「罪悪感」の外し方
無意識の承認欲求が日本人の罪悪感の正体!?
僕たち日本人には、常に「罪悪感」が付きまとっている気がします。それについて考えていた時、テレビ番組で見た外国人観光客の姿が頭に浮かびました。その人はドン・キホーテで買ったという侍の衣装を着て観光地を自転車で巡っていたのですが、一点の曇りもないキラキラの笑顔だったのが印象的で。これが日本人だったら「仕事を休んでいる身でコスプレしてはしゃいで申し訳ない」とか「誰かに迷惑をかけているんじゃないか」とか、楽しみながらもどこかで後ろめたさを感じてしまうと思うんです。
もうひとつ僕のお話をさせてもらうと、先日母が家に来てお茶を飲んでいったのですが、帰った後に「ゆっくりしてもらえなかった」「駅まで送れないなら途中の道にあるいいお店を紹介してあげればよかった」など、何をどうしても罪悪感が残ってしまったんですね。それを客観視した時、すごく特殊な文化だなと。
どんなに近しい関係だったとしても、自分が相手の望みを100%叶えられていない(と思う)時、あるいは迷惑をかけた(と思う)時、日本人は罪悪感を抱いてしまうことが多い。また別の特徴として、シャイなのに承認欲求はとても強いという矛盾する性質があります。僕はこれが罪悪感と関係している気がしていて。つまり「承認されなくては」という無意識が働くあまり、落ち度がひとつでもあると承認されない気がして、罪の意識に繋がってしまうのではないか。誰かに良くしてもらった時に「ありがとう」ではなく「ごめんなさいね」とつい言ってしまうのも、至らず、完璧じゃなく申し訳ないという感覚なんだと思います。
何事も100%を目指さない。ベストを尽くせば問題なし!
そうやって、自分では気づかないくらいの自然さで「罪悪感」が至近距離にある今の状況は、どこか健全とは言い切れない。知らず知らずのうちに人生を潰されてしまう可能性もあるから。ではどうすればいいのかというと、まず「ベストは尽くすけど、物事の全責任は負わないよ」という意識を持ってほしいです。人や仕事に対しても100%を目指さず、70%を最高値として30%くらい何らかの不備があることを前提にする。70%合格ならすごく優秀だと思うし、ベストを尽くした結果、60%の出来だったとしても、それは立派な60%なわけです。完璧でない自分への申し訳なさ、羞恥心を手放して「失敗があるから人生って面白いんですよねー」くらいの気持ちでいてほしい。実際、頑張った結果の小さな失敗が笑い話になって場を和ませたり、みんなの思い出になっていくことは多いから。
あとはやっぱり、自分を卑下しすぎないことも大切です。ネットフリックスで悩みを抱える人たちがコンプレックスを解消していく番組を見ていて、印象的だったセリフがあります。それは「自分の体の一部分でもかわいいところを見つけて、毎日褒めてあげて」という言葉。すごく刺さりましたね。「今の自分をまるごと愛そう!」といきなり言われてもむずかしいけど、小さなことでいいから自分の魅力を見つけて「いいね」「かわいいね」と褒めることで「自分はこれでいいんだ」という魔法を少しずつかけていく。これって、罪悪感から解放されることにも繋がっていくと思います。
しいたけ.さん 作家、占い師。早稲田大学大学院政治学研究科修了。哲学を研究するかたわら、占いを学問として勉強する。『しいたけ.の小さな開運BOOK』『しいたけ.のやさしいお守りBOOK』(共に小社刊)が好評発売中。公式note https://shiitakeofficial.com/ しいたけ占い公式サイト https://shiitakeuranai.jp/
※『anan』2023年11月29日号より。イラスト・100%ORANGE 取材、文・熊坂麻美
(by anan編集部)