男闘呼組・成田昭次「この先もずっと、音楽をやっている姿を見せていけたらと思います」

1980~1990年代に人気を博したロックバンド・男闘呼組のメンバーだった成田昭次さん。紆余曲折を経て音楽の世界に復帰。そこにはメンバーをはじめ、多くの人の支えがありました。

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    今から4年前、テレビの音楽番組であるロックバンドが約30年ぶりに再始動し、世間がざわめいたことがありました。そのバンドとは、1993年に活動を休止した4人組の「男闘呼組」。ボーカルとリードギターを担当していた成田昭次さんは、2009年に芸能界を引退。他のメンバーは芸能界で活躍をする一方で、成田さんの消息はメンバーすらわからず…。そんな中での突然の復活劇に、リアルタイムに応援していた世代は驚き、そして大喜びでした。

    ── 2009年に東京を離れて、地元の名古屋に帰り、以来10年間、エンタメの世界とはまったく異なる仕事をされていたと伺いました。

    成田昭次(以下、成田) 男闘呼組が活動休止になり、その後僕は個人で音楽活動をしていたんですが、2009年に事件を起こしまして。それで地元に戻り、第二の人生を歩もうと心に決めました。でも40歳を過ぎて、音楽の仕事しかやってこなかった自分が定職につけるのか。まったく未来が描けないところから少しずつ前に進み、2016年頃には3つ目の会社に勤めていて、社長に、「新しいプロジェクトを任せたい」と言われるくらいまで信頼していただけるようになっていて。

    ── そんなときに、男闘呼組時代の知り合いから、突然メールが来たそうですね。

    成田 はい。その知り合いから、男闘呼組時代にずっとお世話になっていた編集者の方が僕と連絡を取りたがっているから、連絡先を教えていいか、と聞かれて、「もちろんですよ」と。ただ、それでメールをもらったんですが僕は返事ができなくて…。そのあとその編集者の方が僕のアドレスを(高橋)和也に伝えて、和也からメールが来たんです。本当に10年ぶりくらいでしたね。そこから徐々にメンバーとメールをするようになって…という感じですね。

    ── その編集者の方と、先日発売になった自叙伝『人生はとんとん』を作られたというのも、ある意味すごい運命ですね。

    成田 確かに…。すべての糸口は、その方からの連絡だったわけですからね。でも、メンバーから連絡をもらえるなんて夢にも思っていなかったし、さらにそこでメンバーと繋がったからといって、僕はエンタメの仕事に戻ることも、男闘呼組の復活なんて選択肢も、一切ありませんでした。

    ── 最初に高橋さんからのメールを見たとき、どう思われました?

    成田 これ、本当に和也なのかな、と。僕はみんなに迷惑をかけたわけで、そんな僕と連絡なんて取りたいわけないだろう…と思っていたんです。その後も(岡本)健一から舞台に招待されても、「忙しい」とか言い訳をして会いに行かなかったりしたし。でも一方で、男闘呼組に対して“やり残した”という思いはずっとあって。1993年に活動休止をして以来、どういう人生を歩んでも後悔が残っている。その葛藤はずっとありました。

    ── 先ほどの自叙伝を読ませていただくと、その後26年ぶりに東京で岡本健一さんと再会し、さらにその2か月後に名古屋で前田耕陽さんと再会。そして4人で27年ぶりにスタジオに入り演奏をすることになった、と。

    成田 はい。それがすごく楽しかったんです。僕自身10年ぶりにセッションをしたわけですし、しかも3人と一緒ですから。でも、健一から「男闘呼組、もう一回やらないか」と言われても、僕はサラリーマンだし、10年間まったく音楽をやっていないし、なによりお世話になっている社長や僕の周りの方々のことを考えると、気軽に「うん」とはとても言えませんでした。

    そんな気持ちのまま1~2年があっという間に経ってしまい、健一から「とにかく一回話をしたいから東京に来てくれ、来られないなら俺たちが名古屋に行く」とまで言われてしまい、「じゃあ会うだけだったら…」という気持ちで東京に行ったんです。そこに今僕がお世話になっている事務所の社長さんもいらしていて、「男闘呼組を復活させたいという思いがある」と…。それで名古屋に帰り、就職していた会社の社長さんに「こういう話があって…」と話したら、すごく喜んでくださったんです。「もしだめだったら、またうちに戻ってくればいいよ」とまで言ってくれて。

    ── 先ほどの編集者さん、名古屋の社長さん、そしてメンバーの方々。みなさんすごく温かいですね。

    成田 本当にそうですね。音楽から離れていた10年間、社会人として何もできない自分を応援してくれる人が行く先々にいて…。そういう人たちのことを考えると、何も言わずにまた表舞台に戻るというのは違うな、と。自分の言葉でこれまでの経緯や思いを発表させてもらいたいと思い、先ほどの編集者の方に相談したんです。それで、巡り巡って本を出すことになったんです。写真も、その編集者の方と同じように、男闘呼組時代にずっとお世話になっていて、僕らを見守ってくださっていたカメラマンの方に撮っていただきました。

    再会してたった10分で、“あの頃”がよみがえった

    ── 本の中には、男闘呼組のメンバー3人のコメントもたくさん入っていて、成田さんのこれまでの歩みと男闘呼組の復活が、4つの角度で語られているのが興味深かったです。

    成田 名古屋のスタジオで27年ぶりに再会したときは、やっぱり最初は照れくさかったんですが、10分もしないうちに3人それぞれに対していろんなことがよみがえってきて、すごく不思議な感じでしたね。今は、大人になったからかお互いに変に飾らなくなりました。昔は、本当はもっと話をしたかったんだと思うのですが、粋がってあまり話さなかったんですよ。だからこそ、他のメンバーの“あの頃はこう思っていた”みたいなことを今回活字で読ませてもらったのは、すごくありがたかったです。あのとき僕はこう思ってたけれど、それは自分の思い込みだったんだな、みたいな発見もたくさんあったし。

    僕らは15~16歳で知り合って、デビュー前を入れると8年くらい一緒にいたんですけれど、その8年がとても濃厚で。なんでしょうね、もう80年くらい一緒にいるような感じがします。戦友みたいな存在ですね。

    ──  当時、男闘呼組はいわゆるアイドル事務所に所属をしていたわけですが、歌やダンスのパフォーマンスではなく、なぜバンドだったんですか?

    成田 僕ら4人は、それぞれ当時の事務所の先輩の誰かしらに憧れてその門を叩いたわけですが、10代前半って、自分の好きなものをいろいろ発見していく多感な時期じゃないですか。もちろん僕もアイドルに憧れる部分もありましたが、同時に1つ上の兄の影響でギターにも興味があったんです。ダンスのレッスンにも行きましたがどんどんついていけなくなって、一度健一と一緒にレッスンをサボったことがきっかけで、どんどん音楽の方向に傾いていきました。さらに、事務所に野村義男さんというギターがとてつもなく上手な先輩がいて、野村さんからギターや音楽についていろいろ教えてもらい、ますますバンドがやりたくなってしまったんですよね。それで健一と、ベースが弾けるという和也と一緒にスタジオに入るようになったのが最初ですね。

    作られたグループと思われた方もいたかもしれませんが、実はそうではなくて、発足は、音楽が好きな仲間が集まった部活みたいな感じだったんです。それで本格的に活動することが決まってからは、夜通しスタジオでひたすら練習。当時渋谷にヤマハのスタジオがあって、夜10時から朝6時まで建物の外に出られないシステムだったんです。そこで缶詰めになったことは、今でもよく覚えています。

    この先は自分の人生を、音楽に捧げていきたい

    ── 50代になった今、若かった時期のご自身の活動に関して、どう思っていらっしゃいますか?

    成田 再始動にあたって、改めて音源を聴いたり映像を見たりしましたが、こんなすごいことをやらせてもらっていたのか…と驚きました。当時は、人が書いた曲を歌いたくないとか、シングル曲ばっかり演奏したくないとか、そういうストレスが確かにありました。でもこの歳でデビュー曲を演奏してみると、本当にいい曲だし、歌詞も深い。50代になって初めて、「DAYBREAK」の曲の良さに気が付きました。

    とはいえ同時に、ブランクがある今の自分がリードギターを弾きながら歌えるのか、ものすごく不安で…。でも映像を見ていると、当時の自分が「お前、俺なんだからできるだろ?」って言っているような気がして(笑)。若いときの自分にとても励まされましたね。

    ── 今は男闘呼組のメンバーを含めたRockon Social Clubなどのバンドで活動をされています。音楽活動を再開されて5~6年と伺いましたが、改めて今、どんなお気持ちですか?

    成田 結果的に僕は、10代20代の頃の夢を途中で諦めたことになりました。音楽の道に戻ることができたので、その思いを成し遂げたいです。この先ちゃんと、音楽をやっている姿を見せ続けられたら、と思います。やっぱり音楽が好きなんです。どうしても、僕にはそれしかなかった。何かに生涯を捧げるというのであれば、僕にとってそれは音楽だし、この道を貫いていきたいです。僕が音楽にもらったものを、これから時間をかけて返していきたいと思っています。

    ── ちなみに、若い頃と今のメンバー、変わったな、と思うところはありますか?

    成田 真面目になりました(笑)。昔は“2時間遅刻は当たり前”みたいな感じでしたが、今はみんなめちゃくちゃ早く来るようになりました。下手したら、集合時間の1時間前とかに揃っていたりします。別に遅刻がかっこいいと思っていたわけではないんですが…、今思うと恥ずかしいですね(苦笑)。

    Profile

    成田昭次

    なりた・しょうじ 1968年8月1日生まれ、愛知県出身。岡本健一、高橋和也、前田耕陽とロックバンド・男闘呼組を結成し、1988年ボーカル&リードギターとしてデビュー。1993年にバンド活動を休止、その後芸能界を引退。2022年に期間限定で「男闘呼組」が復活。現在はバンドRockon Social Club、NARITA THOMAS SIMPSONで活動中。

    comment

    1つ上の兄の背中を追いかけて芸能界に入り、男闘呼組として活動した日々、引退をし会社勤めをしていた名古屋時代、そして復活までの道のり…。人生を振り返った自叙伝『人生はとんとん』(集英社)が発売中。ちなみに今回掲載している写真は、再上京した成田さんが働いていて、今回の自叙伝のタイトルの由来ともなったとんかつ屋さんでも撮影。取材中、衣の付け方の難しさについて熱く語る姿が印象的でした。

    写真・野呂知功(TRIVAL) スタイリスト・馬場圭介 ヘア&メイク・橋本孝裕 インタビュー、文・河野友紀

    anan 2487号(2026年3月11日発売)より
    Check!

    No.2487掲載

    最先端の暮らし 2026

    2026年03月11日発売

    話題のスペパ家電、サロン級の美容家電や疲労回復家電、時短・ヘルシー調理家電、花粉や黄砂などアレル物質対策家電など、日々忙しく生活する人に向けた最新家電をウィッシュリスト形式でご紹介。

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