――お笑いを意識するようになったのは、いつ頃からですか?
小学生のときに『モヤモヤさまぁ~ず2』のロケが地元に来て、そういうの子供はうれしいじゃないですか。それで、さまぁ~ずさんのDVDをTSUTAYAで借りてきて、お笑いのライブを見たのはそれが最初です。そこからバナナマンさんとかのライブもDVDで見るようになりました。それと、2006年の『M‐1グランプリ』ですね。その年に優勝したチュートリアルさんの漫才を見て、母親がすごい笑ってたんです。ネタの内容は子供にはちょっと難しかったんですけど、大人があんなに笑うってすごいなと思ったし、徳井さんのキャラクターは小学生でもおもしろいと思えたので、そこから『M‐1グランプリ』にハマって、お笑いを意識して見るようになりました。
――DVDで見ていたお笑いライブの中で、特に好きだったのは?
さまぁ~ずさんも好きでしたし、あとは、中学生のときに塾の先生に教えてもらったラーメンズですね。ラーメンズの単独公演は、舞台セットもほとんどなくて、黒いシャツに黒いパンツとかのシンプルな衣装で、それまで見てきたコントとまったく違うもので。世間的にも「ラーメンズはお笑いなのにかっこいい」と言われていて、たしかにかっこいいなとは思っていましたが、僕はそれ以上に、おもしろさのほうに惹かれてました。
――高校生になってもお笑いは見続けていたんですか?
中学と高校の6年間は一切緩むことなくお笑いを見続けてました。お笑いライブだけじゃなく、深夜のバラエティ番組をひたすら。2014年に、さまぁ~ずさんが地上波の全局でレギュラー番組を持つことになり、それがニュースになったんです。僕も全局の番組を見ていたので、そのニュースはよく覚えてます。あと『テベ・コンヒーロ』の「コウメ太夫で笑ったら即芸人引退スペシャル」という企画が好きすぎて、録画したDVDをまわりに配ってました。ほかにも『ざっくりハイボール』とか『内村さまぁ~ず』とかは好きでめっちゃ見てました。
――ゴールデンタイムのバラエティ番組は見てなかったんですか?
母親がドラマ好きで、父親は『報道ステーション』を月曜から金曜まで録画してたんですよ。そのせいで平日の録画機能は両親に占領されていて、唯一土曜の7時は許されたので、『ザ・イロモネア』だけは録画できたんです。だから次の週まで何度も同じ回を繰り返し見てましたね。
――お笑いを見続けるなかで、芸人になりたいとは思わなかった?
ぼんやりとはずっと思ってました。でも、それこそ『ザ・イロモネア』で芸人さんたちが即興でおもしろい芸を次々に披露していくのを見ていると、これは無理だなって。おもしろいことを考えるのは好きだけど、バラエティの世界でプロとしてやっていくのは難しいだろうなって痛感しましたね。
――脚本を書いたり、作・演出をするようになったきっかけは?
高2のときにクラスで映像作品を作ることになって、初めてちゃんとした台本を書きました。それがけっこう評判よくて、高3のときには文化祭の演劇で作・演出をやることになり。文化祭なので、まぁ何をやってもウケるんですけど、とにかくウケたんです。あれはめっちゃ気持ちよかった。なんなら、これまでの人生で一番ウケたのはこのときかもしれない。それで気を良くして、大学の入試は、その高2のときの映像と、高3のときの演劇を撮影した映像を送って、公募推薦で合格しました。
――大学では、在学中に演劇サークルを立ち上げてますよね。
中・高と演劇部だった同級生に誘われて、二人で「はりねずみのパジャマ」という演劇サークルを作りました。そのサークルに入ってきた演技コースに通う俳優志望の人たちが、のちにダウ90000のメンバーになります。
――俳優志望のメンバーたちは、コントやコメディだけをやることに異論はなかったのでしょうか?
不思議となかったですね。もともとお笑いをやるつもりはなかった人たちでしたけど、まずは演技したいというのが一番で、それは満たしつつ、僕の書く脚本もおもしろがってくれましたし、コントも楽しんでやってくれました。
――お笑いや演劇のプロを目指すようになったのは、いつ頃から?
大学4年になるまでは、わりとダラダラ演劇をやってたんです。それで4年生のときに、又吉直樹さん原作の映画『劇場』(2020年)が公開されて。劇団を立ち上げて夢を追いかける青年が主人公なんですけど、あんまりうまくいかない話で、「マジで俺もこうなる」「このままいったらやばい」って、めっちゃ意識が変わりました。と言いながら、僕は就職もしないまま大学を卒業して、バイトだけをするフリーターになったんですけど……。そこでようやく、ちゃんと焦りはじめて、もう本気でやるしかないと思い、サークルのメンバーたちに「就職せずにプロを目指したいっていう人だけ一緒にやりましょう」と声をかけて、やると言ってくれたメンバーでダウ90000を結成しました。
――就職しないのは大きな決断ですが、どう説得したのですか?
事前に今後の計画や戦略を具体的に書き出して、それを発表しました。僕は月に12本くらいの新ネタを書きます、それをYouTubeにアップしつつ、本公演もやります、売れるまでは客演に呼ばれても出ないでほしいです、その代わり、全員がバイトをやめられるまでは絶対に続けます、とか、そういう。
――ダウ90000の活動ではすぐに手応えを感じられましたか?
YouTubeにアップしていたショート動画に、「女ミルクボーイ」という、ミルクボーイさんの漫才を女性メンバー二人が恋愛ネタに中身を変えてカバーしたコントがあって、それが『芸人雑誌』で紹介されたんです。メディアに出たのはこのときが初めてで。そのあたりから、お笑い好きの人たちが見つけてくれるようなり、渋谷のユーロライブという劇場のコント企画に誘ってもらいました。で、そのコントを見てくれた玉田企画の玉田(真也)さんと、テニスコートの神谷(圭介)さん、お二人の企画でユーロライブで「夜衝」というコントライブをやることになって、そこから一気に広がりましたね。「夜衝」を見てくれた『東京03の好きにさせるかッ!』というコント番組のスタッフの方に声をかけていただいて、東京03さんにコントを書くことにもなりました。
――「夜衝」は2021年の7月なので、結成からたった1年で東京03にコントを提供するまでに。
とにかく早く売れたかったんです、誰かがやめたいと言う前に。
はすみ・しょう 1997年、東京都生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒業。大学在学中に立ち上げた演劇サークルで知り合ったメンバーを中心に、男女8人組のダウ90000を結成。主な作品は、テレビドラマ『ダウ90000 深夜1時の内風呂で』、NHKラジオ『東京03の好きにさせるかッ!』、第4回演劇公演『いちおう捨てるけどとっておく』など。
脚本を手がけ、メンバー全員が出演する『エルピス‐希望、あるいは災い‐』のスピンオフドラマ『8人はテレビを見ない』がTVer限定で配信中。また、同じく脚本を手がけ、メンバー総出演のショート連続ドラマ『今日、ドイツ村は光らない』はHuluにて配信中。2023年5月には本多劇場で第5回演劇公演が決定している。
※『anan』2022年12月28日‐2023年1月4日合併号より。写真・内田紘倫(The VOICE) インタビュー、文・おぐらりゅうじ
(by anan編集部)