――弊誌は20~30代の女性に向けて作っている雑誌なのですが、その世代にも「マツケンサンバII」は大人気です。
松平健さん(以下、松平):ねぇ、びっくりですよね。この曲を出した20年前もキャーッていう歓声をもらったのを覚えているんですが、最近もまだ黄色い歓声が起こるんですよ。コンサートをやると、若い世代の男性も結構来てくれて、みんなサンバで大喜びしてくれる。とにかく嬉しいですね。ただ、若い人はこの曲をいったいどう受け取っているのか、実はすごく気になっていて…。機会があればそのへんを若い人に聞いてみたいです。
――もう少し上の世代にとって松平健さんといえば、時代劇『暴れん坊将軍』で将軍吉宗を演じているイメージが強いと思います。だからこそサンバで歌い踊る姿を見たとき、そんな時代劇のスターがなぜサンバ!? と驚いた人も多かったのでは。
松平:私はもともとレビューやミュージカルが好きで、歌い踊るのも大好き。役者を目指して上京し、最初に劇団に入っていた頃は、日劇(日本劇場:かつて東京・有楽町に存在した劇場)という大きな劇場で、いわゆるショーにも出ていましたし、舞台をやるようになってからは、毎年ブロードウェイにミュージカルを観に行くくらい、好きなんですよ。
――つまり時代劇もお好きだし、サンバも大好き。
松平:おっしゃるとおり。でも確かにあの曲が世に出たときには、「将軍のイメージが吹っ飛んだ…」と言われたのを覚えています。
――「マツケンサンバII」の曲が生まれた経緯を教えていただけますか?
松平:私は長年、舞台をやっていまして、その構成が第一部が芝居で第二部が歌と踊りのショーなんです。そのショーのフィナーレ用に曲を作っていて、「松健音頭」から始まり、「まつけん小唄」「松健数え唄」ときまして、そのあとラテンがいいなと思って「マツケンマンボ」が生まれて。
――松平さんが、「ラテンがいいな」とご提案されたんですか?
松平:そう。いつも私が「マンボでどうですか?」とか「次はサンバでお願いします」とか、要望を出すんです。それで、「マツケンサンバI」を2~3年やったんですが、そろそろ新しいのを作らないと…となり、出来上がったのが「マツケンサンバII」。それが’94年です。最初の振り付けは日舞の先生だったので、全然今と違う感じでね。それで、’97年にアメリカ公演が決まり、劇団時代に日劇で共演していたマジー(真島茂樹さん)に新たに振り付けをお願いして、衣装もアメリカ向けにスパンコール生地の着物に替えて。
――アメリカでの反応はどうでした?
松平:なんかすごいウケてました。それで帰国後は、日本の舞台でもこのスタイルでやるようになったんですが、最初の頃、日本のお客さんは笑ってる人が多くてね。
――それはいい笑いですか?
松平:いや、冷ややかな笑い(笑)。でも徐々にいい笑顔に変わっていって、最終的には皆さんとても幸せな顔をされていました。
――「マツケンサンバII」で歌い踊るのは、松平さんにとってはどんな楽しみや喜びが?
松平:サンバは、観に来てくれたお客さんに楽しんでもらって、喜んでもらうためにやっているんです。芝居、ショー、そして最後にサンバで笑顔で帰っていただく。
――松平さん自身の楽しみはどこにありますか?
松平:その笑顔を見るのが、私の楽しみであり、喜びです。お客さんの喜ぶ顔を見るのが、一番の私のエネルギーなんですよ。
レギュラードラマが終了、スケジュールが真っ白に…。
――ものすごいサービス精神。そのお気持ちは、昔からですか?
松平:いや、出演していたテレビの時代劇『暴れん坊将軍』が終わったときからですね。2002年にシリーズが終わって、2003年に最終回スペシャルが放送されて。そこでスケジュールが真っ白になっちゃったんです。「これで終わりです」って言われて正直大ショック。でも事務所も抱えているし、スタッフの生活もある。何かしなきゃいけない…。それで、ドラマや映画に比べて比較的すぐに公演できるコンサートなどに移行したんです。『暴れん坊』(編集部注:松平さんは『暴れん坊将軍』のことを『暴れん坊』とおっしゃいます)をやっているときは、将軍のイメージを壊してはいけないと思っていましたけれど、ドラマが終わった時点で意識を変えて、もう何でも挑戦しよう、と。
――それで翌2004年にリリースされ、大ヒットした、と。
松平:そうですね。ほんと、ありがたいことに。
――その後も、2020年の大晦日に『絶対に笑ってはいけない』シリーズに出演されたことも、みんなの度肝を抜きました。
松平:オファーをいただいて、いろいろ説明を聞くと、どうやら私はただ真面目に芝居をやっていればいいらしい、とのことだったので、出演を決めて。ただ、作り物の馬を出されて「これに乗って」と言われたときは、“これはさすがに…”と思ったんですが、“でも、まあいいか”みたいな感じで(笑)。
――なぜ“まあいいか”とポジティブに転換できるんですか?
松平:見ている方が喜んでくれるなら、いいじゃないですか。あと先ほども言ったように『暴れん坊』をやっていたときにはそういうことは一切していなかったのでね。5000人くらいしかいなかったYouTubeの登録者数が、あの番組に出たおかげで一気に6万人近くに増えたんです。結果的には出てよかったですよ。私自身もおもしろかったですし。
――YouTubeではユニークな企画をやられてますよね。ブルブルマシンに乗りながら電話をしたり、いろんなアイテムをパターに見立ててゴルフをしたり…。
松平:スタッフがおもしろい企画を考えてくれるんです。でも実は、YouTubeをやろうって言ったのは私なんですよ。
――え、まさかの!
松平:コロナ禍に入って、またスケジュールが真っ白になっちゃったんですよ。それでファンの人が寂しいっておっしゃったので、最初は後援会の留守番電話にファンの皆さん向けのメッセージを吹き込んでいたんです。でも皆さん物足りなくなったのか「動画が見たい」という声が増えて(笑)。それで、チャンネルを作ったんです。
――最近は“マツケン”がマンガになったりもしていますが、それも松平さん提案ですか?
松平:いや、あれは違います。若い方がいろいろ企画を持ってきてくださるんですよ。すごいよね、若い人たち(苦笑)。あのマンガ『マツケンクエスト~異世界召喚されたマツケン、サンバで魔王を成敗致す~』もそうですよ。私はもう、若い人が考えてくれるおもしろいことに乗っかってるだけです(笑)。
――ご自身では、若い世代に何がウケてるのだと思いますか?
松平:もはやマツケンは一つのキャラクターなのか…。あとはキラキラしてるところ…? いや、正直全然わからないです(笑)。
7月6日より明治座にて『松平健芸能生活50周年記念公演』を上演予定。第一部は時代劇「暴れん坊将軍」、第二部は「マツケン大感謝祭~歌って踊って~オーレ!」。第一部の脚本と演出、第二部の構成と演出を担当するのは、細川徹氏。いったいどんな愉快な舞台になっているのか、乞うご期待! また松平さんの公式サイトで販売されているオリジナルグッズや、YouTubeチャンネルの「マツケンTube」も要注目です。
まつだいら・けん 1953年生まれ、愛知県出身。’76年に『人間の條件』でドラマ初主演。’78年に時代劇『暴れん坊将軍』の主役・徳川吉宗に抜擢され、時代劇スターに。以降ドラマ、映画、舞台で活躍。’94年に舞台公演のために作られた曲「マツケンサンバII」が、2004年に大ブレイク。祝祭感のある曲として愛されている。
※『anan』2024年7月3日号より。写真・神藤 剛 スタイリスト・梶原寛子 ヘア&メイク・酒井さとみ
(by anan編集部)