
世界最⾼のミラノ、パリコレクションのランウェイに⽴つことを⽬標としてモデル活動を続けてきたSnow Manのラウールさん。夢を叶えるため、約1年半にわたってカメラが密着、奮闘してきた⽇々を9⽉13⽇(⼟)朝10時よりPrime Videoで独占配信される。ドキュメンタリー番組『ラウール On The Runway』の見どころを語った取材会をレポートします。
2020年にSnow Manとしてデビューを飾って以来、グループを⼤きくするために新たなチャレンジを続けてきたラウールさん。2019年3⽉に15歳で東京ガールズコレクションの初出演を果たし、2022年6⽉「YOHJI YAMOMOTO POUR HOMME 2023 Spring Summer」でランウェイに初登場し、パリコレデビュー。192㎝という抜群のスタイルを活かして、モデルとして精⼒的に活動を続けてきた。
2024年5⽉にはSTARTO ENTERTAINMENTと並⾏し、フランス・パリのモデル事務所「BANANAS MODELS」に所属。ラウールが⽬指すのは、ミラノ・パリコレクションの世界最⾼のランウェイに⽴つこと。そのためには、現地のモデル事務所に所属していることが条件となる。⽇本ではトップアイドルとして誰もが知る存在だが、現地では、その実績は通⽤しない。そこは⼀握りのトップモデルしか⽴てない場所なのだ。
厳しい体調管理やポートフォリオの作成、ウォーキングの練習など、準備を続けてきたものの、ブランドのオーディションを受け続けては落選する⽇々──。そんな⼼折れそうになりながらも奮闘し続ける⽇々を1年半にわたって記録したドキュメンタリーが9⽉13⽇(⼟)Prime Videoで独占配信されることが決定。ミラノ、パリコレクションへの挑戦に迫ったドキュメンタリー番組『ラウール On The Runway』の配信を記念して取材会が⾏われた。
⼤勢のマスコミ報道陣が集まる中、「こんにちは」と登場したラウールさん。グレーのカットソーにデニム、シルバーのベルトがアクセントというカジュアルウェアでスタイルの良さが際⽴つ⾐裳を⾝に纏っている。まずは、「お集まりいただき、ありがとうございます。ちょっとお恥ずかしいのですけど、世の中の皆さんに少しでも(この番組について)お伝えしていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします」と挨拶を。ステージ中央に⽤意された椅⼦に着席すると、司会者からの質問「モデルに挑戦しようと思ったきっかけ」から話し始めた。

「きっかけは…会社の⼈から『やってみたら』って⾔われたことがきっかけでしたね」と思い出そうとするかのように上を⾒上げる。モデルの仕事に興味を持ったきっかけについては「(やってみたら)すごい楽しかったんですね。楽しかったのと、結構負けず嫌いなので、その負けず嫌いが⾼じて、もうちょい頑張ってみよう、みたいな」と何度オーディションに落ち続けてもあきらめなかったのだという。
ラウールさんが⽬指したのは、ファッションの本場であるパリやミラノでのランウェイを歩くこと。これを⽬標に掲げたことについて「それも、負けず嫌いだったので。⽇本で撮影してると、アイドルということもあり、すごくチヤホヤしてくれるっていうかね(笑)。かっこいいねって、いっぱい⾔われるんですけど。本気でそう⾔ってくれてるのか、お世辞で⾔ってくれてるのか、ちょっと分かんなくって。⾃分が本当に(世界に通⽤するモデルとして)できるのかっていうことをちょっと試したいなという気持ちでした。もう1個は、ファンの⼈やメンバーが、冗談半分、本気半分で『パリとか歩いてそう』みたいなことを⾔ってくれていたので、そういう⾔葉に引っ張られました」と、ちょっぴり照れ笑い。
最近では、2026年春夏ミラノ・メンズ・ファッションウィークでサウル ナッシュのランウェイに。初めて⽇本以外のブランドでランウェイを歩いたのも記憶に新しいところ。その時ももちろんドキュメンタリーのカメラがずっと密着していたわけだ。司会者から「なぜカメラを回そうと思った?」と質問されると「時間もかかればお⾦もかかりますし、いろんな諸事情を踏まえ、カメラを回しといた⽅がいいことをスタッフさんから提案されて。で、僕も『回しときましょう』って。最初は配信先も決めてなかったので僕はモチベーションが低かったんです。カメラがずっと回っていると休まらないですし、まだどこで出すかも分からないので、何でやってんのかなって、ちょっと乗り気じゃなくて。⾃分のことをアピールするのも恥ずかしい気持ちもありました。でも、この1年半やっていたら、『配信した⽅がいいかな』っていうモチベーションが出てきて。それは、⾃分のように頑張ってる⽇本⼈モデルの⼈と結構たくさん一緒にいるからなんですよね。皆さんモデルとしての地位の低さとか、知られてないことに苦しさを抱えていて。⾃分はアイドルでもあるからこそ『こういう世界もあるんだ』っていうことを少しでも知ってもらえたらと思いました」と、⾃分と同じように頑張っている⽇本⼈モデルのためにも裏側を知ってもらいたい思いが芽⽣えたという。それと同時に「あとは、1か⽉ぐらいパリにずっとい続けた時期もあったんですね。そうすると、⽇本の仕事をいくつか休んじゃったことがあって。すごく胸が痛かった出来事だったので、その時何をやってたかって説明をしたかった」と、⼼配かけてしまったファンの皆さんへ報告したい、どんな⽇々を送っていたのか、知ってもらいたいという想いもあったようだ。
海外でモデル活動をしていると、⽇本⼈の世界のモデル業界における⽴場を実感したという。「YouTubeでランウェイの映像を⾒ていたら、『すごいな、モデルさんカッコいいな』って思ったりするんですけど。⾏ってみたら、『あれ? ⾃分はちょっと⼈として⾒られてない?』と思うような瞬間とかも時々あったりして…。⾃分にはその経験がすごい新鮮で、めっちゃいい経験になったんですよ。これまでできなかった経験をできたっていう嬉しさがあった。もちろん苦しいような時期も⼀瞬あったし、周りも同じ想いを抱えてた⼈もたくさんいたんで、知ってもらいたいですね」と過去を振り返るようにマイクを握りしめ、時折、⽬を閉じながら話していた。

番組の密着は1年半という⻑期にわたるもの。その期間カメラが追い続けたことについては「元々は1年ぐらいの予定だったんですけど、思うように結果が出なくてですね。期間を決めちゃうと、なかなか結果出づらいので、ちょっといったん続けさせてほしいということで1年半に。それでもいろんな限界があるじゃないですか。もうあと1回だけって、『ラスト1回』って宣⾔して、6⽉ぐらいにラストの挑戦をして。それが収まっています」と、なかなか⾃分の思い通りにはいかなかったことも正直に明かした。
パリとミラノで様々なチャレンジをして、⼤きな気づきを得られたというラウールさん。現地で⾟かったエピソードを尋ねられると、「⾟かった…。なんだろう」と考えてから、「えー、僕、⽅向⾳痴なんで。道に迷いすぎて。それが⾟かったです」と微笑む。「僕、いつも海外で電波を獲得するのが下⼿で、ポケットWi-Fiを持っていっていて。歩いてる途中に充電が切れちゃって。⽅向⾳痴の⼈がスマホの地図をなくすと結構やばいですよ。⼤変でした(笑)」と笑い事のように話すが、ラウールさんにとってはかなり焦った出来事だったよう。
⽇本での活動はマネージャーがサポートしてくれるが、現地では⼀⼈でオーディションを受けていく⽇々。「⽇本だったら、涼しい⾞をマネージャーさんが⽤意してくださって、それで移動できるけど、そうはいかないので。僕、16歳でデビューしちゃったんで、多分普通の⼈の10代、20代の⼈より⽢やかされてきて。あまり苦しまなかったことが、結構コンプレックスだったんですね。この1年半ちょっと苦しかったからって、『俺も⾟かったんだぜ』ってことじゃないんだけど、そういう経験がしてみたかった」と⼈として⼀⽪むけたかったことを⾔葉の節々に滲ませた。
現地では、⽂化の違いや⾔語の壁にぶつかることもしょっちゅうだったよう。「アジア⼈が欧⽶の⽅と対等に仕事をしていく難しさっていうのは本当に⾝をもって感じましたし、そこにちゃんと怒りを覚えるというか。だからこそ頑張れた」と負のパワーが原動⼒になったという。
「基本的にオーディションを受けると9割以上は落選なんですけど。結構、悔しいじゃないですか。でも、悔しい顔はできない。した⽅がいいんだと思うんだけど、アイドルをやってきたからかな? カメラへの意識ってあるんですよね。カメラ回ってるなって思うと…。でも、(悔しい表情も)撮れてるところはあると思います」と、カメラが回っていることを意識しつつも、ちゃんと素顔が映像にちりばめられていることをアピールしていた。
もちろん、モデル活動の⽇々は、⾟いことばかりではない。「オーディションではカラダを⾒てもらうため、カラダをずっと作ってました。終わったら美味しいごはんを⾷べようっていうのをモチベーションにして、⾷べている時が一番嬉しかったです」と、ストイックなカラダ作りが⼤変だからこそ、⾷べられる喜びを噛みしめていたという。司会者から「⾒せるカラダ作りが⼀段落した時にどういうものを⾷べた時が一番幸せでしたか?」という質問が⾶ぶと、「うわっ、いい質問ですねぇ。うわ、なんだろう」と笑顔を覗かせる。「なんですかね。やっぱり⽇本⼈ですよね。お寿司でした。パリですごく仲良くなった⽇本⼈のお寿司屋さんがいて、そこに⾷べに⾏きました」と美味しいお寿司で⾄福のひとときを味わっていたそう。持って⽣まれたプロポーションがあっても理想のカラダ作りのため、⾷事をコントロールするのは想像以上に過酷なもの。ご褒美があって当然だ。
この1年半でモデルとしても⼤きな⾶躍を果たしたラウールさん。6⽉27⽇の誕⽣⽇当⽇、公式インスタグラムには、その⽇開催されたショーの写真がアップされ、「FIRST JOB at 22!!」と、コメント。22歳の⼀発⽬の仕事もモデルとして充実した⽇々を送っていた。このモデルとしての経験は、⾃⾝にどんな変化をもたらしたのだろうか。
「⼩学⽣ぐらいの頃からアイドルの事務所⼊って。10代の時にデビューして、本当に導かれるがままだったので。モデル事務所に⼊るとか、オーディションを受けるのって就職活動みたいなもの。それを経験できたのは、デカかったな。地元の友達とたまに会ったりした時に、正直、共感できないことがあったりして。でも、この前、久しぶりに友達に会って友達の就活が⼤変だった話を聞いた時に、共感できた瞬間があって、めちゃくちゃ嬉しかった。『そう、そう、そう。そうだよね』って思えたから。それまでは聞くのが苦しい話って気がしちゃったんだけど、全⼒で頷けたし、お互いの話を聞き合って⾯⽩いなと思ったりして。それが、なんかいい時間でした」。そんなふうに飾らない⾔葉で話すが、オーディションで苦戦した経験が⾃分の糧になったことが伝わってきた。
質疑応答では、2022年に⼀番最初にランウェイを歩いた時のことを振り返る場⾯も。「ヨウジ・ヤマモトさんがショーの前⽇に『動きをつけてみたら』と⾔ってくれて。⼀晩中、リハーサル室で過去の⾳楽を流しながらいろんな動きを試して。本番当⽇に⾒せに⾏ったんですよね。⽇本を代表するデザイナーの⽅とそういう会話をできたことが嬉しかったです」と当時を懐かしむ姿も⾒られた。
今では、夢だったミラノ、パリコレクションのランウェイを歩けるようになったラウールさん。「結構海外では、謙虚な姿勢を良しとしないし、意味がない。『もうガンガン⾏けます! ⾃分⾏けます』って。本当に⾃信があるという気持ちもあるし、虚勢を張っているのもあるし、どっちもありながら、ですね。帰って冷静に振り返るといい経験だった」と夢の舞台をしみじみと振り返る。⾼い壁に⽴ち向かうことは、嫌いではないとこれまで話してきたラウールさんだからこそ、乗り越えられた壁──。今では「どの仕事をするにしても、スタッフさんが『こういう流れでこうしてください』とか、『こういうパフォーマンスをしてください』って⾔ってくださるけど、結局はそれも⾃分が噛み砕いて答えを出さなきゃいけないっていうこと。それを当たり前にしようと思うようになりました」と胸を張って、⾃分らしさを追求できるようになったと話す。
取材会の最後に配信を楽しみにしてる皆さんに向けて、「モデル業界という馴染みのないドキュメンタリーなので、興味を持っていただけるか分からないですけど、少しでもこの世界のことを知ってもらいたいです。ちょっとでも気になったら、見ていただけたら嬉しいです」とニッコリアピール。ラウールさんの1年半の成⻑と進化の⽇々が詰まった『ラウール On The Runway』で⼀体、どんな表情が⾒られるのだろうか。純粋に楽しい気持ちから始まったモデルの活動がいつしか叶えたい夢になり、今では世界に通⽤するモデルに。リアルな瞬間が詰まった、その軌跡を確かめてほしい。