――今年5月に出版された『言語の本質』が話題です。社会的な背景など、そこにはどんな理由があると思われますか?
今井むつみ(以下、今井):やはり言葉は毎日使うものなので、「もっと上手に使えたらいいのに」という思いが誰しもあるからではないでしょうか。それに本書の出版が、ChatGPT(人間のように自然な会話ができるAIチャットサービス)のリリース後だったということも影響しているように思います。驚くほど巧みに言葉を操るAIが登場したことで、自分たちが日頃使っている言葉に対して疑問や不安を抱く人も多かったのかもしれません。
秋田喜美(以下、秋田):同感です。あとはポッドキャスト『ゆる言語学ラジオ』の水野太貴さんのSNSをはじめ、多くの新聞や雑誌の書評で取り上げていただいたことも後押ししてくれていると感じています。
――本書では言語の本質をひもとくカギとして、“オノマトペ”(何らかの音や状態を表現した言葉)に注目されています。
秋田:例えば「ワンワン」「キラキラ」など、オノマトペをよく使うのは、言葉を覚え始めた子どもや、その周囲にいる大人です。言語の本質に迫るには、言語の起源と言語の習得の謎を明らかにすることが重要です。つまり、オノマトペを研究することが、言語の本質に繋がると考えたのです。
今井:そして子どもが使うオノマトペの言語性は、発達段階に合わせてどんどん深まっていきます。例えば「よろよろ」というオノマトペが、「よろよろする」「よろける」といった形で動詞に組み込まれたり、あるいは副詞的に使われたりすることもあります。オノマトペは、私たちの祖先が言語を作っていった過程になぞらえることができるのでは…。そんな指摘をする研究者もたくさんいます。
秋田:オノマトペは「よろける」のように動詞などの品詞に変化することもあれば、その逆もありますよね。例えば、胸の高鳴りを表す「ワクワク」は、「湧く」という動詞が語源との説があります。
今井:オノマトペが面白いのは、初めて聞く言葉でも、2~3回使ってみると完全に身体化してしまうようなことがあるところ。例えば、若者から生まれた「ぴえん超えてぱおん」は、悲しみを表す昨今の流行語「ぴえん」に、ゾウの鳴き声のオノマトペ「ぱおん」を対比させて、非常に大きい失意を表している言葉だといいます。私はこれを初めて聞いた時、何のことか全くわからなかったのですが、今では思わず使ってしまいそうな気がするほどです(笑)。
――言葉の変化や、本来の意味と違う使われ方に対して、嘆かわしく思う必要はないのでしょうか。
今井:ある程度、年齢を重ねた人たちにとって、こうした新語は日本語として間違っていると感じられるかもしれません。でも、実は言語の使い方に「間違っている」「合っている」という規定はないのです。ある時代を切り取った時に、その使い方をする人が、どれだけたくさんいるのか。それがマジョリティであれば、新しい言葉は「正しい言葉」として社会に浸透していきます。
――最近、新語から定着しそうな言葉はありますか?
今井:「むずい」ですかね。私が教えている学生など、若い人たちは「難しい」という言葉を知らないのかと思うくらいに、「むずい」を連発します。「難しい」は長すぎるのかもしれませんね。
秋田:「むずい」もそうですが、ほかにも「痛い」を「イタッ」と言うなど日本語は略す時に2文字だけ残すことがよくあります。すると、「ピカッ」のようなオノマトペに似てくるのです。オノマトペには、物事の一部分をアイコン的に写し取るという特徴がありますが、本来の言葉を2文字に略すことで、そのアイコン性が見出しやすくなるのではないでしょうか。
――冒頭で、本書が注目されている理由の一つにChatGPTの登場を挙げられていましたが、人間の言語とAIの言語にはどんな違いがあるのかも気になります。
今井:まず、人間の言葉は、ほとんどの場合、感情と結びついているといえるでしょう。例えば、犬や猫という言葉でも、それが好きなのか否かが、言葉の中に含まれている気がします。一方、AIには感情がありません。単なる情報伝達手段というのが、AIの言語です。両者の大きな違いは、そこにあると思います。人間の言葉が感情と結びついている例として顕著なのは、LINEのようなテキスト主体の媒体では、スタンプや絵文字を使おうとしますよね。それはテキストだけだと、気持ちが伝わりにくいからだと思います。
秋田:私は、AIと子どもの言語の違いについて話したいと思いますが、AIの言語は統計情報なので、すでにある膨大なデータベースをもとに、答えが導き出されていくのが特徴です。一方、子どもの言語は、AIほど大量のインプットを受けているわけではないのに、聞いたことがないような文まで話すなど、とても創造的。限られた情報以上のことを、アウトプットできるのです。
――受け取った情報から、想像を膨らませているのでしょうか。
秋田:はい。例えば「ワンワン」という言葉も、初めて聞いた時は何を指すのかわからないと思います。でも、次第に目の前の犬を指す言葉だとわかり、さらに「あの動物もワンワンだろう」と仮説を広げていくうち、犬というグルーピングができるようになる。このように正しいとは限らない仮説を立てることを「アブダクション推論」といいます。それにより人間の思考や言葉は豊かになるのです。
――言葉の豊かさといえば、言語能力には個人差があるように思いますが、その差はどこで生まれるのでしょうか。
今井:これは多くの人が抱くクエスチョンで、私も正解を知りたいくらい(笑)。ただ、研究から一つ言えるのは、幼少期にインプットされる言葉の量と質が、その後の言語能力に大きく関わるということです。2歳の時点で、かなり差ができているともいわれています。
――では、大人になってから言語能力を磨きたいと思っても、子どもの頃にベースがないと難しい?
今井:不可逆的に無理かというと、そんなことはないと思います。自分の語彙力の限界に気づき、不足しているところを補うために、何をすべきか考える。その気持ちさえあれば、向上できるはずです。
――最後に、ずばり「言語の本質」とは。そのポイントとなることを教えていただけると嬉しいです。
今井:言葉の役割について“豊かなコミュニケーションをとるための道具”といった表現が使われがちですが、実はそうではありません。人はたくさんの思いを伝えたいのに、情報処理能力が限られているため、無意識のうちに言葉を取捨選択しています。聞く人が扱えるだけの情報量に絞って、伝えているのです。ピンポイントだからこそ、相手に“伝わる”。言語の本質的特徴には様々ありますが、これはその重要な要素です。
秋田:人には何かと何かの間に、能動的に類似性を見出そうとする特徴があります。先述した「ワクワク」は「湧く」からきているのに、なぜかしっくりくる。それは、ワクワクという音と、ワクワクした感情の間に私たちが類似性を見出すからではないでしょうか。ワンワンと犬の間に類似性を感じるように。そう考えると、今後も新しいオノマトペが生まれる可能性は、大いにあると思います。
今井むつみさん 慶應義塾大学環境情報学部教授。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。著書に『ことばと思考』(岩波新書)など。近著は元プロ陸上競技選手の為末大さんとの共著『ことば、身体、学び―「できるようになる」とはどういうことか』(扶桑社新書)。
秋田喜美さん 名古屋大学大学院人文学研究科准教授。専門は認知・心理言語学。日本をはじめ世界各国のオノマトペを研究。また、日本語と世界の言語との比較にも関心を寄せている。著書に『オノマトペの認知科学』(新曜社)、共著『言語類型論』(開拓社)などがある。
※『anan』2023年10月11日号より。イラスト・hakowasa 取材、文・保手濱奈美
(by anan編集部)