたことは許されない大きな罪ではあるけれど、自分の理解者や寄り添ってくれる相手が、人生にひとりでもいたら、救いとなるのではないか。そんな物語になっていたらうれしいです」
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Information
『暁星(あけぼし)』
装画として使われているのは、作家・黒川博行氏の妻で、日本画家の黒川雅子氏の「暁星応龍」。関西在住作家を中心に上演した文士劇が縁になったという。11月27日発売。双葉社 ¥1,980
Profile
湊かなえ
みなと・かなえ 1973年、広島県生まれ。2007年、「聖職者」で小説推理新人賞を受賞。2008年、同作品を収録した『告白』でデビュー、本屋大賞を受賞、ベストセラーとなる。2016年『ユートピア』で山本周五郎賞を受賞。著書多数。
anan 2473号(2025年11月26日発売)より


























