【阪田マリン】今の流行りも取り入れた、昭和なスタイルを作り出す。
幼い頃は嵐のファンで、「大野くんのうちわを作ってライブを観に行ったこともありました」と話す阪田マリンさんが昭和カルチャーに惹かれるようになったのは、中学2年生のとき。おばあちゃんの家にあったレコードに触れたことがきっかけだ。
「父のレコードがたくさん置いてあって、気になったチェッカーズの『Song for U.S.A.』を聴いたんです。びっくりしたのが、針を落とすと音が鳴ること。レコードをお店で買って、ターンテーブルに置いて、針を落としてやっと音楽が始まる。今はスマホで簡単に音楽が聴けるからこそ、聴くまでに時間がかかるレコードが当時の私には“新しく”感じたんです」
チェッカーズを皮切りに『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』といった昔の歌番組に夢中になり、中森明菜など当時のアイドルにもどんどんハマっていった阪田さん。ただ、“昭和好き”を高校入学と同時に公言したものの、周囲の反応はイマイチだったみたい…。
「共感してくれる人がほとんどいなかったので、同年代の昭和好きって、どれくらいいるのかな? と、Twitter(現X)とInstagramをはじめて。昭和そのままのファッションで“#昭和好き”“#平成生まれの昭和好き”とハッシュタグを付けて投稿したら、フォロワーさんがドンッて増えて。同年代の子もいましたけど、昭和ドンピシャ世代の人が“懐かしいです!”と盛り上がってくれました」
いま阪田さんが広げようとしているのは、昭和に今のトレンドを組み合わせた“ネオ昭和”というコンセプトのファッション。
「昭和の良さをもっと同年代とか、若い世代に伝えたくて。すべてを昭和にするとあまりしっくりこなくて、そこに流行りのアイテムを取り入れる“ネオ昭和”のスタイルだと反応も良いし、私もそれが好きなんです。ワンピースやシャツは当時のものだけど、小物や靴は今のブランド。完璧な昭和を目指すとどこかで無理が出ちゃって、好きが貫けないので」
モデルやラジオパーソナリティなど、その活動の幅を広げている阪田さん。最近はネオ昭和歌謡プロジェクトとして「ザ・ブラックキャンディーズ」というグループを結成し、歌手活動をスタートさせた。様々なカルチャーから昭和を極める阪田さんの最終目標とは?
「昔ながらの喫茶店を継いでみたいですね。そこにちょっと自分の好きな要素や、新しいものを取り入れたネオ昭和な喫茶店を。おばあちゃんになったときの夢です(笑)」
ネオ昭和ファッション
’70~’90sのファッションに、現在のアイテムを組み合わせる。
64年もの年月に及ぶ昭和だが、阪田さんをはじめ、現在の若者がイメージするのは、’80年代(昭和55~64年)の好景気とともに流行した、カラフルでゴージャスなバブリーファッション。ネオ昭和ファッションでは、当時モノのタイトなワンピースドレスに身を包むボディコンスタイルや、肩パッド入りのスーツなどを颯爽と着こなしつつ、カバンや靴といった小物にトレンドのアイテムをさりげなく加えるのがポイント。
SNSで反響のあったお気に入り写真を紹介します!
竹内まりや『プラスティック・ラブ』のジャケットをイメージした写真。写真の粒子感やブレもこだわり。
“昭和にタイムスリップできるなら”というテーマで纏ったボディコンワンピ。鮮烈な赤が印象的。
昭和のアイドルに猛烈に憧れていたという、18歳の頃の写真。髪型はもちろん聖子ちゃんカット。
大阪・新世界にあるポルノ映画館「国際地下劇場」前で撮影されたショット。今も残る昭和の光景に溶け込んだ。
さかた・まりん 昭和カルチャーが大好きで“ネオ昭和”と自ら命名し、ファッションやカルチャーを発信する人気インフルエンサー。SNSでの総フォロワー数は約23万人。
(1枚目写真)撮影の日のファッションは、’80年代ではなく’70年代テイスト。ベルボトムのジーンズに、イギリスのロック歌手「デヴィッド・ボウイ」が大きく描かれたタイトなTシャツがポイント。
※『anan』2023年10月4日号より。写真・大久保啓二 取材、文・森 樹
(by anan編集部)