「村上ラヂオ」とは、2000年3月からananの巻頭ページに掲載されていた、作家・村上春樹さんの人気エッセイ。独特の視点で日常を綴った村上さんの筆致に色を添えたのが、大橋歩さんの銅版画だ。
大橋歩さんの「村上ラヂオ」の銅版画展が開催中。
大橋さんは、マガジンハウスが前身の平凡出版時代の1964年から発行していた週刊誌『平凡パンチ』の表紙イラストや『ピンクハウス』などのブランドのポスターで人気を博したイラストレーター。「村上ラヂオ」の連載では、その頃手がけ始めたばかりの銅版画の挿絵で、毎週読者を楽しませてくれた。
「私はとてもラッキーなの。だって銅版画の個展を開いた途端、ananの編集者や村上さんの目に留めていただけたんだから」
実は大橋さんは大の村上ファン。それだけに挿絵の依頼が来たときは、まるで天にも昇る気持ちだったとか。
「今でも覚えています、初めて村上さんの事務所を訪ねた日のことを。ご本人に会えるとは思っておらず、カバンを提げた村上さんが後から入ってこられたので、わあ、ご本人! と舞い上がってしまって(笑)」
連載時の版画制作は村上さんのエッセイを読むことから始まったそう。
「毎月4本まとめてエッセイが届き、それを読み、下絵を描くんです。それをカーボン紙で銅板に写してニードルで引っ掻く。銅板を刷り師の方にお渡しして、版画となります。何よりうれしかったのは、世界中で最初に村上さんの文章を読めたこと」
大橋さんの銅版画はドライポイントという手法だそう。版画ならではの線の不均一やかすれが生まれ、それが村上さんの文体と共鳴し、不思議な空気感を生み出していた。
「どこを絵にするか迷うと2日かかることもあったけど、大抵は1日で仕上げていました。村上さんからのリクエストはなく、自由に描かせていただきました。私はああ描け、こう描けと指示されると描くのがつらくなるタイプ(笑)。村上さんのスタンスのおかげで、長く描き続けられたのかもしれません」
銅版画は書籍化の際に描き足したものも含め、全部で214点。その全作品が早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)に収蔵されることになった。
「年齢も年齢だし、段ボール20箱以上の作品を個人所有していくのは厳しくて。でも思い入れのある作品だけに悩んで、以前動物の展覧会をしてもらった台湾のギャラリーにお話ししたところ、前向きなご返事をいただきました。村上さんの名前が出るものなので事務所に承諾を頂くために電話をしましたら『ライブラリーにぜひ収蔵を』と光栄なお話になりました」
収蔵を記念して村上春樹ライブラリーでは9月21日まで「大橋歩 村上ラヂオの版画展」を開催中。
「とてもシンプルな空間ですが、展示がとても素敵。ふつうは目線の位置に作品を置きますが、床の近くまで並べていただいているのが新鮮です。展示にリズムがあるんです」と大橋さん。自分の過去の作品に新たな発見もあったそう。
「パンツの絵とか、過去の展示で売れた際『これ、買うんですか?』と驚いた作品もあるんだけど、改めて見たら、あらいいじゃないと(笑)」
一点ずつ眺めるうち、絵の先にある世界、つまりもう一度エッセイを読み返したくなる大橋さんの作品。村上さんは単行本『村上ラヂオ』のあとがきに「連載に大橋歩さんの絵がついていたのも、僕にとってはとても励みになった」と記している。
そんな静かなパワーを持つ銅版画に加え、大橋さんが自ら企画し取材や編集も手がけた季刊雑誌『Arne(アルネ)』や『平凡パンチ』の表紙、過去のポスター作品などもともに展示されている本展覧会。大橋さんの貴重な作品を一挙に見られるこのチャンスを逃さずに。

連載を彩った作品たち。大橋さんが自宅に飾るのはドーナツの銅版画。

「村上ラヂオ」掲載の当時の『anan』も。

会場では8種の銅版画のポストカード各¥150も販売。

『平凡パンチ』の表紙。

貴重な原画の数々。

『Arne』では村上さんを取材した号が必見。
大橋歩さん
Profile
おおはし・あゆみ 1940年、三重県生まれ。多摩美術大学油絵科卒。在学中に描いた『メンズクラブ』のイラストがきっかけで1964年創刊の『平凡パンチ』の表紙イラストに抜擢。『ピンクハウス』の広告、その後『anan』で初のエッセイも発表。企画、取材、撮影、編集をひとりで手がけた『Arne』を発行し、村上さんのセカンドハウスも取材、撮影している。イラスト、デザイン、エッセイとマルチに活動し、幅広い層から支持を集める。
大橋歩 村上ラヂオの版画展
Information
早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)2階展示室ほか 東京都新宿区西早稲田1‐6‐1 早稲田キャンパス4号館 開催中~9月21日(日)10時~17時 水曜、8/4~20休 入場無料
anan 2455号(2025年7月16日発売)より