自分を好きに表現できる、それがマンガです。
白い紙とペンさえあれば、自分の好きなことを好きなように描くことができる。友だちに話しても理解してくれないような世界だってマンガには描ける。その自由さこそがマンガの神髄であり、最大の魅力だと思います。
でもマンガには受難の時代があり、昭和の間には“子供に良くない”とマンガを敵視する動きがあり、子供向けマンガ雑誌に対する焚書運動もあちこちで起きました。それ以外にもマンガにはいろいろな圧力がかけられてきたものの、結局みなさんがマンガを読むのをやめなかった、つまりおもしろかったから、生き延びたんです。そして今は、世界の人が日本のマンガを読んでいる。私もマンガ家としてとても喜ばしいです。ただ個人的に残念なのが、私が若かった頃はマンガを単行本として出版しない時代だったので、私は自分の当時の単行本があまりないんです…。現代のみなさんにとっては、まったくわからない感覚ですよね、きっと(笑)。
少女向け作品も男性の作家が執筆。理由は…。
18歳で上京し、豊島区にあったトキワ荘に住みました。トキワ荘とは、駆け出しのマンガ家ばかりが住んでいた木造2階建てのアパート。私が住んでいたときは、『ドラえもん』の藤子・F・不二雄さん、『サイボーグ009』の石ノ森章太郎さん、そして『天才バカボン』の赤塚不二夫さんなどが居住中でした。みなさんもちろんまだまだ若手の時代。ちなみに唯一女性で住んでいたのが私です。
当時、女性マンガ家はほぼ皆無。実は少女向けのマンガも男性が別名で描いていたんです。『ゴルゴ13』でおなじみのさいとう・たかをさんも、別の名義でロマンティックな作品を描いていらしたんですよ。というのも、あの頃の女性は“嫁に行く”のが当たり前だったから。あの時代、仕事に生きる女性なんてほとんどいなかった。でも私に限って言えば、ただただマンガを描きたいから描いていた。「普通の女の生きる道」? そんなものを考えたこともありませんでしたよ。
みずの・ひでこ マンガ家。1939年生まれ、山口県出身。’55年、15歳でデビュー。’70年に小学館漫画賞を受賞した『ファイヤー!』が、先日『復刻版 ファイヤー!』上・下として文藝春秋より復刊し、話題に。
※『anan』2023年4月19日号より。写真・内山めぐみ
(by anan編集部)